百日紅(さるすべり、栃木県小山市)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
満足感の対義語として、不足感いう言葉がありますよね。
四六時中、ずっと満足して生きていられれば、
それは人生あがったりです。
しかし、現実はそうは甘くありません。
生きていればお腹も減るし、生理的な欲求は出ます。
さらに、すれ違いもあれば、失敗もする。
つまり、「自分には足りないものがある」と自覚出来てはじめて、
私達は生きていくことが出来るのです。
そして、不足感があればこそ、
反省し、謙虚に生きることが出来たり、
向上心を持つきっかけになるわけです。
しかし、味方であるハズの不足感で心が一杯になると、
それは逆効果になってしまいます。
なぜでしょう!?
☆ ☆ ☆
足りないものに意識を向けることは、前述のようにもちろん大切なことです。
しかし、意識を向けた先の態度こそが、
不足感というものを的にも味方にもするのです。
自分には足りないものがある。
力が足りないと思っている。
どうも自分にはないものを求められていて悔しい。
誰しもこんなつらい思いを経験くらい、
一つや二つ、あると思うんです。
ところが、「自分が至らない」という点は同じでも、
それを穴埋めするか、
不足を嘆いて終わるか、
このどちらを採るかで結果が違うことは明らかです。
自分の圧倒的な至らなさや無力感の前にひれ伏してしまい、
何もなす術がなくなってしまうことがあります。
特に向上心の強い人に多いのですが、
理想を見るあまりに自分の至らなさが身に沁みて身動きが取れなくなってしまいがちです。
そしてまた悲しいかな、周りから見ても、
心の奥底に本当は強い向上心を抱いていながら、
表面上は無気力にしか見えなくなってしまう場合があります。
つまり、最も縮めるべき理想と現実のギャップが、
その強い気持ちゆえ、かえってブレーキになってしまうことがあるのです。
しかし、そんな時こそ思い直すことが必要です。
どんなに現状で手に入っていないものがあろうと、
自分が持てるレベルからしか積み上げることは出来ません。
どんなに低い位置にいようが、
そこから始めるしかない、そこからしか歩けないのです。
要求されている能力、あるいはポテンシャルを発揮することが出来ない。
和食が得意なのにフランス料理ばかり作ってほしいと言われる。
好きな人は軽い人は嫌いなのに、自分はどうも軽く思われがちだ。
サッと挙げただけでも、いくらでも「至らない」例は出てきます。
しかし、その至らなさを嘆いたところで、
私達は現実には変身することが出来ないわけです。
もちろん、不足感がいかにつらくて重いものか、
それがためにフットワークが下手になること、
これは誰もが抱えている弱さでもあります。
しかし、どんな場所でも出発点には出来るのです。
ポーカーでは配られたカードを最大限に活かすことが求められますが、。
それと同じなんです。
自分に与えられたものが乏しくても、
ゼロではありません。
増して、そこから歩けないわけではない。
変な日本語になりますが、
「自分を少しでも最大限に活かす態度」こそが、
全ての人を救い、繋ぐのです。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
満足感の対義語として、不足感いう言葉がありますよね。
四六時中、ずっと満足して生きていられれば、
それは人生あがったりです。
しかし、現実はそうは甘くありません。
生きていればお腹も減るし、生理的な欲求は出ます。
さらに、すれ違いもあれば、失敗もする。
つまり、「自分には足りないものがある」と自覚出来てはじめて、
私達は生きていくことが出来るのです。
そして、不足感があればこそ、
反省し、謙虚に生きることが出来たり、
向上心を持つきっかけになるわけです。
しかし、味方であるハズの不足感で心が一杯になると、
それは逆効果になってしまいます。
なぜでしょう!?
☆ ☆ ☆
足りないものに意識を向けることは、前述のようにもちろん大切なことです。
しかし、意識を向けた先の態度こそが、
不足感というものを的にも味方にもするのです。
自分には足りないものがある。
力が足りないと思っている。
どうも自分にはないものを求められていて悔しい。
誰しもこんなつらい思いを経験くらい、
一つや二つ、あると思うんです。
ところが、「自分が至らない」という点は同じでも、
それを穴埋めするか、
不足を嘆いて終わるか、
このどちらを採るかで結果が違うことは明らかです。
自分の圧倒的な至らなさや無力感の前にひれ伏してしまい、
何もなす術がなくなってしまうことがあります。
特に向上心の強い人に多いのですが、
理想を見るあまりに自分の至らなさが身に沁みて身動きが取れなくなってしまいがちです。
そしてまた悲しいかな、周りから見ても、
心の奥底に本当は強い向上心を抱いていながら、
表面上は無気力にしか見えなくなってしまう場合があります。
つまり、最も縮めるべき理想と現実のギャップが、
その強い気持ちゆえ、かえってブレーキになってしまうことがあるのです。
しかし、そんな時こそ思い直すことが必要です。
どんなに現状で手に入っていないものがあろうと、
自分が持てるレベルからしか積み上げることは出来ません。
どんなに低い位置にいようが、
そこから始めるしかない、そこからしか歩けないのです。
要求されている能力、あるいはポテンシャルを発揮することが出来ない。
和食が得意なのにフランス料理ばかり作ってほしいと言われる。
好きな人は軽い人は嫌いなのに、自分はどうも軽く思われがちだ。
サッと挙げただけでも、いくらでも「至らない」例は出てきます。
しかし、その至らなさを嘆いたところで、
私達は現実には変身することが出来ないわけです。
もちろん、不足感がいかにつらくて重いものか、
それがためにフットワークが下手になること、
これは誰もが抱えている弱さでもあります。
しかし、どんな場所でも出発点には出来るのです。
ポーカーでは配られたカードを最大限に活かすことが求められますが、。
それと同じなんです。
自分に与えられたものが乏しくても、
ゼロではありません。
増して、そこから歩けないわけではない。
変な日本語になりますが、
「自分を少しでも最大限に活かす態度」こそが、
全ての人を救い、繋ぐのです。
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