青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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なにをしても許されるなら。

2011年12月25日 16時40分43秒 | 青裸々日記。
十字架(東京都内にて)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「どんなことをしても、あなたは許されます」。

 もし神様からこう言われて、ためしにちょっと悪いことをして本当にバチが当たらなかったら、
 皆さんはどうしますか!?

 日頃の鬱憤を晴らす人もいるでしょう。
 不正を働く人もいると思います。
 あるいは、趣味が趣味なら、自分を崇拝するように強いることをするかもしれません。



 でも。


 与えられた自由は、悪いことに使っていられるほどのものではないのです。
 あまりに抽象的すぎる言い方ですから、わからない人もいると思います。
 わかりやすくかみ砕いて言うと、
 「悪いことをやってみたい」
 「罪と知っていても突っ込みたい」
 こういう「悪いことをしたい欲求」って、必ず衝動的かつ一時的なものなんです。
 やったらおしまい。
 「悪いことをする行為」が完了したら、実はもう何も残らないのです。
 だから、人間は無限の自由が与えられたとすると、
 一時期は悪い方向に走っても、最後には必ずよい方向に向かうのです。


 「いやいや、それはおかしい。悪いことをする人はいるし、人となりのよくない人だっている」。
 そう言われればそうです。
 でも、悪いことを繰り返すというのは、
 フラストレーションが溜まりやすい環境にあるか、
 悪いことしたのにそれを悪いと思わないように、自分を麻痺させるためにやるか、
 このどちらかなんです。
 特に、後者はよくあるパターン。
 たとえば、「いじめを繰り返す子供」というのが問題になりますが、
 あれは「自分は理由があって人をいじめるんだ」と思い込みたいわけです。
 しかし、平常心というか、落ち着いている間は「いじめは悪いこと、だから自分は悪者なんだ」という心理になる。
 そうすると、自分が悪者であるいう図式に耐えられなくなり、
 自分を正当化する方法を考えるわけです。
 しかし、明らかに悪いことを正当化するのは難しいこと。
 そこで、人をいじめている間は「いじめるなりの気持ち」を味わえますから、
 自分が悪者だと感じにくくするために、中毒のように繰り返してしまうのです。



 しかし。


 どんな理由があれ、悪いものは悪い。
 しかも、一時的な衝動に駆られて悪いことをすれば、悪い感情は吹き飛ぶのです。
 しかし、「フラストレーションが解消された、なんにも悪くない自分」と「悪いことをして、罪を背負った自分」という、
 悪さをしでかす前後で釣り合いが取れなくなってしまう。
 ここに問題があるのです。


 ということは、大元を断ち切るしかない。
 そう、悪いことをしたがる大部分は、だいたいくだらない欲求によるものだと自覚し、また省みることです

 人間、本当は愛ある行為を欲する生き物なのです
 悪いことをしてしまうのは、一時的な衝動なり、悪い習慣なりがあるからこそのこと。
 そのことを確認することが、悪い衝動に惑わされないために大切なことなのです。


 無限の自由があるなら、どんなことをするか。
 それを考えれば、きっと自分も小さな存在ではないことがわかるハズです。

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