善福寺公園のムクゲ(東京都杉並区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
わがまま放題の人は、何かと嫌われがちです。
自分の都合ばかり優先させて、しかもそれを人に押し付けていては、
結局は都合を押し付けられた側が犠牲になってしまうだけだからです。
本来、人間はそれぞれにいろいろな欲求があるものですが、
他方で人と協力していかなければ、出来ないこともある。
そこで、適度に自分の要求を伝えつつも、角が立たないように振る舞うことが求められるわけです。
ここまでお話しすると「そっかあ、やっぱり我慢は必要なんだよね!」ということで終わってしまいそうですが、
実は、一番大切なのは「我慢」ではなく「適度に」という部分なんです。
わがままをし過ぎるのも良くないのですが、「我慢」をし過ぎるも毒になりえるのです。
「キレる」という言葉、あるじゃないですか。
突如として怒り狂い、攻撃性の強い言動に出ることを指すわけですが、
結局は「自分の要求を伝える機会に恵まれず、フラストレーションを限界まで溜めた成れの果て」ということに集約されると思うのです。
ホースだって口を縛るほど水が強く出るように、
人間の感情も、我慢が続けばどこかに歪みが出て、思わぬ場所で不本意な出方をしてしまうのです。
「キレる」という場合にとどまらず、問題行動をする人は、
「どこか無理な我慢を続けているかもしれない」と疑ってみる価値はあります。
しかし、です。
我慢をすればするほど「出来た人」と言われ、人間も良くなるのは事実。
しかし、我慢をし過ぎてもダメ。
そこで私は、「自分がしたいわがままって、どんなものなんだろう?!」と自問自答してみることをオススメします。
「わがまま」というのが我慢している部分なら、
「どんな我慢をしているか」もわかります。
そうすると、フラストレーションが重なって暴発するのを、未然に防ぐことができる。
自分のケアをしておけば、自然と周りの空気も良くなるのです。
「わがままはダメ」と言われますが、たまには思い切りわがままをしてみたいのが人間というもの。
「わがままなことをする」のはいけませんが、
「自分がわがままなことを知る」のは、少しも悪いことではないのでしょうか!?
わがままは水際で食い止めましょうね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
わがまま放題の人は、何かと嫌われがちです。
自分の都合ばかり優先させて、しかもそれを人に押し付けていては、
結局は都合を押し付けられた側が犠牲になってしまうだけだからです。
本来、人間はそれぞれにいろいろな欲求があるものですが、
他方で人と協力していかなければ、出来ないこともある。
そこで、適度に自分の要求を伝えつつも、角が立たないように振る舞うことが求められるわけです。
ここまでお話しすると「そっかあ、やっぱり我慢は必要なんだよね!」ということで終わってしまいそうですが、
実は、一番大切なのは「我慢」ではなく「適度に」という部分なんです。
わがままをし過ぎるのも良くないのですが、「我慢」をし過ぎるも毒になりえるのです。
「キレる」という言葉、あるじゃないですか。
突如として怒り狂い、攻撃性の強い言動に出ることを指すわけですが、
結局は「自分の要求を伝える機会に恵まれず、フラストレーションを限界まで溜めた成れの果て」ということに集約されると思うのです。
ホースだって口を縛るほど水が強く出るように、
人間の感情も、我慢が続けばどこかに歪みが出て、思わぬ場所で不本意な出方をしてしまうのです。
「キレる」という場合にとどまらず、問題行動をする人は、
「どこか無理な我慢を続けているかもしれない」と疑ってみる価値はあります。
しかし、です。
我慢をすればするほど「出来た人」と言われ、人間も良くなるのは事実。
しかし、我慢をし過ぎてもダメ。
そこで私は、「自分がしたいわがままって、どんなものなんだろう?!」と自問自答してみることをオススメします。
「わがまま」というのが我慢している部分なら、
「どんな我慢をしているか」もわかります。
そうすると、フラストレーションが重なって暴発するのを、未然に防ぐことができる。
自分のケアをしておけば、自然と周りの空気も良くなるのです。
「わがままはダメ」と言われますが、たまには思い切りわがままをしてみたいのが人間というもの。
「わがままなことをする」のはいけませんが、
「自分がわがままなことを知る」のは、少しも悪いことではないのでしょうか!?
わがままは水際で食い止めましょうね。
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