(2009.02.15 湯島の麟祥院ー春日局の菩提寺ーにて)
「ブラームスは苦手」と前回書きましたが、その後、近所の図書館で借りた高村 薫氏のエッセイ集・「半眼訥訥
(はんがんとつとつ)」の中で、著者がブラームスのヴァイオリン協奏曲について非常に印象的な記述をされているのを
眼にしました。
すぐにその同じ図書館で該当する曲のCDを借り、曲を聴きながらこの本の中の「ブラームスとヴァイオリン」と題する
エッセイを何度も読み返しました。
著者はこの曲の全体像を「はかない妖しさをたたえた美女」の魅力に例え、次のように書いておられます;
「もし、現世で望みうる限りの美しい女性というのがいるならば、それはどんな姿をしているのだろう。
どのような風景の中に立ち、どのような衣装をまとい、どのような声で話し、何を語るのだろう。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴くとき、わたくしはいつも、そんな思いにとらわれる。
聴きながら、未だ形はないもののきわめて生々しい現世の何ものかの幻にとらわれるような曲は、滅多にない。
ましてブラームスにおいては、ニ長調のヴァイオリン協奏曲が唯一である。」
(後略)
この冒頭部分に続いて、著者はブラームスと独奏楽器としてのヴァイオリンとの出会いを、美女との出会いに
なぞらえて独特の推理をしています。
その筆致は女性らしい繊細さに溢れ、また著者自身がヴァイオリン演奏の技量をお持ちであることもあって、
この曲の魅力について過不足なく、又、美しい文章で伝えてくれます。
たまたま手にしたエッセイ本の中に、ブラームスの魅力にこれまどまでに肉迫した記述があった偶然に感謝しました。
このエッセイの存在がなかったとしてもブラームスのニ長調・ヴァイオリン協奏曲は十分に魅力的な曲でしょう。
しかし私はエッセイを読みながら同時にこの曲を聴いたことで、とても素直にブラームスの
世界に入る事が出来たような気がします。
少しブラームスとお近づきになれたかもしれません。
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 他ハーン(ヒラリー)SMJ(SME)(M)このアイテムの詳細を見る |
半眼訥訥 (文春文庫)高村 薫文藝春秋このアイテムの詳細を見る |