アユタヤツアー:ネコ型ロボットを祀るタイ人

2017-05-23 18:14:09 | タイ旅行

ほぼワットヤイチャイモンコンの見学も終わりに近づいた時、涅槃像が目に入った。これを見て有難いと思うより俺と海氏のムゲンバインを思い出して「まだ死んでないよー(ガチチ)」というセリフまで浮かんだ私は、きっと生まれながらにして呪われた部分(©バタイユ)を一手に引き受けているに違いない。む、待てよ待て・・・そのカテゴリーで言うと俺アンリマユなんじゃね?だったらタイにいっぱいあるタトゥー屋で耳なし芳一状態にならないとな(゚∀゚)アヒャ

 

とかラリったことを考えているところで、小さな祠にドラえもんが二体祀られているのが目に入った。What is it?と往年のバリー=バートンもびっくりのJanglishで疑問を口にした・・・わけではないが、ガイド氏によるとドラえもんは男性の神扱いされているらしい(その祠は男の子に関する祈願をするための場所とのこと。ちなみにドラえもんが宗教施設で前面に出てくるのはこの寺院だけではない)。

 

ほう、興味深い。確かにドラえもんの道具がなす「奇跡」は、現代の我々にとっては「神の御業」と見えても不思議ではない(それは進歩した科学技術が魔術と変わりなく見える、というしばしば出てくるモチーフと共通する)。また彼が「奇跡」を通じてのび太という存在の願望を時に叶え、時に悪意・悪行を戒めるという見方もできなくはない(この驚きがあったので、帰国して見た「知ってる日本人」のランキングでタイではドラえもんが2位を獲得していたのをさもありなんと納得できた)。とはいえ、これを通じて私が強く興味を持ったのは、タイにおける神観念である。

 

私たちはしばしば日本の宗教観について「八百万の神」などと言ってその特殊性を論じようとする傾向がある。ついでに言えば、だからマリア+観音的発想をしていた日本のキリスト教はキリスト教を理解してはいなかった、といった言説もよく見られ、私はこれについて「じゃあシャーマニズム的な要素や儒教的な要素が混淆した韓国のキリスト教はキリスト教じゃないの?」と疑問を呈したことがあるが、タイの状況についても日本のいわゆる島国根性的な視点をキャンセルするためには参考にできる部分がありそうだ。まずタイと言えば、仏教国であるのは間違いない。人々が仏教に帰依している(と少なくとも自己認識している)からだ。しかし、大学1年の頃に少し調べたこととして、タイには「サイヤサート」と呼ばれる呪術的な信仰も並行して存在している。上座部仏教を日本の大乗仏教、サイヤサートを日本の神道に当てはめて考えるのは(もちろん等式でいきなり結ぶのは無理があるが)、それなりに今の日本を相対化して語る上で役立つものと思われる。無論、賢明なる読者諸兄は御存じのように、このような体系だった宗教と民間信仰的な宗教の共存というのはありふれているものである。たとえば、セム的一神教の強い地域であっても、かなり狭い枠に押し込められたとはいえ、聖者やその礼拝といった形で残っていたりする(というよりむしろ、セム的一神教は、既存の信仰をいかに周縁化し、あるいは体系の中に取り込んで下部構造として「調伏」するかということに力を注いできたのであり、今述べたことはその名残であると言っていい)。

 

とはいえ、これは日本の状況、すなわち仏教への帰属意識と神道の儀式の併存を立体的に考える上でも参考になる事例だろう。なんせ無宗教の話題になると、すーぐ特殊論持ち出して思考停止する輩が後を絶たないからねー。まずそもそも1950年代すなわち戦後間もない状況でさえ「信仰がある」と言っている人が50%を超えていて、さらには「イエの信仰はある」と述べている人が90%を超えていること、そしてその信仰対象の80%以上は仏教である、という調査結果からスタートしないとなーんにも始まらないはずなんだけども(詳しく調査結果は『データブック 現代日本人の宗教 増補改訂版』を参照)。ここからすると、「そもそも日本人は特定の宗教への帰属意識がないのだ」などという世迷い言は口が裂けても言えないはずで、具体的なデータに立脚して以下のような問題意識からスタートするのが得策であるように思われる。

 

1.
信仰対象の80%以上が仏教であること、また「イエの信仰」が90%を超えていることを踏まえるならば、たとえば阿満利麿のごとく、大日本帝国憲法が制定される過程で神道が「無宗教」と定義されたことに日本人が無宗教となった淵源を求めるのはかなり無理のある見解である(=限定的な影響しかない)。

 

2.
個人の信仰と「イエの信仰」に大きな開きがあるのを通じて、日本人にとって宗教とは、そして宗教的帰属意識とはどのようなものであったかを分析する必要がある。そもそも江戸時代から、時の政権は民衆の宗教を管理することをかなりシステム的にやっていた。その典型例がキリスト教禁圧などを目的とした檀家制度(や踏み絵)であり、これによって民衆はほぼ自動的に仏教徒として登録されるようになっていた(もちろん、ここには一向一揆的なるものの再発を防ぐ目的での政権側への取り込み、という意図があったと想像される)。また明治維新の際には神仏分離・廃仏毀釈という形で伝統的な神仏習合は多少の影響を受けたが、仏教側の巻き返しなどもあって地域差はあれ民衆の意識変化は限定的なものにとどまったようである(端的な例として、家の中には神棚と仏壇が平気で共存していた)。ただ、明治の途中で神道は欧米列強=当時の先進国への目くばせもあって、「無宗教」と定義された上で憲法にも組み込まれ、教育などの中に浸透していった。ちなみに明治維新後に新しくできた宗教は弾圧を受けたものも少なくなく、中には大本のごとく壊滅に近い状態まで追い込まれたものもあった(ちなみに仏教はと言うと、明治維新後に仏教教団は勝手にしろとのお達しが政府側からあり、清沢満之のような改革者はいたものの特に大きなパラダイムシフトもなく、だらだらと惰性で続いてきたように見える。そしてこの見方が正しいならば、宗派に属する者の意識が、近代化と世俗化も相まって、世代を経るごとに形骸化していったのはむしろ当然のことだろう)。

何を言いたいかというと、政府による宗教への介入というものは歴史上度々行われてきたし、またそれを通じて宗教は徐々に(帰属意識とは直接的に関係ないものとして)システム化・慣習化されてきたわけである。戦後間もなくの調査における「個人の信仰」50%、「イエの信仰」90%以上という結果は、神道を「無宗教」と教えられ続け、また仏教は江戸時代から徐々に進行した儀礼化があって、ともに宗教的帰属意識と結びつかなくなりつつあった状態をよく反映していると思うのだがどうだろうか?

 

3.
1950年代以降「信仰がある」と答える人の割合が30%程度まで減じて今日の状況を作っている事実に基づき、なぜそうなったのかを分析する必要がある(ここで作業仮説的なことを言ってしまえば、いわゆる戦後の出稼ぎ&核家族化によって伝統的な「イエ」から切り離された人々が、「イエの信仰」から相対的に自由になる中で帰属意識もどんどん希薄化し、その親によって育てられた子供たちはますます希薄化し・・・という具合に戦後宗教的帰属意識の剥落が進んでいったことは簡単に連想できることではある。また賢明なる読者諸兄は、都市へ出稼ぎに出てきた人々の不安を糧に創価学会が勢力を拡大していったことは知っているものと思うが、そのような帰属意識の欠落と不安は、あるいはもしかすると[まさに今日崩壊の一途を辿っている]会社共同体的な抱え込みによって埋め合わされた可能性があるのではないか。ちなみにそう考えると、会社共同体の衰退や宗教的帰属意識の空白化の進展はある種の空隙を産み、それが新新宗教と呼ばれるものたちが広がる土壌となり、オウムなどへと繋がっていったこと、そしてオウム事件による社会の宗教アレルギーの強化及び会社共同体の崩壊と日本の経済的衰退が相まって、1990年代後半頃から埋め合わせ的に短絡的なナショナリズムへ走る人を増加せしめてきたことも説明がつくように思うがどうだろうか?余談だが、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されたのは1996年である)

 

要するに、巷間見られる日本人の無宗教をそのメンタリティに求めて何かを語ったかのように発信者・受け手とも自己満足するだけの印象論は、そろそろ不毛だから止めた方がいいのではないか、ということである。そうではなく、政治が宗教システムをどのように操作していたか、それが民衆の宗教的帰属意識にどのような影響を与えたのか、そして民衆側の認識として、マスメディアや文学作品の分析を通じて民衆の宗教観(もちろんこれは地域差があることを折り込んでのものでなくてはならない)とその変化を分析する、といったアプローチを採るべきであろう。

 

といったことを思いながら寺院を後にした。


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