すんけい ぶろぐ

雑感や書評など

保阪正康「あの戦争は何だったのか」

2006-03-22 08:52:22 | 書評
あの戦争は「アメリカに責任がある!」と言うのはいいが、日中戦争は、どうなる? 「事変」と定義して逃げるのか?


久しぶりに歴史関係の本でも読むかと手に取った「あの戦争は何だったのか」。

第二次世界大戦の日本を振り返るという本です。

けっこう面白かったです。
が、けっこう前に読んで、感想を書かないまま放っておいたので、内容を、けっこう忘れた。

あぁ年をとるって…………。


そんなわけで、ちょっと読み返しながら、感想を書いております。

敗戦直後は、三年八ケ月もの太平洋戦争が続いたこともあり、「ああいう苦しみは嫌だ。もう二度と戦争は嫌だ」という感情が拭い去れぬ時間帯があった。ただそれが十年経ち、二十年経ち、今に至るも、戦争はそうした反省色の濃い、形骸化した感情論だけで語られているのである。
 また一方では、このあまりにも一元化した歴史観が反動となって、今度は「新しい歴史教科書をつくる会」のような人たちが現れ、「大東亜戦争を自虐的に捉えるべきじゃない」などと言い出している。しかしこれも、同じように感情論でしか歴史を見ていない、「平和と民主圭義」で戦争を語る者たちとコインの裏表のように感じる。
保阪正康「あの戦争は何だったのか」6頁 新潮新書
著者のスタンスは、まずまず中立だと思います。

全体としては「誰に責任があるのか?」という感じ。

で、誰が問題だったの?
天皇なの、政治家なの、軍部なの?
軍部にしても、陸軍? 海軍? 大本営?

で、著者は、「海軍」にスポットライトを当てます。
一般には「陸軍に引っ張られて戦争に突っ走った」というイメージがあるのですが、本書では、いくつかの例を挙げて、「海軍」の責任を浮き彫りにしていきます。

例えば、有名な「ABCD包囲陣」による石油の禁輸措置。

大東亜戦争肯定派が、「こんなひどいことをされたんだから、アメリカと戦争をしたのは、当たり前だ!」という論拠に必ず挙げるものです。

 実は、本当に太平洋戦争開戦に熱心だったのは、海軍だったということである。
(中略)
 昭和十五年十二月、及川が古志郎海相の下、海軍内に軍令、軍政の垣根を外して横断的に集まれる、「海軍国防政策委員会」というものが作られた。会は四つに分けられており、「第一委員会」が政策、戦争指導の方針を、「第二委員会」は軍備、「第三委員会」は国民指導、「第四委員会」は情報を担当するとされた。以後、海軍内での政策決定は、この「海軍国防政策委員会」が牛耳っていくことになる。中でも「第一委員会」が絶大な力を持つようになっていった。
 この「第一委員会」のリーダーーの役を担っていたのが、石川と富岡の二人であった。「第一委員会」が、巧妙に対米美戦に持っていくよう画策していたのである。
 「第一委員会」が巧妙に戦争に先導していった一つの例として「石油神話」がある。
 首相に就いた東條が、企両院に命じて行わせた必要物資の調査では、海軍省も軍全部もその正確な数字を教えなかった。むろんここには陸軍と海軍の対立もあったが、そのために「項目再検討会議」では具体的な論議ができなかった。巧妙な罠を什掛けていたのである。
 この会議での調査報告では、その当の石油の備蓄量は、「二年も持たない」との結論であった。結局、それが、直接の開戦の理由となった。
 しかし、実は、日本には石油はあったのた。
 実際に私は、陸軍省軍務課にいたある人物から、こんな証言を聞いた。
「企両院のこの時の調査は、実にいい加減なものたったんです。陸軍もそうでしたが、特に海軍側は備蓄量の正確な数字を企両院に教えなかった。海軍の第一委員会が〝教える必要はない〟の一点張りで、企両院は仕方なく、大雑把なデータから数字を割り出し、計算して出した結果なのです」
 企画院という組織は独立した一官庁であったが、大蔵省、商工省など各省庁機関から派遣された者が寄り集まってできた機関であった。陸軍省、海軍省からも派遣されており、彼らの申告した根拠のない数字に基づいてデータが出されていた。
 先の人物は、さらに面白い話をしてくれた。
「開戦前、アメリカに輸入を止められてしまい、石油がなく〝ジリ貧〟だというのは、一般国民でも知っていることでした。それでそんなに石油がないのならと、ある民間貿易会社が海外で石油合弁会社を設立するというプロジェクトが起こったんです。普通だったら、喜ぶ話ですが、軍は圧力をがけて意図的に潰してしまいました」
 つまり、「石油がない」という舞台設定をしないと、戦争開始の正当化はできない。特に海軍は船を動がすことができなくなってしまう、というのが大義名分としてあった。それをうまく利用したのである。石油の備蓄量が、実際にどれだけあるがなど、いったい何人が正確に把握していただろうが。
 開戦に至るには、実はそうした裏のシナリオが隠されていたのだ。
 そのシナリオを書いたのが、「第一委員会」だったのである。
(中略)
 歴史の教科許にも書かれている「ABCD包囲陣」なるものがある。アメリカ、イギリス、中国、オランダによって、日本は輸入経路を閉ざされてしまい、石油がなくて佳句方なく南部仏印に進出したということになっている。しかし、これも「第一委員会」が作り上げた偽りの理由付けにすぎなかったのだ。
(中略)
 東條の秘書官だった赤松はこうも言っていた。
「あの戦争は、陸軍だけが悪者になっているね。しかも東條さんはその中でも悪人中の悪人という始末だ。だが、僕ら陸軍の軍人には大いに異論がある。あの戦争を始めたのは海軍さんだよ……」
 太平洋戦争開戦について、最初に責任を問われるべきなのは、本当は海軍だったのである。
保阪正康「あの戦争は何だったのか」87~93頁 新潮新書
「ほぉ~、なるほどなぁ」とは思いました。
が、「で、実際には、いくらくらいの備蓄があったのか、調べなかったの?」という疑問はわきました。これがないと、「海軍の開戦黒幕説」の論拠としては弱くなるなぁ。
データが残ってなくても、ある程度の推測はできるんじゃないかな?
推論すら載せなかったのは、論拠が崩れるからなのかなぁ? ……………と邪推。

それは置いておいて。


ともかく「海軍の責任」に注目しているのは、面白かったです(当然、陸軍無罪と言っているわけではありません)。

ただ本書は「敗戦の責任が誰か?」という立場であり、「戦争の責任が誰か?」と言及することはありません。(軍部の玉砕戦法を批判しても、兵士の住民虐殺とかには触れておりません)
それが、気になる人は、気になるかもしれません。

逆に「お涙ちょうだい的な人道論を排していて読み易い」と思う方もいるのかな?


あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書

新潮社

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