青裸々日記 Aorara Diary

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恵まれすぎた出発点。

2010年10月16日 07時18分38秒 | 青裸々日記。
曼珠沙華(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 育ちのよい人、
 恵まれた環境で育った人を見ると、
 うらやましく思うことがあるものです。
 そしてまた、自分の家の家柄なり、親の躾(しつけ)や教育が納得いくものではなかったと、
 不満を抱いてしまうことがあります。

 ある程度なら、自然な反応ではあります。
 しかし、幼少期の恵まれなさ加減に固執してしまうと、
 ともすれば「恵まれない」ことの良さを、無視してしまいがちです。
 その「恵まれないことの良さ」とは、
 一体なんなのでしょうか!?


 あまりに恵まれた環境で育った場合、
 ともすれば自分を勘違いしてしまうことがあります。
 自分の力でなんでも手に入るように、錯覚してしまうのです。
 しかし、人生はチームプレイです
 どんな人間関係でも、お互いに足りないところを出し合って前にすすんでいくものなのに、
 いざ自分が関係を築こうとする場合、
 「出来ている気」になっていただけで、
 実はなんにも出来なかった、ということになりかねないのです。


 「恵まれすぎ」の弊害は、これにとどまりません。

 なまじっかスタート地点が「持てる」位置だと、
 物の見方が減点主義になってしまいます。
 もちろん、人物に対して厳しい見方をしてしまう、そして人の気持ちに鈍感になってしまうことは言うまでもない。
 それだけでなくても、人生、いろいろとあるものです。
 当然、転落だって、ないとは言い切れない。
 その転落した時が問題で、
 恵まれていない、報われない目に遭っておかないと、
 いざ転落してしまった段に「なんでこんな目に…」と、引きずってしまいやすいのです。

 こんな話をしてしまえば、ヒガミだと思われても、
 まあ仕方がないのかもしれません。
 しかし、諺には「可愛い子には旅をさせよ」というものがあります。

 「あまりに恵まれすぎて、あとは失うだけ」というのと、
 「最初は「持てない」けど、少しずつ幸せの感度が上がり、「持つ」楽しみが本当にわかる」場合では、
 間違いなく、後者がいいですよね

 「失うだけ」なんていう意識を持つなんて、
 精神衛生上、絶対によくありません。

 ここからは余談ではありますが、
 私はもちろん、両親には感謝していますが、
 そういう意味でも、少し厳しく育ててもらってよかったと思っています。

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