21世紀の時代に、科学的根拠の乏しい漫画の影響で、「災害だ!」「滅亡だ!」とここまで右往左往する人たちがいるってことに驚きを禁じ得ないわ。
まあ自分も疑似科学のことには何度か触れているし、SNSなどによる分断とエコーチェンバーで容易に釣られやすい人たちもいるのは想定可能なので、雑に全体に当てはめるのではなく、「どういう層に訴求したのか?」という検証は後々必要だろうけども(ちなみに、仮に本日何か起こったとしても、それで「あの漫画の話が当たった!」などとは考えないのが、まともな判断力というものである)。
思えば60年ほど前、「ひのえうま」と呼ばれる年に出生率が急落し、20世紀も半ばを過ぎたのに迷信を信じる人間がこんなにいるとは…と言われたものだが、科学がさらに進歩して、今やシンギュラリティ(まあこれはこれで色々と突っ込みどころのある世界観だが)がどうとか言われるようになっている時代にも類似の現象が起こり、しかも情報環境が整備された結果、むしろ国際的連鎖まで観察されるまでになっているという状況は、他山の石として記録しておくべきことと思われる(まあもっと有名な例で言えば、「ノストラダムスの大予言」なのだが、あれで右往左往してた人たちは、一体今どうしてるんですかね?)。
まあ一応その精神構造について言及しておくなら、「君子危うきに近寄らず」的なものではあるのだろうと思う。というのも、例えばひのえうまなら「翌年にすればいいだけのことで、わざわざ今年産まなくてもよくない?」という感覚で取り合えず回避したぐらいの人も少なからずいただろう(自身が信じてなくても、当時の環境的に親類から圧力がかかるケースもままあっただろうし、そうするとわざわざそれに抗してまでやるか…という問題になる。後でほれみたことかと言われるのも嫌だろうしね)。それと同様に、海外の人間にとっては旅行のタイミングを1年とは言わなくても数か月ズラせばよいだけのことで、わざわざ7/5周辺で渦中となりうる国に飛び込む必要はないよね、と自粛・延期を考えるのも理解できないことではない。
日本在住の場合でも、「普段からの災害の備えを見直そう」という言行なら穏当なものと評価できるのではないか。これは「当たるも八卦当たらぬも八卦」の占いについて、「良い結果ならポジティブに受け止め、悪い結果なら用心するくらいにする」という姿勢で日常に活かすのと同じで、「それに振り回されはしないが、心には留めておく」程度ならば一種の健全な受け止め方と言っていいように思われる。
まあ今回は、災害というブラックボックスの多い領域であり、かつ日本が災害大国であるという歴史的事実から、一つの作品が一定の訴求力を持ってしまったという周辺的要素を押さえておく必要はあるだろう(そして鹿児島・トカラ列島の連続する地震がそれを増強したと)。とはいえ、いかに(大の大人含めて)人間が不確実な状況に踊らされるかの適例として、学校など含め広く取り上げるべきものであると思った次第。
以上。
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