は・ひ・ふ・へ・ほー日記  ~ ho diary ~

最愛何潤東、趣味はピーター・ホーというミーハーファンが、ひたすらピーターのことを語るPeterHo溺愛日記

『黒色翅膀』考

2007-11-30 00:10:51 | 何潤東

Peter初監督作品『黒色翅膀』の歌詞、及び、MVの世界をどう解釈すればよいのか?
北京語を充分に理解できない、単純なsupiaは、こう思っていました。

『黒色翅膀』の歌詞は、ずいぶん抽象的というか観念的というか、これはちょっと北京語知っているというだけでは手に負えそうにないなあ。

これに対して、拙blogにコメントを寄せてくださる潤さんから、『黒色翅膀』ワールドについて詳細な解説をいただきました。
おおっ、なるほどなあ…と感動したsupiaですが、1人でこれを読むのはもったいない、これは是非他の Peter's fans にもご覧いただきたい、と考えました。
そこで、潤さんに掲載のお願いをして御了承いただき、皆さんにも『黒色翅膀』の世界をご紹介いたします。


…『色翅膀』の歌詞を抽象的っておしゃってましたが、詩だけ読むとそうですね。
たしかに詩は余計な説明はつけられないから、抽象的になるのは仕方がないかもしれない。
でも詳しく解釈すると、次のようになるんです。

罪を犯した暗い過去を背負っている僕には、君の憧れるような美しい世界には入っていけない。
いくら目を背けても自分の過去は真実として目の前にあって、目を離してもそれから逃れられるわけではない。
だから、君の描いている夢の王国で君の隣にいる国王にはなれない。
でも、そんな自分から逃れたくて、君への愛の感覚にこの身を委ねてみるけれど、やはり現実という名の重荷を背負って僕たちはこの旅を続けなければならない。

おまえには黒い翼が生えている、黒い翼で天国の空は飛べない。
(これは第三者、いわゆる悪魔のような負の力が、あるいは自分の心の中の負の力が彼へ呼びかけている。天使の白い翼ではなく悪魔の黒い翼だから、おまえはそこからたとえ逃れたくても、その翼があるかぎり逃れられない、過去からは逃れられない)。

それでも、それを振り切って天国(清く美しい世界)へ彼らは向かおうとする。
でも精霊たちの、彼らたちに与える冷たい、非難するような視線(彼らに対して、お前たちはそこに向かう資格がない、おまえたちは我々とは相容れないと)が、彼らを地の底へと突き落とす。

(ここ以降は、彼が自分の過去の傷から抜け出ることは不可能と知ったことに対する絶望、自暴自棄な気持ちから来る自分に対する嘲りとも、悪魔の呼びかけにも両方取れるけれど)

僕(おまえ)はこの黒い翼をたたむことはできない、ただ暗闇に存在する薄明かりのなかを彷徨うだけだ。
たとえその身に多くの光をまとってみても、それは見せかけだけ、天使の衣を着た狼のように、たとえ偽ってもその本性は変えることはできない。
だから偽らずにいっそその黒い翼を誇示するがいい、天使を気取ったその白い衣はお前にとっては武装にすぎない。

(汚れたお前が、清い世界で自分を隠して生きていくための、あるいは戦うための武装に過ぎない、武装というのは要するに自分を偽るための殻)

だからそんなものは脱ぎ去って、その翼でお前の属する世界(天国、美しい幻想の世界、清い世界ではない世界)へ飛び立っていくがいい。
お前が頼れるのは神ではない、悪魔こそお前が頼れる唯一の存在なのだから。

この詩は主人公となっている人物が過去に負った心の傷に苦しみ、そこから解放されたくても解放されない葛藤を歌った曲、
詩にはこういう長い説明はもちろんつけられないから、ピーターがこの曲について発言していることなどを知らなければ意味がよくわからないかもしれないですね。
ピーターがこの曲のMVはDVをテーマにしているって言っていますね(作詞家した人の意図は別として)。
「DVを受けている幼馴染の彼女を助けるために起こした行動が彼の悲劇へとつながる、このプロモーションを通じて健全な家庭や両親の愛情が子供にとってどれだけ必要なことなのかを伝えたい、なぜなら小さい時に負った心の傷はそう簡単に消えるものじゃない、その子のすべての運命を狂わすことになりかねない」って。


どうもありがとう、潤さん!
ここまで深く踏み込んだ解釈をくださって、感謝!感謝!です。