すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

核兵器の保持に関する議論の是非

2006年10月30日 01時23分07秒 | 代表“グダグダ”雑感
北朝鮮が核実験をしたということで、我が国も核武装について議論をするか否かの是非が、其処彼処で語られています。
外相や自民党政調会長の「議論すべし」という主張は、彼らのこれまでの思想の吐露からすれば、何ら不思議な内容でもありません。

私は、これまで核武装について議論をすることは、当然のことで、議論を否定することは、民主国家たる地位を放棄するものであると考えていました。
それは、現在も変わらないという意識もあれば、それを否定する意識もあります。
どちらかと言うと、現在は議論をすること自体を否定すべきであると思っています。
何故なら、核兵器の唯一の被害の国であるから。
多くの被爆者の方々の話を聞いて、核兵器の恐ろしさと、核兵器による悲惨な状況の認識と理解を強くするにつけて、核兵器は、非人間的かつ非文明的な存在であると考えるからです。

核兵器によって、戦争が抑止されていると考える理屈は、ある意味理解はできますが、その理解は、もうすでに過去のことであると考えます。
冷戦時では、その抑止力の効果がある程度是認できるような出来事があったことは、理解しようと思えることもあるかもしれません。
しかし、核兵器の拡散は、私たちが想像する以上に簡単に行われている可能性を認識すべきではないかと思います。
つまり、ならず者国家に核兵器が移転される危険性もさることながら、テロ組織に移転される/されている危険性は、想像に難くありません。
核兵器の管理が不十分な状態でソ連邦は解体されました。
この事実をもってしても、核兵器の拡散は、どの程度為されているのか。

核兵器の完全管理など、夢のまた夢であり、それは単なる現実主義的な顔を持った単なる平和ボケの理想主義者の戯言であり、幻想に過ぎないことを理解すべきです。

核兵器は、戦争の抑止力になっていると思い込みたい方々は少なくないようですが、それは現実的ではないし、新しい敵であるテロリストと対峙する新しい時代に入っていると主張するブッシュアメリカをはじめとする新自由主義者やネオコンらの希望的観測に過ぎません。
それこそ、テメイらの陣営でしか通用しない理屈です。

使えもしない核兵器が、一体何の意味があるのでしょうか。
核兵器を持ち続けるのなら、いつか、誰から必ず使用することでしょう。
使わなければ意味が無い。
使わないと断定などできない。
まさしく、使われそうになった経験がある。

もし敵が核兵器を使用したなら、私たちはどうしますか?
同盟国アメリカは、どうしますか?
報復として核兵器を使用しますか?

核兵器を1発でも使用したなら、どのような環境汚染を引き起こすのでしょうか?

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