村上春樹氏は公けに得られる情報から判断する限りでも、彼以外の多くの日本人小説家とは明らかに一線を画している部分が多いと思います。
・生産者(小説家)⇔消費者(読者)とのダイレクトの関係を成立させ、「出版社」という仲介者の企画や意向への考慮なしに執筆活動し、書く物全てが次々と読者の心に肉迫し ミリオンセラーになっている。
・その過程に於いて、(日本とのしがらみから完全に隔絶した形で)、海外(イタリア、ギリシャ、アメリカ等)を拠点に作品を生み出し、しかも生み出した作品は全て日本の大衆に受け入れられ大ヒットしている。
・村上氏は「小説家」という職業に対し我々がイメージしがちな「自由奔放な生活スタイル」とは無縁の、「きっちりした自己管理下」で執筆活動をしている。
早朝起床し、ジョッギングを愛好し、午前中だけ物を書く(恐らくはヘンデルが流れる環境下で)。
しかし村上氏の小説が際立って他と異なるのは、村上作品のどのページをめくっても、その行間から音楽が聴こえてくるような、その「小説の音楽性」にあると思います。小説のタイトルさえポップスのヒット曲のタイトルからそのイメージを転用する場合が多いのは周知の事実です;
・「ダンス・ダンス・ダンス」は
ビートルズの「ダンス・ダンス・ダンス」から。
・「国境の南、太陽の西」は
ナット・キング・コールの「国境の南」から。
・「ノルウェイの森」は
ビートルズの「ノルウェイの森」から。
・「世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダー・ランド」は
スキーター・デイヴィスの「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」から。
といった具合です。
村上作品に登場する音楽のジャンルもジャズ、オールディーズ、クラシックと多岐にわたりますが、私は村上氏の好みの中心はビーチボーイズやドアーズ、ビル・エヴァンスやスタン・ゲッツ等のように60年代の白人系の音楽であるように感じられます。
しかし、村上氏の最新作である「1Q84」では冒頭からヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という渋い曲が登場します。
村上氏が小説の中で表現したい内容や主眼点は「ノルウェイの森」がヒットした初期の頃に比べるとかなり変化してきていると思いますが、同時に小説の中の大事な味つけ・スパイスとして使われる音楽そのものも、かつてのポップス系からクラシック系の隠れた逸品へと変化していると感じるのは私だけでしょうか?
(少なくとも村上氏は最近はドアーズを余り聴かなくなり、それに反比例してヘンデルなどを好んで聴いているような気がするのですが)。
因みに私は、村上作品をよりよく分かる為には(或いは皮膚感覚でその内容を楽しむ為には)、頻繁に登場する音楽について或る程度以上の理解度が必要だと思っています。
「何故村上氏はこの場面でこの曲を登場させるのか?」を憶測しながら、また登場する曲を実際に聴きながら読むと更に一段と面白いものです。
・生産者(小説家)⇔消費者(読者)とのダイレクトの関係を成立させ、「出版社」という仲介者の企画や意向への考慮なしに執筆活動し、書く物全てが次々と読者の心に肉迫し ミリオンセラーになっている。
・その過程に於いて、(日本とのしがらみから完全に隔絶した形で)、海外(イタリア、ギリシャ、アメリカ等)を拠点に作品を生み出し、しかも生み出した作品は全て日本の大衆に受け入れられ大ヒットしている。
・村上氏は「小説家」という職業に対し我々がイメージしがちな「自由奔放な生活スタイル」とは無縁の、「きっちりした自己管理下」で執筆活動をしている。
早朝起床し、ジョッギングを愛好し、午前中だけ物を書く(恐らくはヘンデルが流れる環境下で)。
しかし村上氏の小説が際立って他と異なるのは、村上作品のどのページをめくっても、その行間から音楽が聴こえてくるような、その「小説の音楽性」にあると思います。小説のタイトルさえポップスのヒット曲のタイトルからそのイメージを転用する場合が多いのは周知の事実です;
・「ダンス・ダンス・ダンス」は
ビートルズの「ダンス・ダンス・ダンス」から。
・「国境の南、太陽の西」は
ナット・キング・コールの「国境の南」から。
・「ノルウェイの森」は
ビートルズの「ノルウェイの森」から。
・「世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダー・ランド」は
スキーター・デイヴィスの「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」から。
といった具合です。
村上作品に登場する音楽のジャンルもジャズ、オールディーズ、クラシックと多岐にわたりますが、私は村上氏の好みの中心はビーチボーイズやドアーズ、ビル・エヴァンスやスタン・ゲッツ等のように60年代の白人系の音楽であるように感じられます。
しかし、村上氏の最新作である「1Q84」では冒頭からヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という渋い曲が登場します。
村上氏が小説の中で表現したい内容や主眼点は「ノルウェイの森」がヒットした初期の頃に比べるとかなり変化してきていると思いますが、同時に小説の中の大事な味つけ・スパイスとして使われる音楽そのものも、かつてのポップス系からクラシック系の隠れた逸品へと変化していると感じるのは私だけでしょうか?
(少なくとも村上氏は最近はドアーズを余り聴かなくなり、それに反比例してヘンデルなどを好んで聴いているような気がするのですが)。
因みに私は、村上作品をよりよく分かる為には(或いは皮膚感覚でその内容を楽しむ為には)、頻繁に登場する音楽について或る程度以上の理解度が必要だと思っています。
「何故村上氏はこの場面でこの曲を登場させるのか?」を憶測しながら、また登場する曲を実際に聴きながら読むと更に一段と面白いものです。