
(2014.01.02 東京・代々木公園)
正月二日目。
正月料理にも正月のTV番組にも食傷し、いっそ大汗をかくまで徹底的に歩こうかいと思い立って
代々木公園を3周半、歩きましたよ。
ああ、疲れたあ・・・。
そして、ふと気が付いたのです。
何か見たことあるような、懐かしいような、代々木公園に入ってすぐ右の奥の方にある、一戸建ての家。
そう、これは代々木公園が、1968年の東京オリンピック選手村の宿舎に使われた時の名残りなのです。
一軒だけ残っているこの建物は、46年前、当時のオランダ選手団が宿泊した、その一軒なのです。
あの当時,貧乏学生だった私は、東京オリンピック組織委員会が公募した「海外からの選手団の団長付き通訳」の
募集(破格の時給条件でした)に、一も二もなく飛びつきました。
そして、私が担当したのは「英領ギアナ選手団」でした。
(あの当時、世界地図上には依然として、英領、仏領,などの植民地が全世界に点在していたんですが、「英領ギアナ」は
東京五輪後にしばらくして、ガイアナという独立国になりました)。
「英領ギアナ選手団」は総勢3名。
選手団長、重量挙げの選手、そのコーチ、この3名の構成です。
世界最小の選手団ということで珍しがられ、毎日、日本や外国の新聞記者が取材に見えたことを覚えています。
約1ケ月、3名の選手団に密着して過ごした密度の濃い時間は、忘れられない思い出となりました。
オリンピックは、ある意味で政治外交の延長でもありますので、外国大使館主催のレセプションなど
学生の私には身分不相応な、華やかで絢爛豪華な日々でもありました。
今、代々木公園に残るただ一軒の宿舎跡は、まさしく、私の学生時代の記念碑でもあります。