年末遊戯:Interlude

2010-04-30 18:45:11 | 九州旅行
ピソリーノを出て移動する間、同級生の近況や阿蘇の片桐屋に寄った話をする。囲炉裏を再現したあの独特な空間は今も健在らしい。また最近両親は少し離れたジョイフル(ファミレス)に散歩がてらに行って安いモーニングを食べているらしい。モーニングはともかく、あの値段が東京に上陸すればいいのに…というのは帰省するたびに思うことだ。まあテナント代や人件費とか考えても厳しいだろうけどw


帰宅後同窓会まで少し時間があるので自室で横になる。30分ほどして一階に下りると、父親がちょこちょこチャンネルを変えながら
TVを見ていた。その中で「戦艦ヤマト」をやっていたが、どうも最終決戦の場面らしく、艦長が死んだり隊員の特攻的なシーンが描写される。まあよくある死のドラマ化ってやつだ。こうして死の無意味さに耐えられない人が量産される、ってまあ耐えられる人なんてそうそういないわけだけど(耐えられることが正しい、というわけでもないし)。でもまあ現実は突然の死や孤独死が満ち溢れているわけで、そのギャップは埋まらないわよねえ…と偶然を必然に変える枠組みとしての宗教のことを連想。


ちょっと見て飽きたらしくチャンネルを変えると中村吉右衛門が大石内蔵助を演じる忠臣蔵が放送されていた。
忠臣蔵(時代劇)もおもしろいよなあ。中学だか高校の時、忠臣蔵を見てる祖父に「でもこれ色々と作り変えられているんだよね」みたいな事を言い、「そんな事言うもんじゃない」と窘められたことがあった。おそらく彼は俺が茶々を入れてると解釈したからそう言ったんだろうけど、違うんだよね。問題は、「なぜそのように作られるのか」なんだよ(「真―偽の二元論を超えて」)。例えば吉良上野介がわかりやすい悪者にされる一方で、本当はいきなりヒステリー起こしちゃっただけなのかもしれない(笑)浅野内匠頭は十分な理由があってそうしたのであり、お咎めは後者にしかなく許せん…みたいなわかりやすい二項対立(「勧善懲悪の嫌悪と三国志」)にしてある、とかね。じゃあそのような反応の由来として何があるかって言うと、いわゆる「判官びいき」や「かたき討ち」を良しとする心性との関係とかを考えてみる価値があるだろうと。ちなみにこういった視点はイデオロギーとの関係性などを考える際にも重要であるよと。またこのような観点に立てば、悪行に対して苛立つようないわゆる「いい人」が、容易に操作・動員されていくという意味でより大きな枠組みではむしろ危険な存在であり、またそのようなカテゴライズが何の保障にもならないといった話に繋がるわけで…もちろん、創作に関しては受け手を没入させるための演出的技法なわけだけど、じゃあそれがいかなる構造を持っているか、そしてなぜそれが有効に機能するのかと考えてみるのは視点として非常におもしろいわけで…でも今まで生きてきた経験上ねえ「その感情を理解できるがゆえにその感情の由来について考える」という思考様式を持っている人ってほんとに数える人しかいないんだよねその最たるものが理論と感情の二項対立でありだいたい完璧に分けることなんてできるのかねって話よ例えば自分の中で理論立っていると思っていたものが単に思い込みを理論武装しただけってのはよくあること(別の視点ではuseful words)だしまた「カラマーゾフの兄弟」の裁判シーンにあるような「論理的であるがゆえにむしろ間違う」っていう人間の限界(ちゅうと言いすぎか)とかについてどれほど真摯に考えたことがあるのかっつー話なわけでまた感情についても何か理論は交換可能で感情は交換不可能(オリジナル)で不可侵かのように思い込んでいる人がけっこういるような気がするがそれは社会状況などの文脈によっていかようにでも変わりうるものでしかないしまたこれまで崇高なるものであるかのように思われていた神秘体験などが人為的に操作可能ですぜって示したのがオウム真理教とその洗脳のあり方じゃなかったんかいな認知科学それを経た今日感情が純粋で汚れなきものかのように考えるなんて愚かしいにも程があるまあどうせ「狂信者たちの暴走で俺たちにゃ関係ねえ」とか思ってるんだろうなあこれぞまさに「風景の狂気」感情を大切にしたいという気持ちはよくわかるし俺もそう思うでもそれはその感情が交換不能であることも不可侵であることも決して意味しない決してだそれゆえにこそ不快感の由来を探究したり「共感」なる言葉に対して疑いを持つことが…


うお、いかん。久々に思考がだだ漏れしていた。
今日はんなことやってる暇はないんだった。土産を持って従弟の家に向かう。そこで出産祝いもかねて色々話す。やっぱり不況キツイっすよね~。ウチも低めに修正した予算すらクリアするの大変っす(苦笑)


などとやっていたらもう一人の従弟からメール。バイトが終わって今から同窓会に向かうらしい。じゃあ俺も旅立ちますかねえと歩いて八景水谷に向かった。

Interlude out...

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