オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

「熱球」

2008年01月10日 23時53分12秒 | ほぼ、文庫本 2008
熱球/重松清/新潮文庫

私は学生の頃、野球サークルのマネージャーをしていた。しかも違う大学のも合わせて、二つかけもちで。なんとまあ、面倒くさそうなことを…と思う人もいるかもしれないが、そこはそれ、私大の文系学部の強み(笑)と、体育会系のクラブではなくサークルだったからだ。

私自身、野球が好きだ。
自分でプレイすることは、絶対にないが(凄まじい運動音痴なので)、野球を見ていて飽きたことがない。高校野球も好きだし、プロ野球も好きだし、少年野球も好きだし、おっちゃんの草野球も好きだ。
だから、この本の表紙とタイトルを見て、こりゃ買わねば!読まねば!と一目散にレジに持っていったわけで。

さらりと一読しただけ、だが、ちょっと期待はずれ、というのが正直なところ。
なんとなく、高校野球がベースにある(ていうか隠れたテーマ?いや隠れてないけど)のに、別に野球でなくてもいいんじゃないの?という感じが強く残った。
確かに、今はどうだか知らないけど、かつて、高校の野球部員というのは、ほぼ一人残らず「甲子園」に憧れ、それは遥か彼方に霞んで見えていても、確かにそこに「在る」夢だったと思う。高校球児とは縁がなかったけれど、かつて高校球児だった人達を知っているだけに、彼等がどんなに野球が好きで、どんなに遠くても「甲子園」を確かな夢として持っているか、という匂いは、なんとなく分かる。
だからこそ、ここに出てくるかつての高校球児達は、どうにも、何かがぎこちない。なんていうかな、もっとこう、理屈ぬきで野球が根っこにあるはずだと思う。
たとえば、かつてのマネージャーの息子とキャッチボールをする描写とか、かつてのチームメイトと再会するくだりとか、細かい部分部分は、ああ野球をやってた人はこうだろうな、みたいなのはある。
あるんだけど、あるからこそ余計に、微妙な違和感が、ずーっとあった。

そうしたら、なんてことはない。
作者自身は、高校球児ではなかった。(がくっ)
そら、あかんがな。
一番肝心なところやん。
それをあんた、主人公が本来行けるはずのない甲子園にあと一歩で行けた年のエース、て!そら、なんぼ腕の良い作家でも、書けんやろ。と思うのは、おいらのえーと、傲慢でしょうかねえ?

たとえば、ラグビー部なら花園。
サッカー部なら国立。
マラソン(陸上)なら京都(高校駅伝)。
そのどれかでもいいんじゃないの。なんでわざわざ、アラの目立つ(としか思えない)野球を。

んー、もっかいくらいは読むかもしれないけど、ちょっと残念感が大きいので、早々に処分するかもなあ。
…ちぇ。