純ちゃんが、とうとう終戦記念日に靖国へ参拝しましたね。
盆休みで、ゆっくりとテレビを観ようとしていましたが、とりあえずNHKはゆっくりと観ました。
NHKの報道手法や内容は、昨今のNHK問題を解消しようと、政府におもねるような報道でしたね。
靖国神社が、単なる一般的な神社として表現されていました。
困ったものです。
靖国の本質・本性を覆うような報道。
これが、NHKの実態なんでしょうか。情けないことです。多くの有能なNHK職員の苦悩を想像すると、頑張ってください、としか言えません。
靖国神社:最多25万人の参拝者 これも“小泉効果”?<毎日新聞>
小泉純一郎首相が参拝した15日の靖国神社には、約25万8000人(同神社まとめ)が訪れた。統計の残っている00年以降の一日当たりの参拝者数としては最多となった。
所謂、福岡地裁や大阪地裁が下した違憲判断を思い出しますね。
つまり、純ちゃんの行為によって、この「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進…」となっていることをある程度証明していることが理解できますよね。
実は、これらの判決があった当時の状況に於いては、当該行為によって、靖国に対する援助、助長、促進になっていると認定することが、どちらにも転ぶような状況であったような個人的な感覚がありました。あくまで、ぼんやりとした感覚です。
しかし、今年のこの事実を知ると、これはもう、特定の宗教を援助、助長、促進していると認定できる状況であると思います。
純ちゃんが参拝する以前は、10万人を切っていましたからね。
これは、もう純ちゃんとマスコミのおかげですよ。
靖国神社は、純ちゃんとマスコミに感謝しないとね。
靖国の問題は、ネットでこれまでいろいろと意見交換・議論をしてきた藹です。
嫌って言うほど、やってきました。
すうたまちゃんブログでは、全くそれをしていませんが。
この数年は、全く興味がもてなくて、靖国関係の訴訟について言及するぐらいでした。
しかし、今はこのままにしておくべき問題ではないと感じ、これまで以上に靖国問題の解決手段を模索するための勉強をしています。
その成果をここの場で表現できれば良いなぁ、と思っていますが、どうなるでしょうか。
そうそう!
「人それぞれですから」
という意見が通用するのは、一般人においては通用するものであり、一国の宰相である日本国の首相が、靖国参拝に言及するにおいて使用する言葉ではありません。
首相は、当然のことながら、一般的に人権共有主体である自然人であると同時に、国家機関でもあります。
したがって、首相のすべての言動は、私人としての性格と公人としての性格を有するのです。
私人・公人の認定、職務・非職務の認定は、事案によって個別具体的に検討・評価されるでしょう。
ただ、断言できることは、内閣総理大臣である人間小泉純一郎として靖国を参拝したという事実は、宗教的行為であることは、否定しようがない事実です。
靖国に参拝することが、宗教的行為でないと評価するなら、靖国の宗教行為・行事を否定することであり、信教の自由を侵害しかねない主張になるのです。こんなの、宗教学を勉強しなくても理解できることですよね。
少なくとも、「靖国神社への参拝は、社会的儀礼に過ぎず、習俗的行為の範囲内であり、宗教的行為じゃない」なんて言うなら、これはもう、靖国神社に対する冒涜になりますよね。信仰に対するイチャモン以上の問題をはらむことになるでしょう。
それと、「宗教の寛容性」について、考えなくてはいけないと思っています。
「寛容」という言葉は、個人的に素晴らしいものであると思います。
しかし、その素晴らしさゆえに、この言葉が恣意的に利用されているという危機感を抱いています。
さらに、「極東国際軍事裁判、所謂東京裁判をどう理解するのか?」
これを真剣に考えるべきでしょうね、私たちは!
つまりは、戦争責任と考えることです。
遅きに失する状況であると思いますが、しなくてはいけない作業です。
右も左も避けてきたことです。
さあ、語り合いましょう!
まとまりがないいつものエントリとなりましたが、これについてはまた後日表現したいと思います。