ライム藩

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摩周丸

2014年07月20日 | 交通関連

函館の摩周丸記念館です。中は展示室に改造されてしまってましたが当時の面影がうかがえました。

中で説明されている方(75歳位?)がトテモ詳しい方で私の質問にも明解に回答して下さいました(あの人ただ者ではない、絶対もと乗組員だ)。

昭和29年位迄、上野からの1等寝台だけをそのまま船に乗せて札幌まで直通運転してたんですよね?と当時の時刻表(もちろん復刻版)を見てて不思議に思ってた事をお尋ねした所、あれは終戦後GHQの命令で始めて昭和27年頃に日本人の利用が認められた。しかし当時の日本人の生活は貧しくアノ1等寝台を利用できた日本人は何人いたんだろう。そして昭和29年青函連絡船の事故で旅客の直通運転は止めになった……との事でした。

また、以前は石炭による蒸気船でボイラーの火を絶やさないよう苦労した事やガラ(石炭の燃えかす)を海に捨てていた事など……。しかし蒸気船で4時間30分とは…かなり頑張ってましたね(その後の新型の船は3時間50分)。

摩周丸、貨車を乗せる所は見れるんですよね?と聞いた所、アスベストが使われてるので公開出来ないとの事。これは是非見たかった。残念です。

TOPの写真、
・摩周丸くん、凄いお久しぶり~36年ぶりだょね。煙突のJNRマーク か誇らしげだよ。
・ グリーン(指定)船室、今にも出航しそうです(座席配置と荷物置き場が当時と違いますが…)。
・ブリッジに入るのは初めてです。
・このデッキで幾つもの別れが…あったんですよね。
・さらば、栄光の日々よ。
です。

摩周丸くん、一時期東京で展示されてたようです。函館に戻れて良かったね。

 

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