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空の境界

2013-03-15 18:47:51 | レビュー系

最近Fateのレビューを書いている関係で、ずっと見ていなかった「空の境界」のアニメ版を借りてみた。

 

クオリティが高いとは聞いていたが、第一巻の「俯瞰風景」からその に圧倒される。ああ、この廃墟と一つになりたひ( ´ ▽ ` )つーかスネた式の可愛さ反則じゃね?思わず我がマイスター橙子先生から乗り換えそうになったではないか・・・あのクールな声で「畜生にも劣る外道め!」と罵られてみたひぜ(;´Д`)ハァハァ

 

という我が妄想(笑)は置いといてだ、第三巻の「痛覚残留」を見たときには、数年前初めて「空の境界」の該当箇所を読んだ時の怒りを思い出した。当時、川口の監禁・コンクリート詰め殺人事件などを連想して、「もしこの連中の死刑を実行する人間を募るのなら、俺は喜んで立候補するだろう」と思ったものだが、その思いは今でもほとんど変わってはいない(まあさすがに爪を剥いだり、耳を身体とサヨナラさせたり、歯を麻酔なしでアタッチョーとやるのとかまでは勘弁だがね。また実際その場で殺れんのか?てのは別の問題だ)。もし俺が作中人物(黒桐)の立場だったら、そんな連中と繋がりを保っているヤツとはとっとと縁を切るね。あるいは金のために引き受けるだけして対象を見殺しにし、「ごめん、見つけたけど死んじゃってた(・∀・)」てな感じでいくかなwえ、そんな残酷なって?じゃあせめて死にはしないようにロボトミー手術を施してさしあげますかね。人畜有害なら困るが、人畜無害になればまあ人に迷惑はかからんでしょ。もっとも、誰が面倒見るのか知らんけどねヽ(。∀゜)ノ・・・なんて書くと、「信教の自由」の成り立ちやら「多様性の肯定」の内容はどこへ行ったんや?という人がいるかもしれんので、ここでは3つのことに言及しておく。

 

(1)多様性の肯定はあくまで「人の自由を侵害せしめぬ限り」という条件つきのもの。
これは「交換可能、アノミー、再帰的思考」でも書いた通り。じゃなけりゃテロルなんかも肯定されまっせ、という話である(まあ厄介なのは、「侵害」や「迷惑」の境界線が可変的なものである、ということなのだが)。

(2)私的感情と司法の分離(それもまた一つの擬制)+ローティのリベラルアイロニズム
これは詳しく話すとめっちゃ長くなるのでかいつまんで書くと、仇討ち、応報感情、被害者の感情的回復、公開処刑と見せしめ、秩序の維持、近代国家=司法・暴力を国家に移譲する仕組み、法と道徳の分離etc...で、こないだ(=前掲の「交換可能~」で)は死刑談義における呉智英の発言に触れたわけである。ついでに言及しておくと、「目には目を、歯には歯を」という文言で有名なハンムラビ法典というのがあるが、あれは今述べたような復讐・仇討ちの容認ではなく、現実に生じていた復讐の拡大再生産の構造の歯止めに関する社会契約(同じだけやり返したらそれで止めねばならない)というのが事実である。さて、この辺「忠臣蔵」に酔っている人の少なくないこの国でそういった背景がどこまで理解されているのやいなや。

(3)内面に因果応報的視点、あるいは旺盛な応報感情を持つからこそ、その問題や限界を考える。
月姫」やFateのレビューを含め、このブログの初期には因果応報を必然と考える記述が実は多い(「デスノート」の記事で自分の立場を「月寄り」と書いたことにも繋がる)。がしかし、そういう発想を突き詰めればこそ、「神の罰」の合理性やら「論理至上主義の陥穽」といった視点も出てくる。またたとえば因果応報って「善行を行えば良い報いがあって、悪行を行えば・・・」ということだが、そもそも絶対的な「善悪」の基準って措定しうるのか? その基準如何では、ファシズムマイノリティの弾圧(大量虐殺)やらにもなりうる。またそれゆえに、そこに自分も埋没しうると思う(=まさに「空の境界」だ)し、その構造や処方箋を考えようとするわけである。

 

今回はこの辺で。 


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