ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

そうだ、大阪へ行こう

2014年09月19日 | 🐤 日記

本日よりしばらくの間 大阪へ行ってきます。

多分1日、2日は京都も行きます。

 

 

1週間か10日か・・・・帰りは未定ですが10月になる前には

帰ってくると思います。

 

 

 

帰ってきたら また遊んでいただきたい。

 

 

 


命と向き合う

2014年09月18日 | ⓭ 職人技

「若者たち」というドラマを観ています。

両親のいない5人兄弟姉妹を傍らで見守ってきた医師の 

昨日のセリフに胸の詰まる思いがしました。

 

 

長男夫婦のもとに低体重児の赤ちゃんが生まれるのですが

1ケ月ほどして聴覚に重度の障害があることがわかるのです。

 

前回までの話の中で

この若い夫婦は 超未熟児で生まれた赤ちゃんのあまりの小ささにショックを受け、

我が子の順調ではないかもしれない困難な人生を知らされ葛藤や拒絶、受容を

めまぐるしく体験するのですが、

最初のヤマと言われる72時間を子どもが生き抜いた喜びと

その後の成長の様子から “もう大丈夫”と幸せに浸っていたのです。

 

 

 

「(障害の事は)頭ではわかっているけれど  まだ心がついていけない

自分はダメな母親だと泣く妻に、自身もどうしていいかわからない長男(夫)に対して

医師は

 

「何かの折に 心が限界に達して自分自身を見失うことは誰にでもある。」

と子どもの障害を受け入れられない親に理解を示しながら、

 

 

「体重が少ない、耳が聴こえない、そういう現実に惑わされずに

命そのものを見つめるんだ。そうすれば偏見や同情に心動かされることもない。」

 

と 繰り返し「命そのものと向き合うこと」を伝えました。

 

 

 

命そのものと向き合うってどういう意味なんでしょう。

 

それは

病気や障害ばかりを見ていたら そのことばかりに振り回されて

一番大事な 今生きているその子自身を そのありようを置き去りにしてしまう。

見えている症状や現象にとらわれずに その子自身を見る、そこには沢山の

命の輝きと幸せがあるんだ、

と そういうことでしょうか。

 

 

もう本当にハッとしました。

 

 

 

ちょっと前に見たEテレのハートネットTV『看取りびと』(題名はうろ覚えで、すみません)で

ある村の医師が同じようなことを言っていたのです。

 

「(高齢者の患者さんが もうダメだという最期の時に)赴任してまだ間もない

14年前の私は最先端医療や点滴や薬や・・・何ができるかをまだ考えていた。

『先生、もうアカンやろ』と言われて初めて 私以外の そこに集まっていた

患者さんのご家族がみんな 患者さん本人をみていたことに気づいた。

本人がどうしたいか 本人の自然をみんなわかっていて受け入れていた。

(無理やりの入院や延命治療を本人は望んではいなかったのに)

自分は患者ではなく病気しか見ていなかった。」と。

 

来この医師は 患者さん本人の言葉をよく聞いて 家族との関係を考慮しながら

本人がどうしたいかを支えるために全力で医療支援をしているそうです。

 

 

 

自分が 誰の何を どこを どういう風に見ているのか。

どのように見ようとしているのか。

相手をわかろうとする努力を怠り、自分の勝手な思い込みで決めつけ

自分発想を押し付ける。 

 

 

ああ、どんな場面でも問われているのはいつも自分自身なんだ と 改めて思い至り

そこかしこの場面での自分の見なさ加減を反省しつつ、でもまだいっぱい残っている

自分の人生に希望を見出した私なのでした。

 

 

 

 


朝の楽しみ

2014年09月17日 | 🐤 日記

ここ さいたま市の市街地で 朝の楽しみを見つけるには

もう少し時間がかかりそうです。

 

試しにあす5時くらいから 散歩してみようかな。

思いがけない風景に出会って カメラが趣味になったりしてね。

 

あ!猫さがしはどうだろう?

周辺の猫のリサーチもできるし!

猫マップ作りね。

あ・・・マップ作りっていい考えかも~。

何のマップかは思いつかないけど 地域の色々なマップ作るの。

自由研究みたいでハマりそう。

 

 

 

 

早朝と言えば

昔 昔 男チームの小さい方の人がまだ2~3歳の頃の寝られない夜に

「こんなに寝ないんだったら もう遊びに行く!」

と自棄になり 朝食用?のおにぎりを作って 

小さい人を自転車に乗せて 

朝? まだ暗い中を公園のはしごをしたことが思い出されます。

 

楽しむために行ったわけじゃなく 当てつけと 可哀想な私に浸るための行為

だったので、小さい人には迷惑だったろうな。

すまなかったね、あの時は

でももう 時効成立だね。

 

 

公園の街灯を頼りに 滑り台や ブランコをしたり 水筒のお茶を飲んだり

やってることは昼間の公園と同じ。

時間帯だけが カブト虫取りみたいな時間でしたわ。

 

 

4時半くらいから ぽつぽつ 散歩のわんちゃんやウォーキングの人に会って

子連れは珍しいので 声かけられたりしました。

6時過ぎに太極拳の方達が 集団演舞?を始めたのには驚きました。

日本の朝っぽくなかったから。

 

 

6時を過ぎると 出勤や通学の人が現れて 日常感が戻ってきたので

なんだか恥ずかしかったです。

 

 

 

 

さてと

何か 朝だけの楽しみってないかなぁ~

海の近くに住んでたら 間違いなくビーチコーミングするんだけど

さいたまには海がなくてね・・・・。

 

自分の習性からして ビーチコーミングでシーグラスや貝やコインや瓶や・・・・

宝探しみたいなことするのに一番惹かれるな。

 

海じゃなくても出来るコーミングってないかな。

 

あ、思い出した BB弾拾い

 

公園行くたびに 

小さい人と色とりどりのBB弾拾ってコレクションしてたけど

大きい人にみつかって 「みっともないからやめなさい」って

強制終了させられたっけ。

あれ 今思えば 街中でできるコーミングだったな。

 

ってことは あれだ。

街中の公園でできるコーミングって 銀杏拾いとどんぐり拾い、

木の実や種拾いだわ。

 

あ、なんかヒントを手繰り寄せた気がします

 

あらっ? 早起きって楽しそうじゃない?

あら あら あら  なんかいいんじゃない

 

 

 

 

 

 

 


未練

2014年09月16日 | ❶ 羊毛フェルト

9/21(日)の手作りアートフリマに並べて貰う作品をWさんに手渡しましたが

よこしまなオオカミとブラックスワンを

売りたくなくなってしまった。

 

同じような物 すぐ作れるんだから いいじゃ~ないのぉ~

と思うんだけど 愛着が湧いちゃって。

 

 

 

 

先週の日曜日に偶然 雑貨屋で見た ハンドメイドのブローチが

簡単な作りなのに 3000円くらいしました。

作家は 強気だなぁ~

 

 

 

さてと

ひと段落ついたら、冬に向けて 今度はクリスマスっぽいものでも作りましょうか。

羊毛って 冬っぽい感じがなんとも似合うので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「朝派」の芽生えか?

2014年09月13日 | 🐤 日記

中学3生の時 いよいよ受験も近づいてきたある日

勉強のできるクラスの男子が

受験勉強を終えて布団に入る瞬間が 一番好きな瞬間

と言っているのを聞いて

「ああ 私もそうだ」

と気づいて以来 眠る幸せに取りつかれてしまった。

 

 

眠る=幸せ  を刷り込み過ぎて生きてきた気がします。

眠る以外にも幸せはいっぱいあるはずなんですけど。

 

 

反対に 早起き=気持ちいい  という刷り込みはしてきませんでした。

「朝は気持ちいい」ってよく聞きますが そういう体験はあまりなかったな。

いつの時代も 朝は「起きなければ」という義務感の方が強くて、気持ちよくなかった。

 

 

 

ところが最近になって 少し早起きに興味がでてきました。

早く起きたら なにかワクワクするような気持ちになるんじゃないか、という期待が

生まれてきた。

朝時間のプライベート感って、実は私の求める生活スタイルに近いのでは

 

 

 

私はコーヒー党ではないけど、

朝だけは 「コーヒー入れよう」と思った瞬間に なんか幸せって気持ちになります。

 

あとは 早朝の煮炊き。

ふとした気まぐれで 沢山のおにぎりを 特に目的無く作ったりするときに

なぜか無性に楽しいかも。

こんなにいっぱいどうしよ~ 

あつあつのうちに3コ食べて 冷めてから2コ食べて みたいな幸せ。

 

 

記憶の産物なのか、長年の刷り込みなのか よくわからないけど

まずは こういうワクワクスイッチを増やしたら 素敵な朝になるんじゃないかと

思ったりしてます。

 

 

朝の楽しみになりそうなことを見つけて

毎日 朝から幸せっていう生活を送ってみたい 心境の変化を感じる

今日この頃です。