ずっと
トイレの正面を黄色い花畑っぽくしたかったんだけど
やってみたら地味なのと照明の暗さで
ちっとも眼に入らない・・・
写真に撮ってみると目立つように思うけど
実物は地味でした。
だからってやり直さないけど!
ずっと
トイレの正面を黄色い花畑っぽくしたかったんだけど
やってみたら地味なのと照明の暗さで
ちっとも眼に入らない・・・
写真に撮ってみると目立つように思うけど
実物は地味でした。
だからってやり直さないけど!
私がのど元過ぎて熱さを忘れるのは
そうする必要があるからだろうか。
緊張から解放され、疲弊しないため、
情緒が不安定にならないため、
ストレスで体に悪い影響が出ないようにするためだろうか。
自己防衛のひとつなの?
熱さは忘れても、残っているものもあるのだろうか。
共感する気持ちが強すぎて
自分も一緒に浮き沈んでしまうと
巻き込まれて誰の力にもなれないし、自分の身も削る。
でも真剣に相手の身になったつもりで考えないと
上辺だけの無責任な言動、
独りよがりのお説教(きれいごと)になってしまう気がする。
私は自分がエラそうに(←この時点で見下してるんだけど)しゃべって
どこか気持ちがよい時はヤバイんだろうなと思う。
共感しつつも崩れない、というふうになるには
自分も経験を積み、想像力を持ち、境界線を引き、相手を信じ
できる努力を続けることだろうか。
どんな努力か?
自分が楽しくいるとか
機嫌よくいるとか
あんまり人に左右されずに気持ちが安定しているとか
そういうことでいいのかな。
それから他には何がある?と考えてみたりする今日この頃。
(昨日のつづきなんですが)
他の人のことはわからないけど私に関して言えば
人や物事を理解する時に自分の心ひとつで見え方が変わるのなら、
自分がどういうものの見方をする人間なのか、
何を好ましく思い、何を嫌うのか、
自分にはどういう卑怯さや偏りがあるのか、
自分の嗜好や傾向は
自分が見たいもの見たくないものはなんなのか、
そういうことをたまに自分に問いかけたり
自分に疑問を持ったりすることは
とても大事なことに思う。
同じ場面に遭遇しても人によってその体験談が違うのは
もっともなことだなと思う。
客観的事実はひとつでも真実は人の数だけみたいなことが言われるのも
そうだと思う。
私は価値観の大きく違う人に会うと
すっごく警戒したり嫌悪したりすることあるんだけど
その価値観に関しては自分が偏っている可能性もあるという視点を
頭のどこかに入れておきたいと思う。
そうじゃないと見たいようにしか見ていないことを忘れてしまう。
課題のひとつかな。
今日は息子の大学の保護者会の理事会に行って来た。
コロナでずっと開催を見合わせていたので、初顔合わせだった。
会場に入ってすぐに、ああ、この感じには覚えがあるわ・・って思ったんだけど
正直クソつまんなそう・・・って思っちゃったんだけど
そんな先入観でものを見て決めつけてはいけないと思い直した。
だって理事への立候補は誰に頼まれた訳でもなく自分の意思だし、
それに今日は大事な使命があるんだもの。
それは、
今日の一番の目的は、
全く初めての環境、人間関係の中で
果たして自分がどうやってそこに関わって関係を作っていくのかを
自分自身で冷静にモニタリングすることだった。
私が日頃息子にしているアドバイスは本当に的を得ているのか?
想像や思い込みじゃないのか?
ちゃんとリアルなのか?
相手の方の反応はどうなのか?
こういったことを私はもう一度体験し直す必要があった。
息子と同じ立場に私も立ってみたかったのだ。
私は私が周囲と打ち解けていく様を
関係を作っていく具体的な行動を
一挙手一投足を注意深く体験した。
どんな風に緊張するのか、相手はどう反応するのか
言葉がけや行動を1からやってみて、
実際どんな気持ちになるのかを試した。
そしてそういう自分自身をじっくりと観察した。
やってみてわかったことのなかで一番印象的だったのは
その集団に進んで入っていくと決めるのか拒絶しようと思うのかで
見えている風景ががあっという間に変わってしまうということだった。
ものごとがどう見えるのか、感じられるのかというのは
全く自分の心ひとつだということがよくわかった。
会の第一印象が(ここには馴染めないかも・・)だったのもよかった。
そこからどう持ち直すかの具体的な過程を味わえたのは大きい。
3時間の理事会と交流会が終わる頃には
全く悪くないというかかなりの好印象にかわったし、
これからもっと楽しくなるだろうと思った。
と言いつつ、大どんでん返しの可能性はいつだってあるんだけれども。
金曜日の深夜、だいぶ酔っぱらったムスカ大佐(夫)から電話があった。
明日には単身赴任先から帰ってくる予定なのに
それを待たずに電話とは珍しい。
大佐は酔った勢いで仕事の愚痴を言った。
いつもより弱気な発言や苦しさも吐露していたから心配になった。
その夜イヤな夢をみた。
翌日帰省した大佐にそのことを話して
昨日の電話で私も不安になったんだと思う言うと
「いやー申し訳なかったね、口では散々言っちゃうけど
うーさんに聞いて貰いたいだけだから気にしなくて大丈夫」
知ってた知ってた、そうだった、わかってたんだけど。
家族内での私の役目は、何を聞いても、誰が落ち込んでいても
一緒に浮き沈みせずに
いつも通りでいることだったのを一瞬忘れてた。
私はどーんとしていればいいんだった。
うっかりした。
それから昨日のあの落ち込み方は何だったのってくらい
すっかり何事もなかったように
ケロッとして幸せそうな(←勘違いかも)大佐を横目でみながら
(思えばこの人は話を盛るというか
いつも大袈裟な物言いをする人だったわ)
と思い出した。
誰だって
どんなに大変な中で頑張っているかとか
理不尽なことがあっても放り出せないからやるしかないんだとか
頑張ってることを知って欲しいとか
思う時あるよね。
吐き出してすっきりしたいよ。
私はそういうのすぐ忘れて
ダメ出ししそうになる(いや、している、確実に)んだな。