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Sunset Cafeへようこそ

いつか、夕日の美しい絶景の地にカフェを・・と願う私のバーチャル・カフェ。未知の音楽と人との出会う場所。

ドゥルス・ポンテスの「河に集う人々」

2009-06-05 18:39:19 | たまに聴くならこの一枚

(東京・中央区明石町付近の墨田川)

リスボンは私が「一度は行ってみたい」と切に願う町です。
それも数日の観光旅行ではなく、最短でも2週間、いや出来れば2ケ月ぐらい、この町でブラブラして過ごしたい。
リスボンで何をするのかって?
もちろん、夜な夜なこの町のファドを聞かせる「ファド酒場」に入り浸って、哀愁と郷愁に満ちた、あのファドの世界に
ドップリと首まで漬かりたいのですよ。

私をそんな気にさせたのは、もう15年以上も前にドゥルス・ポンテスの「ラグリマス」というCDに収められた一曲・
「河に集う人々」に魅せられて以来です。
♪ ポーボ・クラバス・ノ・リーオ ♪ とポンテスの歌声を聴くと、私の眼前にはリスボン市内から大西洋に注ぐ大河・
テージョ河の雄大な姿が広がります。
私はポルトガル語は全くわからないので,河がそうであるかは確証がありませんが
そうでなければ困ります(もう15年も同じイメージを歌声と一緒に頭の中で膨らませてきたのですから)。

サウダーデと呼ばれる哀愁(ある意味、懐かしいような、また切ないような)たっぷりな、そんな複雑な感情を掻き立てられるメロディです。

ファド酒場で、こんな歌が次々に出てきて、哀愁たっぷりのポルトガル・ギターを
切々と奏でられた日には、私はもうポルトガルワインをぐいぐいあおるしかないでしょうなあ・・。
でもそんな日が来る事を楽しみにしているわけでありますね。

隅田川のランチタイム。
目の前の高層ビルから続々とサラリーマンの諸君が出てきて川を見ながらお弁当を食べていました。
その光景をみて、忘れかけたリスボンへの想いに火がついてしまいました。
頭の中であの切々としたドゥルス・ポンテスの絶唱が響きながら・・。


Lagrimas

Movieplay

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垣間見たブラームスの魅力

2009-02-15 22:07:39 | たまに聴くならこの一枚

(2009.02.15 湯島の麟祥院ー春日局の菩提寺ーにて)

「ブラームスは苦手」と前回書きましたが、その後、近所の図書館で借りた高村 薫氏のエッセイ集・「半眼訥訥
(はんがんとつとつ)」の中で、著者がブラームスのヴァイオリン協奏曲について非常に印象的な記述をされているのを
眼にしました。

すぐにその同じ図書館で該当する曲のCDを借り、曲を聴きながらこの本の中の「ブラームスとヴァイオリン」と題する
エッセイを何度も読み返しました。
著者はこの曲の全体像を「はかない妖しさをたたえた美女」の魅力に例え、次のように書いておられます;
「もし、現世で望みうる限りの美しい女性というのがいるならば、それはどんな姿をしているのだろう。
どのような風景の中に立ち、どのような衣装をまとい、どのような声で話し、何を語るのだろう。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くとき、わたくしはいつも、そんな思いにとらわれる。
 聴きながら、未だ形はないもののきわめて生々しい現世の何ものかの幻にとらわれるような曲は、滅多にない。
ましてブラームスにおいては、ニ長調のヴァイオリン協奏曲が唯一である。」
(後略)

この冒頭部分に続いて、著者はブラームスと独奏楽器としてのヴァイオリンとの出会いを、美女との出会いに
なぞらえて独特の推理をしています。
その筆致は女性らしい繊細さに溢れ、また著者自身がヴァイオリン演奏の技量をお持ちであることもあって、
この曲の魅力について過不足なく、又、美しい文章で伝えてくれます。 

たまたま手にしたエッセイ本の中に、ブラームスの魅力にこれまどまでに肉迫した記述があった偶然に感謝しました。
このエッセイの存在がなかったとしてもブラームスのニ長調・ヴァイオリン協奏曲は十分に魅力的な曲でしょう。 
しかし私はエッセイを読みながら同時にこの曲を聴いたことで、とても素直にブラームスの
世界に入る事が出来たような気がします。

少しブラームスとお近づきになれたかもしれません。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 他
ハーン(ヒラリー)
SMJ(SME)(M)

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半眼訥訥 (文春文庫)
高村 薫
文藝春秋

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私の苦手な作曲家とは?

2009-02-12 12:21:11 | たまに聴くならこの一枚

(2008.02.11 下落合・薬王院のしだれ梅)

クラシック音楽は大好きですが
・作品ジャンルを問わず大好きな作曲家
・曲によって部分的に好きな作曲家
・苦手な作曲家
の三つに大別出来ます。

F・クープラン、テレマン、J.S.バッハ、モーツァルトの四人はどんな作品でも大好きです。
この四人の作品だけでも膨大な量になりますが、集中的によく聴いていると言えるでしょう。

しかし、好きな作曲家の作品ばかりを偏愛するあまりに、苦手の作曲家の作品は殆ど聴こうとしないためますます
疎んじている傾向が顕著です。
では苦手な作曲家の皆さんとは?
ブラームス、チャイコフスキー、ベルリオーズ、ショスタコーヴィッチ、等です。
何故か?
聴いてもその良さが分からない、退屈してしまう、のがその理由です。

私はこう思います:
つまり人には「好悪の判断」を司る感性の波長帯があり、その波長帯はこれまでに
積み上げてきた各人の人生経験や感動体験によって様々に異なるのだ、と。
つまり、これだけ世界中で圧倒的な支持を得ているブラームスを聴いても、殆どの場合、私は退屈なあまり眠くなってしまうのは、
ブラームスが発信する波長と私の受け入れ可能な受信波長帯が合致していないのだ、と。

これはひとえに私の心の貧しさ、狭量さ、貧しい感性のせいであることを、特に最近、痛感することが多い次第です。 

これはなんと恐ろしいことでしょう。
折角この世に生をうけ、大学へも進み、多くの本も読み、外国語も習得し、様々な経験もしてきたのに、私の心の波長帯は
ごくごく狭く浅く限られた範囲にしか共鳴出来ていないのは、何とも恐ろしくまた悲しいことです。
(この事は音楽のみならず、読む本、見る映画、絵、料理、など多くの分野についても言えます。
かろうじてお酒についてだけは、何とか・・・)。

私にはなんと多くの未発達の領域があることか、これで良い筈がない、このままでは嫌だ、と改めて思っております。

ティナ・ターナーの「孤独のヒーロー」

2008-12-30 18:04:13 | たまに聴くならこの一枚

(年の瀬の東京港夕景)

「その歌一曲は特に好きだけど、その歌手の歌全部が好きというわけでもない」というカテゴリーが自分の中であります。
・ブライアン・フェリーの「ドント・ストップ・ザ・ダンス」
・アーロン・ネヴィルの 「アヴェ・マリア」
・ボビー・ダーリンの  「マック・ザ・ナイフ」
・シャーデーの     「スムース・オペレーター」
・マンハッタンズの   「夢のシャイニング・スター」
・トリーシャ・イヤウッドの「バーテンダー・ブルース」
・ボニー・レイットの  「アイ・キャント・メイク・ユー・ラブ・ミー」
・ティナ・ターナーの  「孤独のヒーロー」
等などがそれでありますよ。

メル・ギブソン主演のアクション映画・「マッド・マックス~サンダードーム」の
主題歌である「孤独のヒーロー」が流れてきたのは,この映画を観た数日後に私が渋谷西武デパート内をぶらついていた時でした。
私はティナ・ターナーが特に好きでもないけれど,この歌だけは特に映画の記憶も相乗効果となって大好きですねえ。
イントロに続いて、ティナの少ししゃがれたアルトで、♪ Out in the ruins, ♪ Out from the wreekage ・・・・と流れ始めると、
メル・ギブソンの憂いを含んだ横顔や壮絶な決闘シーンなどが前頭葉の記憶中枢をかなり刺激し、「う~ん、良いですなあ・・・」
となる仕掛けとなっております。
(映画のマッド・マックス・シリーズはもちろん一作残さず観ておりますです)。

因みに、私にとって「この歌手の歌は文句なしに全部好き」という範疇に入るのは、ディーン・マーチンを筆頭に、マービン・ゲイ、
エミルー・ハリス、ドアーズ,などでありますよ。(どうでもいいか?)

マール・ハガードのカントリーソング・「しろがねの翼」

2008-10-16 11:00:18 | たまに聴くならこの一枚


この曲・「SILVER WINGS・しろがねの翼」は、大空の彼方を飛び去る飛行機に
想いを託して歌ったカントリーの名歌手、マール・ハガードの1970年のヒット曲です。

えっ? マール・ハガードも「しろがねの翼」も知らない?
アァタ、幾らなんでもそれはないでしょう・・。それはいけませんねえ。
こぶしの利いたあの独特の節回し、やや一抹の憂いを含み甘さの中にもほのかな
苦味もある(お料理番組ではありません!)、あの歌声・・。
どちらかと言えば、世の中の「ダークサイド」、「影の部分」に生きる男の心情を歌いあげると、
マール・ハガードほどうまい歌手は他にいないでしょう。
大ヒットの「悲しき逃亡者」、「シング・ア・サッド・ソング」、「シング・ミー・バック・ホーム」などがそうであります。

そういえば飛行機をテーマにしたカントリーソングってとても珍しいですよね。
(車やトラックなど乗り物は多いですけどね)。

   ♪ しろがねの翼は陽の光に輝いて
     吼えるエンジンは見知らぬ場所に飛んでいく
     君を載せ、私を一人残して
     白金の翼はやがて見えなくなっていく ♪

最初のワンコーラスの大意はそんなところでしょうか・・。
私はこの歌が大好きです。歌詞がとても分かりやすい英語だし、メロディーも
ゆっくりしていることもあって、電車の中でも雑踏を歩いている時でもふと口ずさんだりすることがあります。

秋の、澄んだ、高い、高い空。
良いですなあ・・・。


Very Best of Merle Haggard

EMI Gold Imports

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「フィガロの結婚」による序奏と変奏(ギター)はすごくいいぞ!

2008-09-23 19:26:29 | たまに聴くならこの一枚

(2008.09.23 旧古河庭園)

「素晴らしい!」の一言です。

「Mozart Variations」と銘打ったこのCDには、すべての曲がモーツァルトの「フィガロ」、「魔笛」、「ドン・ジョバンニ」などの
オペラとディベルティメントからのギター用の変奏曲の形で収録され、いわばオール・モーツァルト・ギター・
変奏曲プロ、と言えます。
その企画や良し、その演奏や良し、であります。
「人生には、こんなに素晴らしいものと出会う余地がまだ残されている。こんなに
素晴らしい音楽との出会いがこれから先もまだあるなら、生きているって事もなかなかいいなあ・・・」とさえ思いました。

このCDを通して鈴木大介氏がギターという楽器を媒介して表現するモーツァルトは
「よくぞやってくれました!」と言うくらいに私の腑に落ちました。
ある程度は人生の辛酸をなめ、その味付けの上に自分なりのモーツァルト観を持つ
中年男の私の心をグラグラと揺さぶります。
鈴木氏のギターは細部に至るまで精妙にして完璧、しかも歌心に溢れ、聴く人をして鈴木氏のモーツァルト・ワールドへ誘います。
鈴木大介氏のギター、大いに気に入りました。

ルイジ・モレッティの「フィガロの結婚」による序奏と変奏、は
オペラの中でフィガロの歌う「もう飛ぶまいぞこの蝶々」を主題とした変奏曲で
私の一番のお気に入りと言わせていただきましょう。
しかし、フェルナンド・ソルの「魔笛」の主題による変奏曲も、ボブロヴィッツの
「ドン・ジョバンニ」の主題による変奏曲も、負けず劣らずに素晴らしい!

肝心なことは私がそうであったように、このように素晴らしいCDがまだまだ世の多くの人に知られずに
(逆に言えば多くの人はその素晴らしさに気がつかないまま)放置されているということです。
このCDこそ、「たまに聴くなら・・・」に値する一枚のCDであります。

モーツァルト・ヴァリエーションズ
鈴木大介
ベルウッドレコード

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真夏の暑さを忘れさせる、一陣の涼風のようなこの一曲

2008-07-22 22:11:57 | たまに聴くならこの一枚

(東京都北区・旧古河庭園内の茶室)

梅雨が明けた途端に厳しい暑さが続きますなあ。
うんざりするほどの暑さですが、この曲が流れると部屋の中にさぁーと
涼やかな風が通り抜けるような心地がすること請け合いですよ。

これはバッハの有名な「G線上のアリア」がジャズ風にアレンジされた、MJQと
スイングル・シンガーズのコラボによるジャズバッハ演奏ですが、何といっても
ミルト・ジャクソンのゆったりとしたヴァイブの響きが、もうぴたりとツボに
はまった感じですがその上に軽妙なスイングル・シンガーズのアンサンブルが
何とも良いムードを醸し出しています。
うん、ジョン・ルイスのピアノも良いですなあ。ジャズバッハと言えばジョン・
ルイス演奏の平均率クラヴィーア曲集第一巻第一曲が有名だけど、このジョン・
ルイスのソロピアノも清々しさ、涼しげ、と言う点では「G線上・・」と甲乙つけ難いですなあ。

どちらの曲もバッハをジャズ風に演奏した曲としてつとに高名ではありますが、
私も久し振りにこの曲を聴いてみて、余りの良さに腰が抜けました。
この曲こそ真夏の陽の落ちかけの夕暮れ時に、縁側でスイカでもかぶりつきながら
聴くと、さらに一段と良いかも知れませんなあ。

ベスト・オブ・ジャズ・バッハ
ジャック・ルーシェ,ジョン・ルイス,オイゲン・キケロ,ロン・カーター,トレヴァー・ピノック,クリストフ・エッシェンバッハ,ヘルムート・ヴァルヒャ,ヘリング・シェリング
ユニバーサル ミュージック クラシック

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落日を見ながら、「トワイライト・ソング」を聴く。

2008-07-01 20:58:09 | たまに聴くならこの一枚

(2008.07.01)

梅雨の合間のつかの間の太陽。
気持ちの良いたそがれ時を迎え、急いで屋上に駆け上り西の空に沈んでいく落日をカメラに収めました。
ついでに暮れなずむ東京の街を眼下にし、良い具合に冷えた缶ビールを喉に放り込みます。
うまい!

ケニー・バロン(ピアノ)とチャーリー・ヘイデン(ベース)の二人が紡ぎだす
極上のジャズサウンドは、正にこんな状況で聴きたい一曲です。

そう、この曲を生の演奏で聴くとしたら私なら超高層ビルの最上階のバーで、まだ残照の漂う西の空と、灯り始めた街の
活気と忍び寄る夜の気配を視界に感じながらスムースジャズの心地よい響きに体を預けて、シングルモルトウィスキーを
飲るのが上策という物でしょうなあ。

「Night and The City」と名付けられたこの一枚のCDこそ、生きている喜びさえ
思い出させてくれる素晴らしい一枚です。
とりわけ冒頭の「Twilight Song」は特に・・・。


Night and the City
Charlie Haden with Kenny Barron
Verve

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ダイヤー・ストレイツの「サルタンズ・オブ・スウィング」

2008-06-15 09:20:53 | たまに聴くならこの一枚

(2008.06.08 明治神宮菖蒲苑)

本当はしとしと雨の降っている日の方が風情があって良いのだけれど、曇り空の
休日、この季節には必ず行くスポット・明治神宮へ足を運びました。

出かける準備をしている時にFM放送から小林克也のナレーションに乗って流れて
きたのがこの曲。「おっ!いいね、これ!」と思わず娘を見ると娘も,「良いですなあ、これは!」と
うなづきながら同意してくれました。
「これ、どちらさん?」と演奏者を尋ねましたが、音楽通の娘も「この曲、かなり
イケテルけど知らんですなあ・・」と言います。
(私と話す時何気にオヤジ口調になるのが娘のクセです)。

曲の終了後、直ちにこのCDを買いにHMVへ急行したのは言うまでもありません。
うまいんだか下手なのか良く分からない、鼻歌のようなそのヴォーカルは独特の持ち味があって流石にアメリカと並ぶ
ロック大国・英国の売れ筋歌手ですなあ。
そういえば私の好きなブライアン・フェリーの歌い方にも似ていて、決して絶叫しないクールなその歌い上げ方は
紳士の国・英国のフレイバーがあって、突き抜けるようなエネルギーの放出を
感じるアメリカンロックとは一線を画し、「大人のロック」にふさわしいですなあ。

サルタンズ・オブ・スウィング~ベリー・ベスト・オブ・ダイアー・ストレイツ
ダイアー・ストレイツ
ユニバーサル インターナショナル

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ホルショフスキーの弾く「子供の情景」

2008-05-31 14:27:06 | たまに聴くならこの一枚


無心に遊ぶ子供たちを見て、あの名演奏を想い出しました。
あの曲・・・。 96歳に近い現役のピアニスト、ミエチスラフ・ホルショフスキーの弾く、シューマンの「子供の情景」です。

この演奏のほぼ5年後、ホルショフスキーは100歳の生涯を閉じましたが亡くなる寸前まで「100歳のピアニスト」と
して活躍しておりました。
私がホルショフスキーという人を知ったのは,彼が来日した折のカザルスホールでの録画をテレビで見て以来のことです。
おぼつかない、ややヨロヨロとした足取りでずっと年下の奥様に手を引かれ、舞台に現れたホルショルスキーは、
96歳の年齢どおりの老人で、とてもこれからショパンやリストを弾く人には見えませんでした。
しかし、いざピアノを弾き始めると、テレビを通してさえ分かるほど一つ一つの音に温もりと「こころ」を感じ、
私は思いがけないほど感動で心の底まで揺さぶられたものでした。

そう、ホルショフスキーは他のどんなピアニストとも違う音を出します。
暖かく、包み込まれるような演奏・・・。
特に私が好きなのは彼の弾くショパンのマズルカと、この「子供の情景」です。

シューマンはこの曲の作曲にあたって、「子供の心を描いた、大人のための
作品」を意図したそうです。
う~ん、奥の深い味わいのある言葉ですねえ・・。

ところでそのホルショフスキーの演奏ですが、やはり極めつけは「トロイメライ」
だと私は思います。無数のいろいろな「トロイメライ」を聴いてきましたが、ホルショフスキーの「トロイメライ」はいつ聴いても、
何度聴いても新鮮な感動で私の心を満たしてくれます。

100歳のピアニストが奏でる子供心の描写。
この曲を弾く時、ホルショフスキーの胸を去来するのはどんな思いであったのでしょうか・・・。

MIECZYSLAW HORSZOWSKI: MOZART / CHOPIN / SHUMANN
Fryderyk Chopin,Robert Schumann,Mieczyslaw Horszowski
Nonesuch

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