ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

魔物

2019年03月09日 | ❺ 追憶の日々

小さい頃、母が仕事帰りにパンを買って来てきてくれたことがあった。

 

「このパン屋さんすっごく人気があって、

 食パンは1日2回の焼き上がり時間に並ばないと買えないんだって。

 他のパンも仕事帰りに寄っても売り切れててめったに食べられないけど

 今日はたまったま手に入った」

 

以来、買って買ってとせがんだけれど

「今日も寄ってみたけどもう閉まってた~」

の連続で、

たまーーーーに昼休みにそっち方面に行ったから買えたよーなんて日を

心待ちにしたものだ。

 

そのパン屋は入学した高校のそばにあったので学校帰りに寄れるようになった私は

せっせと通い、

そんな1年生の12月のある日、私の目に1枚のハリガミが飛び込んできた。

 

『アルバイト募集』

 

やりたい

いや、やる

どんな手を使ってでも

 

母を説き伏せ、バイト禁止の学校に許可を貰い、

私は見事にパン屋のアルバイトに採用された。

一生懸命値段を覚えて、合計金額を素早く暗算する技術を習得し(遠い昔の話さ)、

お客さんに愛想をふりまいて、仕事終わりに店先を掃き清めた。

夫婦で営む小さなパン屋は常連客にとても愛されて

食パンの焼き上がりには道の向こうまで行列ができたし

3時半頃に揚がるアンドーナッツとクリームドーナッツは揚がる端から飛ぶように売れた。

無口なご主人に代わって奥さんが

「奥に1つとってあるからね」

と言ってくれるのがうれしかった。

 

お客の流れの途切れた時に、すかさず私は自分ちのパンを買って取り置きをした。

ウインドウの端っこに袋詰めしておいたパンを抱きかかえるようにして帰る日々。

とても幸せだった。

2年生が終わる頃

「あなたももう受験生なんだからそろそろバイトは卒業して学業に専念しなさい」

とご主人からまさかの卒業を言い渡されるまで私の幸せな日々は続いた。

 

時給430円からスタートして460円で卒業した。

それよりもなによりも、私の体重は10キロ近く増えていた。

 

今日は油断するなよ、パンは魔物だぞって話。

 

 

 

 

 


思い込み

2018年10月24日 | ❺ 追憶の日々

小さい頃から小食で、

いつも母から「食べなさい!」と叱られ続けていた。

それが嫌で嫌で、

その恐怖もあってだと思うけど

もともと食が細いのに、食べることも嫌いになっていった。

 

毎月の体重測定の結果を記録した「健康手帳」に保護者印を貰うたび

母が「全然増えてないよ、もっと食べなさい!」と言うもんだから

自分は小柄で痩せているとずっと思っていた。

 

ところが小学校5年生の時に、担任が発表した

『このクラスで一番身長と体重のバランスのいい人』の女子の部で

なんと私が一番になった!

そうか、私ってすごく理想的な体型なのか

なんだいいんじゃ~ん、このままで、とすごく自信がつき

私はちょうどいい体格の持ち主だと、すっかり自分に刷り込んでしまった。

おかげでその後ジワジワと体重が増えて行ったにもかかわらず、深刻な問題ではなかった

 

だから中学2年の時、2階のベランダから下の渡り廊下を歩く私に向かって

クラスメイトの神山他数名の男子が

「ハナウタ デ~ブ~ ブ~ス~

と絶叫した時も、一体なんのことを言っているのかわからなかった。

 

日頃、おじの修ちゃんやしげちゃんから

「うたこは可愛いなぁ」

って言われてたから、

まさか自分がブスだと思わなかった。

 

だから思春期なのに全然傷つかなかった。

「あの人ら何言ってんの?頭おかしいんじゃない??」

と思って無視していた。

 

更には、

あまりにしつこいものだから うっかり

「もしやあいつ私に気でもあるんじゃなかろうか?」

とまんざらでもない気までしてきて、おかげで今でもとてもいい思い出だ。

 

 

 

 

 

 


もし別の名前だったら

2018年08月22日 | ❺ 追憶の日々

私の名前は秀じい(父)がつけた。

 

小さい頃、自分の名前より妹の名前の方が良くて

私は父に

「一体私のこの名前にどんな意味があるのさ?」と聞いたことがある。

そして

できれば違う名前が良かったと言ったら、父が言った。

 

「ふたつ候補があったんだ。

 そっちの方がよかったかな?」

 

選ばれなかった方の名前は「うらら」だと言う。

漢字はたぶん「麗」だと思うんだけど、違うかも。

 

「でもね、うーちゃんがおばあちゃんになった時『うららばーさん』って呼ばれたら

 派手過ぎるだろ?そう思ってやめたんだ。」

 

いや、全然オッケーでしたけど

 

「うらら」になってたら全く人生変わってたと思う。

煌びやかだったと思う。

なんか波乱万丈で運命に翻弄されて流転の人生になるような予感がする~

 

そう、ハナウタうららは

磨きをかけた体と美貌で男を手玉に取るんだけど(←「狙いうち」的な)、

しくじって泥水をすするような生活に落ちて、

それでもギラギラした野心で再びあらゆるものを利用してのし上がっていく。

デュ・バリー婦人のような、ジャンヌのようなポリニャック婦人のような(「←ベルばら」的な)

欲にまみれた女、ハナウタうらら(ヴィジュアルは峰不二子です)。

欲しい物は手段を選ばない、そして必ず手に入れる。

火付盗賊改方の長谷川平蔵からも

「いままで散々悪い奴らをお縄にしてきたが、お前ほど腹の底から欲深な女は見たことがねぇ」

って言われたらしい。

 

あまりの美しさにひっそり生きることを許されない悲劇の女でもあるうらら。

それならば

生まれ持った品の良さとズル賢さと美貌を武器にただただ生き抜くのみ!

 

果たして彼女の運命は

後半へ続く(いや、続かない)

 

 

 

 

 


小さい頃は怖がりだったな

2017年07月03日 | ❺ 追憶の日々

保育園時代、先生がよく紙芝居や本を読んでくれた。

 

でもね、感受性の強い私は

ギリシャ神話の「イカロスの翼」や、「幸福な王子」「マッチ売りの少女」に

胸が張り裂けるんじゃないかというほど苦しんだし

昔ばなしの「置いてけ堀」や

「赤い蝋燭と人魚」「もちもちの木」はゾクゾクして夢に見るほど恐怖を感じた。

 

母が戦争を教えようとして見せた沢山の戦争映画も

夜になると布団をかぶって毎夜声を殺して泣くほど衝撃的だった。

 

小さな子どもでも

敏感な子、鈍感な子、大人っぽい子、子どもっぽい子・・みんな違うから

この子はどんな子かなって

ひとりひとりをよーくみて 接していかないといけませんね。

恐がりの子どもを怖がらせ過ぎちゃダメ。

 

 

 

 


精一杯の悪態

2017年02月28日 | ❺ 追憶の日々

息子は4才か5才のある日、朝起きると突然私のことを「かーちゃん」と呼んだ。

それまでは「ママ」だったのに。

そういう面白いことは結構あった。

 

悪態をつくときも可愛かった。

「ママのこと 丸めてパンくずにしてやるからな!」

と言われてキュンとなったことがある。

 

嫌な気持ちを表すのに

「頭を押さえて ゴシゴシ洗ってやるからな!」

と言われたこともある。

キュン。

 

なんの時だか忘れたけれど、ムスカ大佐(夫)に

「パパのこと はじっこに置いといてやるからな!」

とも言っていた。

キュン。

 

全然怒ってる感じがしないんだよ~

 

白いご飯と納豆しか食べない偏食家だったけど、

エビとかイカとか食べ始めた頃の話です。

ま、大抵のものは食べませんでしたけどね。

でもって今は大抵のものを調理方法次第で食べられるようになりましたね。

よかったです。