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Sunset Cafeへようこそ

いつか、夕日の美しい絶景の地にカフェを・・と願う私のバーチャル・カフェ。未知の音楽と人との出会う場所。

フレディ・ケンプのバッハに惚れ込みました

2011-11-30 21:24:48 | たまに聴くならこの一枚
ケンプ・プレイズ・バッハ (J.S. Bach, Partitas Nos. 4&6, Freddy Kempf) [Import]
Johann Sebastian Bach,Freddy Kempf
Bis


最近、私が最も気に入り、ほぼ毎日ウォークマンでその素晴らしいピアノを楽しんでいるのが、この
フレディ・ケンプの弾くバッハのパルティータ第4番(BWV.828)です。

バッハのパルティータは、第1番から第6番まであるわけですが、私は1番~4番までを、
第1番  マリア・ジョアオ・ピリス
第2番  マルタ・アルゲリッチ
第3番  クラウディオ・アラウ
第4番  フレディ・ケンプ
という具合に、4人の異なるピアニストによる演奏を、その時々の気分のおもむくままに、
「よし、今日は1番をピリスで聴こう・・」、てな具合に楽しみます。

そうこうしている間に、私はフレディ・ケンプの弾く第4番にすっかり魅了され、いわゆる「はまって」
しまいました。
特にアルマンドの哲学的な静けさ、サラバンドの安らぎ、メヌエットの可愛らしさは例えようもなく、
毎日毎日この曲を聴いても聞き飽きることがありません。

日一日と秋の気配が深まる今、ほぼ毎日、昼休みの1時間を目の前にある新宿中央公園の紅葉の木々の
中で、この曲に耳を傾けています。
公園は今、鮮やかなパステルカラーの世界に包まれ、私はその中を、美しいパルティータ4番を全身で
受け止めながら、ゆったりと歩いているのです。
(尤も、そんな充実した昼の時間の後は、せわしなくもつらい午後の労働が待っているのですが・・)。


テオルボの妙なる調べに酔いませう。

2011-08-01 20:33:50 | たまに聴くならこの一枚
Works for Theorbo
De Visee,Hopkinson Smith
Astree


テオルボという古楽器の、筆舌に尽くしがたい魅力に初めて触れたのは、約18年ほど前、渋谷・文化村で
観たフランス映画「めぐり逢う朝」からでした。
「夢想」という曲の中で、J・サヴァールの弾くヴィオルの向こうで、ポロロン、ポロロンと凄く良い
感じの弦をはじく音が聴こえていました。

その数年後、東京北区の北とぴあ国際音楽祭のコンサートで、初めてサヴァール氏と平尾雅子さんの
ヴィオルに合わせ、ロルフ・リルヴァン氏のテオルボの演奏に触れました。
私の机の上には、少し色あせ始めた1996年10月の、そのコンサートのプログラムがあります。
(このコンサートでは私は感動でボロ泣きしました。私の生涯で、忘れがたいものの一つです)。

テオルボはこの写真のように、巨大なスイカをスパッと半分に割った形に長大なサオをつけたみたいな、
楽器としてはかなり大きなものです。
この楽器から紡ぎだされる音色の、何と言う味わい深さ!
ギターの音色とは、似て非なる魅力のその隠れた奥深さ !

ロベール・ド・ヴィゼーの「テオルボ組曲 イ長調」は、テオルボのソロの音楽としては、傑出した
名作であり、どなたでも(私がそうであったように)、その美しさに心を奪われてしまうことでしょう。
それを演奏するのはホプキンソン・スミス(米国)でも、エドゥアルド・エグエス(アルゼンチン)でも
聴く人の好みの分かれる所ですが、特殊な楽器ゆえ演奏者は限られております。
演奏以前に、この曲の素晴らしさに魅了される事間違いなしです。

いづれにしても、モーツァルトやバッハの登場する以前の中世ヨーロッパは、驚くほど美しい、人の心をぐいぐいと
揺さぶる魅力的な音楽の宝庫です。

因みに我が家では、このテオルボ組曲を、「ポロン・ポロンの曲」と称して、孫のコータローの安眠を誘い
寝付く迄のBGM曲としています。
ただ困るのは、流れているテオルボの曲があまりにも心地よすぎ、大人の私達が先に眠りに落ちてしまうことです。



よき酒の友 ・・・・ アファナシエフの弾く超スローな、ショパンのマズルカ

2011-01-23 21:44:32 | たまに聴くならこの一枚
ショパン:マズルカ集
アファナシエフ(ヴァレリー)
コロムビアミュージックエンタテインメント


時々、無性にショパンが聴きたくなることがあります。

丁度今の季節、真冬の寒い夜などに、熱燗の杯を傾けながら聴くマズルカって最高です。
時がたつにつれ、ジンワリと広がる酔い加減に身をまかせつつ、切なく身もだえするかの
ようなマズルカの旋律を聴いていると、お酒の酔いと音楽の酔いが相乗効果で全身に回っていきます。

これまでに、いろいろな国籍・性別のピアニストの弾くショパンのマズルカを(主にCDで)聴いてきましたが、
ヴァレリー・アファナシエフの「マズルカ イ短調 作品17の4」が私のお酒の友として最高です。
(ショパンに限らず、私はよくお酒を飲みながら、クラシックもジャズもカントリーも楽しみます)。

アファナシエフの弾く「マズルカ 作品17-4」で驚くのは、そのテンポの余りの遅さです。
因みに私が持っている別のCDの、ニキタ・マガロフの弾く同じ曲の演奏時間と比較してみると、
   マガロフ    ・・・  4分3秒
   アファナシエフ ・・・  6分44秒
ということで、こんなに短い曲なのに、約4分で弾く人(マガロフ)と7分近くかかって弾く人
(アファナシエフ)がいるのは驚くやら、あきれるやら・・・。
(因みに世界に名の知れたピアニスト達は、平均してこの曲を4分~4分半で弾いています)。

しかし私にはそのアファナシエフの極端な「遅弾き」も、剣の達人が必殺の一撃を繰り出す前の間合い
のような、いわば「力を充分に溜めて出てくる音と沈黙」のように思えます。
そのため、音と音との間の沈黙は決して間延びせずに、逆に緊張にみなぎったものに聴こえます。
私はこの、「力をためた演奏」、というのが好きでして、上手な人がゆったり・ゆっくりと演奏するのを
聴くのは(ピアノに限らずオーケストラでもオペラのアリアでも)とても心地よいものです。
 
私はこのアファナシエフの弾く、超スローテンポのマズルカ作品17-4が大好きです(アファナシエフ
を聴くまではマガロフが好きでしたが、今ではもうマガロフでは酔えなくなりました)。

マズルカの郷愁をさそうメロディーラインは、まだ見ぬ遠いポーランドの大平原、深い森を思わせます。
何という美しい、聴く人の心を揺さぶる音楽でしょうか。
それにひとつづつの音の響きのクリアーさは驚くほどです。

こうして今夜もまたお酒が進んでしまうことになることでしょう。

久々に聴いた素晴らしい一曲 ・・・ ノラ・ジョーンズ VS  レイ・チャールズ

2010-11-10 20:27:55 | たまに聴くならこの一枚


何気なくFM放送(J-Wave)を聴いていたら、素晴らしい曲が流れてきて、目が(いや、耳が)
離せなくなりました。
一緒にいた娘とも、「これ、いいじゃん?」、「よろしいねぇ、この感じ!」と
言いつのりつつ、曲名をメモりましたです。

「ノラ・ジョーンズの自由時間」と銘打ったこのCDアルバムの、特に12番目のレイ・チャールズ
とのデュエットが何とも楽しく、素晴らしい。
すぐにCD屋さんに急行しCDを買い求め、以来この12番目の曲・”Here We Go Again" を聴く毎日です。

ノラ・ジョーンズと言えば、あの世界的大ヒット曲・"Don't Know Why" の、ブルージーでけだるい
感じの歌声が耳に残っておりますが、今回の"Here We Go Again"も、前作に優るとも劣らない素晴らしい
名曲であることは私めが保証します。
御大レイ・チャールズとの悠揚とした掛け合いを聴いていると、何だかとっても楽しくなって、
くつろぎ感がじんわりと沸いてくること請け合いです。


ノラ・ジョーンズの自由時間
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン






これぞ究極の名盤 ・「TRIO II」 ・・・・・ 秋の初めに ④

2010-09-18 09:43:40 | たまに聴くならこの一枚

(某年9月初旬 北軽井沢・Jazz Cafe Bird)

朝起きて窓を開けると、「さぁー」と高原のような爽やかな空気が流れ込みます。
青く晴れ渡った空、フランスパンのような真っ白な雲(朝一番、お腹が空いています)。

今日の予想最高気温は28℃、最低気温は23℃。
僅か2週間前の狂ったような暑熱の日々を振り返ると、天国的な快適さではあります。

リンダ・ロンシュタット、エミルー・ハリス、ドリー・パートンのカントリーミュージックの名歌手3人が競演する名盤・「TRIO II」は、澄んだ大気、高い空、
爽やかな風、を連想させる珠玉のようなCDです。
誰でもこれを聴いたら、薪のはぜるパチパチという音や、木が燃える時の煙たい匂いや、夜空に昇る焚き火の煙や、手を伸ばせば届きそうな沢山の星、
などを連想して、「そうだ、今度の週末は山でキャンプしてみようかな」という思いに駆られる事でしょう。
この一枚のCDはその音楽の完成度の高さゆえに、それくらい私達の心情に肉迫してきます。

このCD作成時(1999年)にリンダ・ロンシュタットとドリー・パートンは共に53才、エミルー・ハリスは52歳だったようですが、
そのエネルギーに満ち叙情性溢れた歌い方からはそれぞれの年令は全く信じられない思いがします。

この魅力に溢れた全10曲のアルバムの中で、私が特に好きなのは、1曲目の「Lover's Return」とそれに続く2曲目の「High Sierra」です。
リンダがゆったりと力強く謳いあげ、エミルーとドリーがバック・コーラスでハモる、という夢のような素晴らしさです
特に「ハイ・シエラ」では(3曲目のエミルーの歌・「Do I Ever Cross Your Mind」でも)、後にカントリーの名歌手となり活躍中のアリソン・クラウスが
フィドルを弾いているのも凄いことです。

因みに私は「TRIO I」も持っていますが、アルバムの完成度や音楽性は「TRO II」の方がはるかに優れているように思えます。

このCDこそ、「もし貴方が一つだけ無人島に持っていくとしたら何を・・?」というよくある架空の問いに応えるものです(そんな無人島にCDを聴く設備
などもともと無いのでは?という野暮なことは言わないで下さい・・・)。


Trio II (Two)

Asylum Records

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ヘブラーの弾く「フランス組曲」 ・・・・・ 夏の終わりに ③

2010-09-14 20:56:32 | たまに聴くならこの一枚

(2010.09.13 上野・不忍池公園)

炎天下、公園を1時間ほど散歩する。
シャツがぐっしょり濡れるほど汗が吹き出るけど、木陰のベンチでしばらく休むうちに汗がひき、ひんやりした涼しい風が頬を撫でます。

季節は一日づつ着実に秋に向かっているのを感じます。

イングリッド・ヘブラーの弾くバッハの「フランス組曲」全6曲のCDはここ15年くらいの間、私の愛聴盤です。
その特に力まない、淡々とした自然体のヘブラーの演奏の仕方が私はすっかり気に入っていて、これこそバッハがこの曲の
作曲に当たって望んだ演奏のしかたなのでは、と私には思えます(これまで私は可能な限り多くのピアニストが演奏する様々なフランス組曲を
聴いてきましたが、ヘブラーの演奏が最も「腹にはまる感」、があって手放せません)。

特に組曲第3番ロ短調(BWV814)は、夏の終わり(秋の初め)の今の季節を彷彿とさせるものがあり、わたしの好みです。
一つの出来事(夏)の終わりや新しい出来事(秋)の到来を予感させるような、深い哀感ともの悲しさがあり、ふと、思索に誘われます。
また、他の組曲では、(私のイメージの中で)もっともっと秋が深まり眼前に紅葉の大パノラマを展開したり、
春の萌える様な新緑に包まれたかのような連想をさせられるフレーズも頻繁に出現します。

宇宙的な空間の拡がりや深遠な音楽の可能性・・・。
これがバッハの素晴らしさのゆえんなのでしょうが、ヘブラーの気負いのない自然体の演奏はバッハの世界を
より素晴らしいものにしていると私には思えます。

バッハが意図したかどうかは別として、私はいつもフランス組曲全体から、汲めども汲めども汲みつくせない
春夏秋冬の自然の営みの素晴らしさを感じています。

バッハ:フランス組曲
ヘブラー(イングリッド),バッハ
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント

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村治佳織の「カヴァティーナ」 ・・・・・ 夏の終わりに ②

2010-09-11 19:49:22 | たまに聴くならこの一枚

(2010.09.11 ペニンシュラホテル東京)

昼間は名残りのセミの大合唱、夕刻からは「リーン、リーン」と秋の虫の涼やかなソロが共存する今の東京です。

村治佳織さんの「カヴァティーナ」というCDを初めて聴いたのは、5年位前の9月初め、安曇野の森の中にあるレトロモダンな旅館「なごみ野」
に泊まった時のことでした。
お料理も雰囲気も何もかも素敵でしたが、ここでBGMとして聴いたこの曲が忘れがたく、東京へ帰ってすぐにCDを買いに走ったほどでした。

この曲を聴いた時季と、この曲自体の曲想とが見事にマッチして、この曲を聴くたびに夏の終わりのアカマツの林に囲まれた閑静な旅館のことや、
清浄なこんこんと湧き出るお湯のことや、皆なで心のこもったお料理の数々を頂いたことなどを思い出します。

淡々とした演奏の中に、どこかメランコリックな寂しさが漂い、何度聴いてもあきることがない曲です・・・特に夏の終わりの今の季節には。

この曲自体はジョン・ウィリアムスの編曲でヴェトナム戦争が主題の映画「ディア・ハンター」の挿入曲としてその当時有名になりました。
凄惨な戦争映画のテーマ曲にこのような静謐で思索的な曲を採用したセンスは凄いと思いますが、そのようなエピソードがなくても、
村治さんの控えめなギターは私の意識の遠いところから、静かに静かに情念をかき立てられるような思いがいたします。

CAVATINA
村治佳織,ブローウェル,ヨーク,ロジャース,テルソン,バリオス,サグレーラス,ラウロ,プホール,マイヤーズ
ビクターエンタテインメント

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アンドレ・ギャニオンの「風の道」 ・・・・ 夏の終わりに ①

2010-09-10 14:58:27 | たまに聴くならこの一枚

(2010.09.09 東京都文京区)

「この国に再び秋は来るのだろうか?」と思い始めた矢先でした。
9月になっても35℃を超える日々でしたが、昨日あたりから、早朝の涼しさや木々を渡る風に高原のようなさわやかさが感じられるようになりました。
やれやれ・・・。

長い夏がようやく終わりかけ、ふと街角でも、やや涼しげな風を感じる今。
良いですなあ、この季節。

自宅で久し振りにアンドレ・ギャニオンのベスト盤を聴いているうち、「風の道」という曲が、今のこの季節にピッタンコなのに唸りました。
はかなげで、どこか寂しげで、ノスタルジーに満ちたアンドレ・ギャニオンのピアノは、
夏の間の沢山の出来事が、過ぎていく時間の経過の一こまだったと改めて気づかされ、暫くの間、感傷に浸ることになります。

もちろん、「静かな生活」、「めぐり逢い」、「雨ふりのあとで」、「セピア色の写真」などもすごく好きです。
「夏の終わり」なんか、そのものズバリの曲名ではあるけど、う~ん・・・。
やっぱり、この「風の道」が今この時にはぴったりの気がします。

うん、もう一回聴こうかな・・。

そよ風の頃~アンドレ・ギャニオンのすべて
アンドレ・ギャニオン
ビクターエンタテインメント

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Somewhere Over The Rainbow

2009-08-04 10:37:53 | たまに聴くならこの一枚


8月に入ったのに真夏らしくない曇りや小雨模様の日が続きます。
そんなある日、暮れはじめた東京の空に美しい虹が出現しました。

私がこの虹に気がついて自宅マンションの屋上に駆け上がった時、虹はほんの1~2分の最盛期を過ぎて消えつつあるところでしたが、とにかく最後の瞬間を見ることが出来ました。
高層ビルだらけの東京の空ですが、自然が創り出した一瞬の夢のように美しいシーンはFM放送でごく最近までよく流れていたあの曲を思い出させました。イスラエル・カマカヴィウォオレの「Somewhere Over The Rainbow (虹の彼方へ)」です。
(現在、この曲はYouTubeで簡単に聴くことができます)。

あの驚くべき巨体に似合わず、IZの歌はソフトで甘さがありますね。
というよりも「癒し」そのものと言ったら良いのか、やや憂いを含んでいます。
アップテンポのウクレレに乗せて歌うIZの歌は、従来からのこの歌のイメージと違って、楽しげでもありつつどこか寂しげにも聞こえます(彼が38才の若さで他界してしまった事も想いあわせると余計に)。

思えば私達の日々も、また一生という其々の人の持ち時間も、何十万年という人類の歴史的時間の流れに比べれば、実は一瞬の虹のようにはかないものであるのかも知れません。
また、だからこそ私達はあの虹のように美しくありたいのかも知れません。

それにしても、あの虹の彼方には何があるのでしょう?

Facing Future

Mountain Apple

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村上春樹さん、貴方もですか!

2009-07-04 09:37:01 | たまに聴くならこの一枚


村上春樹氏のエッセイを読んでいて、思わず「うん、うん、その通りさ、正にその通りだよなあ!」と120%程うなづける部分があります。
村上春樹氏が1983年~88年の約5年間に(小説作品では「羊をめぐる冒険」から「ノルウェイの森」までの5年間に)、雑誌に寄稿したエッセイを一冊にまとめた「村上朝日堂 はいほー!」という文庫本の中の記述です。

”ジム・モリソンのための「ソウル・キッチン」”と題する7ページにわたる音楽エッセイがそれです。その中で、村上氏はジム・モリソンのロックバンド・ドアーズの最初のヒットとなった「ハートに火をつけて」について次のように書いています:

「(前略)
さあベイビー、俺に火をつけてくれ
さあベイビー、俺に火をつけてくれよ
夜をぽっと燃やしちまおうじゃないか

僕はこの曲の歌詞をそんな風に理解している。上品に「僕のハートに火をつけ」たり「夜じゅう燃え上がる」のではなく、もっとそれはフィジカルであり肉体的なのだ。彼は夜そのものに、あるいは肉体そのものに火をつけようとしているのだ。
そしてそのように奇妙に直截的な感覚こそがジム・モリソンというロック・シンガーの生理なのである。
(中略)
しかしジム・モリソン以外のいったい誰が、肉体そのものにじかに火をつけることができるだろう? いったい誰がスピーカーの向こうから肉の焦げる臭いを漂わせることができるだろう? たとえミック・ジャガーにだってそんなことは無理だ。
(後略)」

上に抜粋させていただいた「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は、私も数え切れないほど何度も何度も聴き、口ずさんだ曲です。
それだけに、この曲がヒットした頃の時代背景やこの曲に夢中になった自分自身を考えると、村上氏が言っている事が一言一言すべて腑に落ちます。
そしてそれは全く感覚的なもの、と言えますし、私が村上氏の著作にうなづける点が多いのも、音楽的な引用を含め感覚的なものがしっくり感じられるからに他なりません。

村上氏と私は5才の年令差があるものの、安保紛争や学園闘争に揺れに揺れた学生時代を含め、ほぼ同じ時代を生きてきたと言えます。
その現在に至る数十年を、村上氏と同様に私もかなりの音楽好きとしてクラシック、ジャズ、ロックなどに浸る生活を過ごしていました。
その共通体験が、(皮膚感覚のように)村上氏の著作の多くから読み取れるのが私にとって最もハッピーなことです。

改めて言わせて貰えば、村上氏のその感覚力・表現力は凄い!ということです。
ジム・モリソンの歌を聞いてあの時代を生きた世界の多くの人が、感覚的にドアーズにハマり込み、感覚的に受け入れたはずです。しかしその感覚をここまで精緻に文字で表現できるのは村上氏以外にはいないでしょう。

私に出来るのはただ一つこれを言う事だけです。
「村上春樹さん、あなたもそう感じたのですか!」と。

ハートに火をつけて

ワーナーミュージック・ジャパン

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