青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

自分という土台。

2011年03月27日 22時48分30秒 | 青裸々日記。
寒緋桜(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人の心配をしてあげる。
 困った人がいたら、力になってあげる。

 心の優しい人ほど、こういう気持ちを持っているものです。
 言うまでもなく、そういった気持ちは尊いものです。

 さて、気持ちを持っていることのみならず、行動に移せたら、それはもっとすごい。
 ただし、行動に移すだけでも、実はまだ詰められる要素があるのです。
 「気持ちを持っていること」と「実際に気持ちを行動に移す」こと、
 この2つだけでも大変なことですから、他に目が行かなくなってしまうのも頷ける話ですが、
 一体それは、なんでしょうか!?



 焦らすようで申し訳ないのですが、
 一緒に考えてみましょう。

 「ルームメイトや家族、恋人」といった、一緒に住んでいる人が、
 精一杯がんばって、クタクタになって帰ってきたとしましょう。
 そこで、「よし、カレーでも作ってあげようか」と思うこと、これが「気持ち」の段階ですね。
 次に、材料を買い込んでご飯を炊き、具を仕込んでおく、これが「行動」の段階です。
 さて、ただ漫然とカレーを作れば、
 相手はどんなものをどんなふうに出しても、
 喜んでくれるでしょうか?

 …違いますよね。
 ・具が食べやすい大きさや固さになっているか
 ・ルーの好みが、相手に合っているか
 ・タイミングを見計らって、出来立てを出せる時間を逆算できているか
 こだわればキリがありませんが、
 結局、料理の腕がなければ、相手の口から感謝の言葉が出ようと、
 実は「ありがた迷惑」になってしまう危険すらあるのです。


 どんなことでもそうです。
 要するに、「いくら気持ちがあろうと、それなりの財産や能力がなければ、相手にきちんとした優しさとして伝わりにくい」という点、
 ここが、とても曲者かつ見落としやすい点なのです。


 気持ちが優しい人ほど、「自分がなんとかしなければならない」とか「指を加えて見ていられない」と、
 感情が先走ってしまいがち。
 しかし、自分の未熟さゆえに、かえってその気持ちがマイナスに働いてしまうことがある、
 こんなお話をしたいのです。



 ここまでお話すると、救いようのなさを感じてしまう人がいるかもしれませんが、
 そんな場面でも「なんて小さな自分…」などと嘆く必要はありません。
 「カレーを作りたくても、料理の腕がなければ意味がない」というお話をしましたが、
 なに、差し出すものがカレーでなければならないとは、誰が決めたわけでもありません。
 もし料理の腕がなくても、お弁当屋さんに走って行くもよし、
 レトルト食品を使うもよし、
 あるいは、近くの自動販売機で飲み物を買ってくるだけでも、
 「気持ち」は伝わります。
 当面はそうやってしのぐとして、その間に料理の腕を磨き、
 いつかおいしいものを作れる日を目指していればよいのです。


 自分に出来る範囲で、精一杯出来ることはしておく
 一方で、自分が至らなくて悔しい思いをしたなら、
 その気持ちを自分を磨くために使う

 簡単なことですよね。
 「人を助けたいけど…」とうそぶいて話を難しくしているのは、案外自分自身なのかもしれませんよ!?

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