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Sunset Cafeへようこそ

いつか、夕日の美しい絶景の地にカフェを・・と願う私のバーチャル・カフェ。未知の音楽と人との出会う場所。

イブニング・イン・ザ・パーク

2008-05-06 20:44:27 | たまに聴くならこの一枚

(2008.05.04 井の頭公園)

ふと思い立って配偶者を誘って吉祥寺のジャズライブハウス・「サムタイム」に
やってきました。
休日の午後のんびりとビールでも飲みながらリーズナブルなチャージでジャズライブというのは
悪くない休日の過ごし方だと思いませんか?

ジャズライブは「小金井Unit」のとても暖かさの感じられ、それでいてビシッと
締まった演奏でしたが、特にハービー・ハンコック作の「ジ・エッセンス」という曲が最高でした。
洒脱なピアノのお姉さまと芸達者なヴォーカルのナンシーさんがピタリと息が合って、”What's your number ? ”と
ハモるところなど、そのかっこよさに思わずゾクゾクとしましたね。
それから冒頭に演奏されたウェイン・ショーター作の「アウンサン・スーチー」と
いう曲も良かったなあ・・。どちらも私が初めて聴く曲でした。

「サムタイム」の2ステージを観た後でもまだ昼間の名残が残っていました。

井の頭公園は新緑の木々に夕方の陽光がふりそそぎ、長い影を落としています。
さっき聴いたばかりのジャズのせいもあって、私はたちどころにケニー・ドリュー
の「夕暮れの公園」という曲を連想しました。
昼でもない、夜でもない、あと数10分で暗くなる、その寸前の公園です。
一瞬、すべての時間が停まってしまったかのような、安らぎに満ちた時間でした。
落日は池の水面に反射しキラキラと光り、若葉は落ちようとする陽光を受けて
美しいシルエットを演出し、ほんの10分ほど全てが燃え上がるように輝やき
すぐに夜の闇がやって来ました。

なにか憂いのある、メランコリックな、郷愁を誘われる時間でした。

パリ北駅着、印象
ケニー・ドリュー・トリオ
エム アンド アイ カンパニー

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ジリオラ・チンクェッティの「雨」

2008-05-03 12:26:11 | たまに聴くならこの一枚

(2008.05.03 午前10時頃)

霧のような五月雨にツツジ。
しっとりして、良いですなあ。

連休の初日は昨夜来の雨で明けました。雨降りだけど、晩秋や冬の雨と違って
「暖かい雨」です。
東京の街の中は至るところ、目に眩しいほどの新緑とツツジのピンクの対比が
鮮やかです。

こんな明るい暖かな雨のせいか、ジリオラ・チンクェッティの「雨」を思いだしました。
日本語の「雨」という語感からはやや暗く
しっとりしたイメージを連想しますが、「ラ・ピオージア」というイタリア語の語感は何となく、日本の雨とは
違って明るく心浮き立つような雨の感じがしませんか?
この歌もアップテンポで楽しげな雨の歌です。

あの頃、この曲は日本中で爆発的にヒットして毎日毎日ラジオから流れていましたね。
(まだTVがなかった時代だったと思います)。
思えばあれから随分と時が過ぎてしまったのですなあ・・・。



ベスト・オブ・ジリオラ・チンクェッティ
ジリオラ・チンクエッティ
イーストウエスト・ジャパン

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フィガロのカヴァティーナ・「もしも踊りをなさりたければ」

2008-04-16 23:29:10 | たまに聴くならこの一枚

(2008.04.16 新宿御苑)

昼休みを利用して新宿御苑にやってきました。

どこを見渡しても色鮮やかな新緑が一杯で思わず目を奪われます。
ケヤキ、桜、柿,イチョウ、カエデ、全ての木々の新芽が一斉に萌え、思わず
浮き立つような気になります。

私はこのような新緑を見ると、条件反射的に大好きなモーツァルトのオペラ・「フィガロの結婚」の、
幕が揚がって間もなく出てくる主人公・フィガロが歌うこのアリアを思い浮かべます。

♪ セル・ヴォル・バラーレ、シニョール・コンティノ ♪

と、ヘルマン・プライが知性と陽気さを感じさせるあのバスで、悠然とそして
さっそうと歌いだすこのアリアは、私が「フィガロ」の中で一番好きな歌であります。
この歌と新緑のシーンは、私の頭のどこかでしっくりと収まり、歌を聴くと
新緑シーンが、新緑を見ると歌が自動的にアウトプットされる、というわけです。
それにしてもこの歌ほど新緑に良く合う歌はないでしょうなあ・・。

このCD一枚に「フィガロの結婚」のエッセンス・聴き所がギッチリと詰まっていてそれこそ申し訳ないほど素晴らしい!
このCDをカーステレオで流しながら、新緑の森の中をゆっくりとドライブすると
自分がモーツァルトの音楽が創り出すモーツァルトワールドの一部になってしまったような心地がして最高の気分ですよ! 

私はたまにそれをやるんですよ・・・。

モーツァルト:フィガロの結婚 ハイライツ
ベーム(カール),プライ(ヘルマン),フィッシャー=ディースカウ(ディートリヒ),ヤノヴィッツ(グンドゥラ),マティス(エディット),トロヤノス(タティアーナ),ジョンソン(パトリシア),ラッガー(ペーター),ヒルテ(クラウス),フォーゲル(バーバラ)
ユニバーサル ミュージック クラシック

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フランソワ・クープランの「空想にふける女」

2008-03-16 21:46:57 | たまに聴くならこの一枚

(2008.03.16 御茶ノ水女子大学)

木蓮が一斉に咲き始めました。
これは紫木蓮(シモクレン)ですが、紫色のケープをまとった貴婦人を連想
させるその姿は、何とも言えず優雅ですなあ・・。

ところで、クラシック音楽にも一つ一つの音楽作品に女性を表す表題を付した作曲家がいます。
私の好きなフランソワ・クープランです。
クープランの膨大な数のチェンバロ曲にはすべて表題がつけられ、以前ここで
ご紹介した「恋の夜うぐいす」などがその典型的な例です。
またクープランのチェンバロ曲の多くには、「・・・な女」と言う風な表題がついていて何やら現代風ですが、
彼はバッハより古い時代の17世紀後半~18世紀前半・ルイ王朝時代の作曲家なのです。

例えば、
「おしゃべりな女」・・・第6組曲
「いじらしい女」 ・・・第18組曲
「空想にふける女」・・・第25組曲
「とげのある女」 ・・・第26組曲
という風にです。

一体、「空想にふける女」を、中世バロックの時代に生きたクープラン氏自身がどのような
「空想にふけりながら」この曲を作ったのか、誰かモデルはいたのか、など等
第一の大きな興味です。
第二の大きな興味はこのチェンバロ用の曲をカナダの才媛・アンジェラ・ヒューイットがどのようにピアノで
弾きこなすのかという点です。

聴いてみてびっくりです!
どの曲も何とも形容しがたい優雅さに満ち、クープランの音楽が部屋に流れた
だけで部屋の中に、みやびな豊かさが生れるような気がします。
私は特に第25曲集の「空想にふける女」と、それに続く「神秘的な女」が大好き
になりました。
「一体、クープラン氏はどんな女性をモデルにしてこんな曲を作ったのだろう?」
と思い始めると、ますます一つ一つの曲が謎に満ち、面白くなりました。

このCDはここ最近に聴いたCDの中で特筆に値するくらい良い感じでしたよ。











早春の空に咲く紅梅のたたずまい・・・リニー・ロスネス・トリオ

2008-02-27 21:39:59 | たまに聴くならこの一枚

(2008.02.24 文京区小日向(こひなた)の北野神社)

リニー・ロスネスの繊細でソフトなピアノタッチにすっかり魅せられました。
特に冒頭一曲目の「ア・タイム・フォー・ラブ」を聴くと身も心も癒され、
やさしく肩でも揉んでもらった心地がして、かなり一杯欲しくなります。

ジャズピアノといえば、男性ピアニストが圧倒的に多い中で、リニー・ロスネス
のピアノは明らかに女性らしいソフトで、ホンワリ・ハンナリした優しさに
溢れています。
「おお、いいねぇ、これ!」と、きっと思うことでしょう。
3曲目の「ラッシュ・ライフ」なんか他の人の演奏と比べると特にリニーの
良さが際立っています。こういうピアノ・トリオっていい感じだなあ・・・。

でもここだけの話だけど、私はリニー・ロスネスってヴォーカルだとばかり思い込んでいて、
このCDもジャズヴォーカルのつもりで買ったんですわ。
(結果的にそれはうれしい誤解だったんだけど)。
でも美しくも知的なその横顔だけ見てると、ジャズヴォーカルだと思い込むのも
無理ないと思わない?


ア・タイム・フォー・ラヴ
リニー・ロスネス・トリオ
ビデオアーツ・ミュージック

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最近聴いたCDで一番良かったこの一枚

2008-02-13 23:43:12 | たまに聴くならこの一枚
詩曲 ~poeme
諏訪内晶子
ユニバーサル ミュージック クラシック

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私はプロの音楽家ではなく一介の街の音楽好きオヤジに過ぎない。
だから音楽CDを聴いて、その演奏の優劣を語る事は出来ない。
私に出来るのは、その演奏を私が好きか嫌いか、この一点のみです。
では、その演奏の好き・嫌いはどこで別れるかと言えば、その演奏がどれだけ
私の心を揺さぶるか、これであります。
心を揺さぶられなければ、どんな名曲であってもどんな巨匠の演奏であっても
私の耳元を通り過ぎるだけのことです。

年が明けて今日までのほぼ1ケ月の間、私はこの諏訪内晶子サンのヴァイオリンの音色に魅せられ続け、
彼女の出した全てのCDを聴いてみました。
「Poeme 詩曲」は、彼女のCDに夢中になったその第一号のCDタイトルです。
私は感動で心を揺さぶられ、そのヴァイオリンの音色の美しさに目頭が熱くなりました。

この人のヴァイオリンはどうしてこうまで私の心を感動させるのだろう?
それが私にも分からず、違いを知りたくて他のヴァイオリニストの演奏も
聴いてみました(私が聴き比べしたのは主にムター、グリュミオーの二人です)。
そしてその理由が何となく分かりました。

例えば巨匠と言われるグリュミオーは演奏の優劣から言えば恐らく諏訪内さんより
優っていることでしょう。
しかし私は諏訪内さんの演奏の中に潜む、「何も無いこの闇の空間から真に美しいものを創り出したい」という
気迫のような強いメッセージを感じます。
結果的にそれは一音一音の丁寧な音作り、音の豊かさとなって、その音の向こうに
イメージできる世界があるのを感じます。
もうひとつ私が諏訪内サンの演奏で際立っていると感じたのは、その演奏から
にじみ出てくる「ひたむきさ」、「音楽に向かい合う謙虚さ」です。
CDを聴きながら読んだ諏訪内サンの自著「ヴァイオリンと翔る(NHK出版)」を読んで、私が彼女の演奏から感じた
ひたむきさ・謙虚さを活字で改めて納得させられました。

サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ 作品28」と
「ハバネラ 作品83」が私が特に好きな、諏訪内サンらしい魅力に溢れた演奏です。


春の足音・・・・ルー・ドナルドソンの「ブルース・ウォーク」

2008-01-27 18:44:30 | たまに聴くならこの一枚

(2008.01.27 文京区目白・椿山荘)

極寒の中でも、春一番に花咲き出す花、それがロウバイですね。
(と聞いて、狼狽してはいけません)。
あの黄色の蕾や花がけなげに寒風の中で身を震わせながら咲き始めたのを見ると
「オッ、おぬし頑張っておるのう・・!」と、何やらこちらまでとてもうれしく
なるのでありますね。

「よし、春はもうすぐだ。しょぼくれてないで胸を張って歩こうか!」という
気になって聴くのがルー・ドナルドソンの「ブルース・ウォーク」ですよ。
この人は昂然と前方をみて元気に歩くのでありますね、もちろん、ドドンパ調
のリズムに乗ってね。

えっ、ドドンパなんて知らない?
そうか、最早戦後は遠くなりにけりか・・・(黙)。
戦後の高度経済成長期に突然現れ、当時の日本中を一時期席捲したのがこの
「ドドンパ」のリズムでありますよ。
(ドドンパ娘なんてのもいましたけど歌手名を忘れてしまいました)。
そのせいかこの曲を聴くと妙にその頃の事が懐かしく思い出されるのです。
その頃、「ファンキー・ジャズ」と言うジャズの流れが世の中を風靡したわけですがこの曲もその「ファンキーさ」を
ひしひしと感じさせてくれる1曲でありますね。
私もファンキージャズの大ファンであります。

ファンキー,または、ドドンパは別としても,私がこの曲を好きな理由はその
レコード(又はCDジャケット)にいみじくも体現されているところの悠揚として迫らぬその姿勢でしょうな。
これこそ正に英国古諺にある「明日世界の終わりが来ようと、今日私は庭に林檎の種をまく」の心意気でしょう。

ドドンパ、万歳!

ブルース・ウォーク
ルー・ドナルドソン,ペック・モリソン,ハーマン・フォスター,デイブ・ベイリー,レイ・パレット
EMIミュージック・ジャパン

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ディーン・マーチンの「外は寒いぜ、ベイビー」

2008-01-23 22:53:39 | たまに聴くならこの一枚

(2007.01.23 自宅(ではなく、自宅近くのよその家の庭)

東京は朝からの雪。
ガキの頃は雪が降った、地面が白くなった、どんどん積もり始めた・・と、それだけの事ででワクワク、
ドキドキし、心が高揚したもんです。
さすがに今では「ああ、雪か・・」と思うだけで心は乱されません。
心の高揚を失った自分が哀しい(それでも自然の移ろいにはかなり敏感な方かも
知れませんが)。

雪でも寒くてもすんごく楽しげにマルティナ・マクブライドとのデュエットで
歌っているのは私の大好きなディーン・マーチンです。
「Baby It's Cold Outside」という他愛も無いラブソングですが、なんとも
楽しそうで、いかにも寒さなんか吹き飛んでしまいそうです。

ディーン・マーチンは何を歌ってもどこかほのぼのと落ち着けて、暖かいんです。
そういえばこの時代の人の歌って、ほのぼの感・人間味・あったかさなどの
キーワードで共通してますよね。
ペリー・コモ、アンディ・ウィリアムス、オーティス・レディング等など・・・。

Forever Cool
Dean Martin
EMI

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エセル・エニスって聴いたこと、ある?

2008-01-16 22:49:37 | たまに聴くならこの一枚
こういう人が、こんなに歌のうまい人が「知る人ぞ知る!」という感じで
野に埋もれているのをみると、さすがはアメリカ、さすがはジャズ!、奥が深い!
と思わざるを得ません。

黒人女性ジャズヴォーカルと言えば、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレー、などが往年の
名歌手と誰もが認めるところです。
(現代ではナンシー・ウィルソン、ナタリー・コールあたりでしょうか)。
しかし、誰あろうこのエセル・エニスこそ私の大好きな黒人ジャズヴォーカルで
ありますよ。
彼女は一見(一聴?)すると、とてもさりげなく余りにもサラリと自然体で歌っているせいか、見過ごされがちであります。
エラ、サラのように時として感情の高ぶりではシャウトし絶唱するような、そんな場面はエセルにはまったくないのでありますよ。

しかし、人生とは時として淡々とした日常の積み重ねであり、哀しみも喜びも
時間の経過と共に過去となっていく運命にあるわけです。
エセルの歌には絶唱は無い代わりに、そのもろくて、はかなげな歌の向こうに
どうしようもない哀しみが見え隠れするのでありますね。
例えばこのCDタイトル曲の「Lullabys For Losers」ですが、
恋に破れた女の「分かっちゃいるさ、分かっちゃいるけど・・・、どうしようも
なかったんだよう!」という人情劇のような涙を誘うシーンが見えるような、
人生の機微に触れるような良い唄ではありますよ。

このCDはもう廃盤となっていて、二度とこの世に出てこない、しかしそれにも
関わらず絶対に聞き逃せない名盤であります。
もし万一、このCDを見かけたら例え何万円払ってでも買い求めておかれる事を
お薦めします。
またもし偶然に入ったバーでこの「Lullabys For Losers」がかかっていたら
そのバーのセンスの良さに惚れ込んでも良いでしょう。
(独断と偏見の固まりである私が言うのだからマチガイはありまっせん!)。












シェリル・クロウの「ビギン・ザ・ビギン」

2008-01-05 21:54:21 | たまに聴くならこの一枚


お正月は全ての始まり・スタートの時であり、全ての始まりはおめでたいもの、
と決まっておりますな。
てなわけで1年の始まりにちなんでご紹介したい曲は「ビギン・ザ・ビギン」
であります。

お恥ずかしい事ですが、私はかなりの年齢になるまでこの曲の意味、特に終わりの
方の「ザ・ビギン」の意味を知りませんでした。
これがラテンのリズムを意味する「Beguine」である事を知った時は己れの不明を
恥じて呆然としたものでした。

それはさて置き、コール・ポーターの伝記映画「De-Lovely 五線譜のラブレター」は全ての音楽好きの人に
とって見逃せない傑作ミュージカルでありますよ。
次々とコール・ポーター作曲の1930年代の不朽のヒット曲が「今ヒット中の人」によって物語の一部として出てきますよ。
・Just One Of Those Things    (ダイアナ・クラール)
・Ev'ry Time We Say Goodbye   (ナタリー・コール)
・Love For Sale    (ヴィヴィアン・グリーン)
などでありますが、なかでもあのロック歌手のシェリル・クロウが歌う
「ビギン・ザ・ビギン」には「うーん!」とうならされます。
これまでシナトラはじめ数々の有名な歌手の「ビギン・ザ・ビギン」をそれこそ
耳タコになる位に聴いて来ましたが、これはそのどれとも全く違う!
こんなオーソドックスなポピュラーな曲でさえも、しっかりとシェリル・クロウの「ビギン・ザ・ビギン」になっていて
他のどんな歌手の「ビギン・・」とも違うのが素晴らしい!

映像と一緒にこの歌を聴いたせいもあって、また、シェリル・クロウが本来歌っているパンチの効いたロック・ナンバーの
印象と相俟って、この映画の中での彼女の歌は「爆発寸前のエネルギーをタメにタメて、満を持して歌う」といった印象を
受けましたが、その抑えた感じがまたすごく良いですなあ。
この歌のシーンを見るためだけにでもこの映画を(または映画のDVDを)観る価値あり、と申し上げておきませう。

五線譜のラブレター DE-LOVELY
サントラ,ミック・ハックネル,ダイアナ・クラール,キャロライン・オコナー・アンド・コーラス,ケビン・クライン,ヴィヴィアン・グリーン,ララ・ファビアン・アンド・マリオ・フラングーリス,ナタリー・コール,ジョナサン・プライス,ケビン・クライン・アンド・アシュレイ・ジャッド
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

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