青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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自己否定=自己愛。

2010年10月10日 19時17分36秒 | 青裸々日記。
サルビア(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 自分の至らなさ加減が身に沁みて、自分を放棄したくなることがあります。
 「自己嫌悪」というやつです。
 悲しいかな、「生きている」ということは、
 すなわち「自分とは一生お付き合いしていく」ということです。
 つまり、自己嫌悪も過ぎれば自分とお別れする方法である、
 「捨て鉢になる」か「自殺する」しか、選択肢がなくなってしまいます。


 ただし、それは「自己嫌悪が過ぎれば」の話。

 子供の躾(しつけ)をする上で、悪いことをしたら
 「やめなさい!」
 「ダメだよ!」
 こう言って注意するのは、ある意味、当たり前の話ですよね。
 自己嫌悪というのは、それを自分自身に対してやっているだけの話。
 逆に言えば、自己嫌悪する裏には、
 必ず輝かしい理想や希望が隠れているということです
 人間、期待をしていないものには落胆もしません。
 同じ掃除機でも、
 安物で間に合わせたものが使えない場合と、
 「これぞ!」と高いお金を出して買ったものが機能しない場合、
 どちらがムカつくかというと、明らかに後者であることは言うまでもありませんよね。


 さらに、もうひとつ。

 思い入れのあるもの、大切に思っているものほど、
 「傷つけたくない」
 「酷い思いをしてほしくない」
 と思えるのが、私達人間というものですよね。
 「大切なものに道を誤ってほしくない」と思えればこそ、
 叱り付けるわけです。
 自己嫌悪できる人は、それの自分バージョンをやっているということ。
 自分が変な方向に行くのを「よくないこと」とハッキリと認識できるからこそ、
 それをしてしまった、かけがえのない大切な自分のことを考えられている、とも言える
わけです。


 自己嫌悪も過ぎれば自分をダメにしてしまいますが、
 自分自身を大切にしたい人、向上心のある人、
 あるいは、自分自身を伸ばして、誰かのためになりたい人ほど、
 自己嫌悪するきっかけに苛まれるもの。
 しかし、本来、自己嫌悪というのは健全なものであるハズです。


 「自分を好きになりましょう」とか言うのは簡単です。
 しかし、自分自身を大切に思えればこそ、
 堕落したり、腐っている自分を受け入れることが出来るかどうかと言うと、
 いつもそうとは限りませんよね。


 自分を大切にする方法、
 これは沢山あるのです。

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