すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

不快に感じると、「刑事罰を科せよ」という風潮

2006年08月30日 03時08分18秒 | 代表“グダグダ”雑感
他者の行為によって不快に感じると、刑事罰を科することを是とする風潮や、それが常識であるという主張がブログでは散見されます。

こういった感覚は、どういったことから起因するものなのでしょうか。
最近、私には解らないことだらけ。

とりあえず、「刑法の謙抑性」について、簡単に勉強をされることをお奨め致します。

ところで、今更ながら、裁判官の市民感覚のズレを漠然と指摘するブログエントリも見受けられます。
具体的に、どのようなズレがあるかの指摘をすることもなく。

法律論を厳格・厳密に論じることは、難しいことですが、最低限の事実確認をしてから論じるべきでしょう。

新聞の記事すら、十分に確認することなく思い込みでもって論じる。
自分のブログで、新聞記事をそのまま紹介しているにもかかわらず、紹介記事に書かれている内容を理解せず、または曲解・誤解して論じる。

このような不完全な事実認識に基づいた主張が、あまりにも多過ぎます。
その可能性を疑おうという意識が無いためなのでしょうか。

己を疑え!

工場主の悲鳴と、住民の主張を読む

2006年08月28日 02時20分33秒 | 代表“グダグダ”雑感
東大阪市:モノづくりのまち、宅地開発に工場主悲鳴 騒音トラブル続出 <毎日新聞>
工場密度が全国一のモノづくりのまち・東大阪市の高井田地区で、景気低迷などで撤退した町工場跡地の宅地化が進み、住民と事業主とで騒音などを巡るトラブルが相次いでいる。交通の便がよく、地価が安いことから住宅地としてニーズが高まる一方、住民の苦情を受けて移転や廃業に追い込まれる町工場もある。

おかしくありません?
住民の男性(59)は「企業は騒音基準を満たすなどの努力をすべきだ。『操業環境の悪化』と叫ぶのは身勝手だ」と反発している。

この主張に同意が全くできません。

工業地域だから、割安の価格で家を購入できた。
その工業地域は、当然ながら工場がある。
ある程度の騒音やその他の問題は当然に予想される地域である。
にもかかわらず、その物件を購入。
安い物件を購入したという事実から、それなりの現実がある訳です。
つまりは、周りは工場があって、騒音やその他のマイナス環境があるとい事実。

後からその土地に住むことを選択した人は、ある程度の状況を許容したということが想像できます。
つまりは、工場地域なのだから、ある程度の騒音やその他の問題を許容するという意識に基づいて、当該物件を購入したということ。
それを認識・許容せずに購入したのなら、それは単純に購入者が負うべき状況であり事実であると思います。

確かに、事業主もこれまで通りの甘い操業環境を続けることは、困難な状況ではあるでしょうが、新興住宅地の所有者らの一方的な主張に負けないで頂きたいですね。

ある意味、ヤクザ的な主張だと思いますよ。住民男性の意見は。

もしかしたら、私の見解は、現実を無視した内容の可能性もありますので、ご指摘を頂ければ幸いです。

負けることの勇気

2006年08月27日 02時16分15秒 | 代表“グダグダ”雑感
最近、「屈するな!」という主張を見聞きすることが少なくないですよね。

例えば「中国・韓国に屈するな!」という発言。

何故、屈したらいけないの?
その理由を提示するご意見がなかなか見つけられませんね。
できれば、教えてください。

勝ち負けに拘る事を否定するつもりは毛頭ございませんが、そのこだわりの根拠が提示されないとね。

何故勝つべきなのか、何故屈しないべきなのか?

「勝つべき事柄」と「勝つ必要性は要求されないけれど、勝ったほうが良い事柄」と、「勝つ必要性がない上に、負けても良い事柄」があります。

『個別具体的な判断が要求される事柄』

この存在を認識すれば、其れなりに冷静な判断ができるかもしれない、と思いますが、如何でしょうか。

負けても良いやん!
何で負けたらあかんの?

靖国問題を解消するためにも

2006年08月16日 01時33分00秒 | 代表“グダグダ”雑感
純ちゃんが、とうとう終戦記念日に靖国へ参拝しましたね。
盆休みで、ゆっくりとテレビを観ようとしていましたが、とりあえずNHKはゆっくりと観ました。

NHKの報道手法や内容は、昨今のNHK問題を解消しようと、政府におもねるような報道でしたね。
靖国神社が、単なる一般的な神社として表現されていました。
困ったものです。
靖国の本質・本性を覆うような報道。
これが、NHKの実態なんでしょうか。情けないことです。多くの有能なNHK職員の苦悩を想像すると、頑張ってください、としか言えません。

靖国神社:最多25万人の参拝者 これも“小泉効果”?<毎日新聞>

小泉純一郎首相が参拝した15日の靖国神社には、約25万8000人(同神社まとめ)が訪れた。統計の残っている00年以降の一日当たりの参拝者数としては最多となった。

所謂、福岡地裁や大阪地裁が下した違憲判断を思い出しますね。
つまり、純ちゃんの行為によって、この「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進…」となっていることをある程度証明していることが理解できますよね。
実は、これらの判決があった当時の状況に於いては、当該行為によって、靖国に対する援助、助長、促進になっていると認定することが、どちらにも転ぶような状況であったような個人的な感覚がありました。あくまで、ぼんやりとした感覚です。
 
しかし、今年のこの事実を知ると、これはもう、特定の宗教を援助、助長、促進していると認定できる状況であると思います。
純ちゃんが参拝する以前は、10万人を切っていましたからね。
これは、もう純ちゃんとマスコミのおかげですよ。
靖国神社は、純ちゃんとマスコミに感謝しないとね。


靖国の問題は、ネットでこれまでいろいろと意見交換・議論をしてきた藹です。
嫌って言うほど、やってきました。
すうたまちゃんブログでは、全くそれをしていませんが。

この数年は、全く興味がもてなくて、靖国関係の訴訟について言及するぐらいでした。
しかし、今はこのままにしておくべき問題ではないと感じ、これまで以上に靖国問題の解決手段を模索するための勉強をしています。
その成果をここの場で表現できれば良いなぁ、と思っていますが、どうなるでしょうか。

そうそう!
「人それぞれですから」
という意見が通用するのは、一般人においては通用するものであり、一国の宰相である日本国の首相が、靖国参拝に言及するにおいて使用する言葉ではありません。
首相は、当然のことながら、一般的に人権共有主体である自然人であると同時に、国家機関でもあります。
したがって、首相のすべての言動は、私人としての性格と公人としての性格を有するのです。
私人・公人の認定、職務・非職務の認定は、事案によって個別具体的に検討・評価されるでしょう。

ただ、断言できることは、内閣総理大臣である人間小泉純一郎として靖国を参拝したという事実は、宗教的行為であることは、否定しようがない事実です。
靖国に参拝することが、宗教的行為でないと評価するなら、靖国の宗教行為・行事を否定することであり、信教の自由を侵害しかねない主張になるのです。こんなの、宗教学を勉強しなくても理解できることですよね。
少なくとも、「靖国神社への参拝は、社会的儀礼に過ぎず、習俗的行為の範囲内であり、宗教的行為じゃない」なんて言うなら、これはもう、靖国神社に対する冒涜になりますよね。信仰に対するイチャモン以上の問題をはらむことになるでしょう。

それと、「宗教の寛容性」について、考えなくてはいけないと思っています。
「寛容」という言葉は、個人的に素晴らしいものであると思います。
しかし、その素晴らしさゆえに、この言葉が恣意的に利用されているという危機感を抱いています。

さらに、「極東国際軍事裁判、所謂東京裁判をどう理解するのか?」
これを真剣に考えるべきでしょうね、私たちは!
つまりは、戦争責任と考えることです。
遅きに失する状況であると思いますが、しなくてはいけない作業です。
右も左も避けてきたことです。
さあ、語り合いましょう!

まとまりがないいつものエントリとなりましたが、これについてはまた後日表現したいと思います。

あるブログでのこと

2006年08月13日 00時15分15秒 | 代表“グダグダ”雑感
先週から、とあるブログで、無用な論争を展開されています。
このエントリをご覧下さい。

いやあ、このような争いの原因は、私なんですけどね。お恥ずかしいことです。

で、このブログの管理人さんから出入り禁止処分を頂きました。
情けない。こんなこと初めてです。(T-T)ダラダラ(T^T)ズルズル-
まあ、似たような経験は、一度あるんですがね。

この無用な論争について、私の友人や後輩、尊敬する方々に意見を聞いているのですが、大方のご意見は私が悪い、ということですね。
原因となるミスと、論点を絞らずに、枝葉部分にも反応した私のミスの指摘です。
また、議論をするスタンスについてご教授頂いたものもあります。

無用な論争の具体的内容についての評価については、ここでは割愛させて頂きます。
コメント欄をご覧頂ければ、もしかしたらその内容をご紹介することもあるかもしれませんが、一方的な摘示は、できる限り避けたいと思っております。
文字によるコミュニケーションの困難性・危険性と、ブログコミュニケーションの現状について、意見を頂いております。
私は、今回の無用な論争は、社会的諸般の事実を評価するブログにおいて、典型的なタイプか否かを検証する一つの材料になると思っています。
「たかがブログを?!」というご意見もあるでしょうが、ブログの影響力は、「頭の硬い」学者やジャーナリストが想像する以上に大きく強いものになりつつあり、これからもそれが衰えるどころか、さらに勢いづくものであると思います。

当該ブログの常連さんの方から、先日のエントリ『「無知の知」と「自覚」と「認識」』にてコメントを頂きました。
そのコメントに対する私のお返事を、このエントリのコメント欄でさせて頂きます。

見るに絶えない内容ですが、これもまた一興ではないかと思っています。
この無用な論争の本質的な原因や問題のご意見を頂ければ、嬉しいですね。

「無知の知」と「自覚」と「認識」

2006年08月11日 02時57分03秒 | 代表“グダグダ”雑感
私の大事にしている考えというか意識は、「己を疑う」ということです。
常に己の言動に疑いを持ちながら、自分の信念や感性を信じる。

己の理解や認識がすべてでないことは自明であり、それを自覚・認識することが、己の思考の硬直化や独善化から回避されることにつながるものだと思います。

ありていの言葉で表現すれば「無知の自覚」所謂、ソクラテスの「無理の知」を認識することから始まるのではないかなぁ、なんて思っています。

己の感性を信じながら、その感性を疑う。
一見矛盾するような作業ですが、これが私たちにとって大変重要な必須作業ではないかと思います。

さて、自分の感性を信じつつ、想像を働かせることの努力は、やはり重要な作業であると思います。

そこで問題になってくるのが、「想像力」についてです。
この「想像力」については、様々な評価をすることができます。
つまり、合理的な想像力もあれば、合理的ではない想像力もあります。

該して合理的でない事実で導かれた事実は、飛躍的な事実を導くものであって、真実を表現するものではありません。

ただ、この想像力こそが事実を摘示する力になると思います。

事実の見えない本質を剔抉する力の要求を理解することが求められると思います。

偏見からの自由を理解するためにも、「公共性」の理解・認識が必要だと思います。

裁判所の事実認定から判決に至る所為として(民事なら)、事実認定、要件事実の有無、法律効果の有無、判決という展開で進みます(それぞれの段階で法的三段論法を繰り返す)。

ただ、証拠集めの前段階においては、所謂一般的な想像力は、実務家には必要だと私は考えます。
客観的な事実の集積のためには、想像力も重要かつ必要な能力だと思います。
つまり、客観的事実を証明する証拠集めをする段階の想像力です。
この想像力によって、有効な事実証明を発見することができ、相手方に対して有利な心証を獲得できる訳です。

まあ、手法の違いはあるとしても、この意識、つまりは想像が、私は大事だと思います。
(事実認定をする手段において、想像を利用すべしという意味ではありませんよ。)

裁判官は、もう少し大きな声で話しましょう!

2006年08月09日 01時59分00秒 | 代表“グダグダ”雑感
皆さんは、裁判を傍聴されたことはありますか?
実を言いますと、テレビドラマのような、遣り取りが行われるのは大変稀です。
特に民事の裁判は、イメージが違うと思います。

裁判長がボソボソと喋り、代理人の弁護士がそれに答える。
傍聴席にいても、その会話の内容を聞き取ることが大変困難なことは少なくありません。

法廷では、学生さんが勉強のために、傍聴席でメモをとりながら、一生懸命その遣り取りを聞いている姿が時折見られます。
でも、何を言っているのか聞こえないようで、首を傾げている事が少なくない。
そういう時は、とても気になるんですよね。

「もうちょっと大きな声で話してください!」と裁判長に言いたい気持ちになります。
裁判官も、学生さんが勉強に来ていることは理解していると思います。
それなら、いつもよりもボリュームを上げて話してもいいのではないかと思います。
若者のために、何故そういう努力ができないのかが理解できません。

最近の裁判所は変わろうとしている姿勢は伺えます。
特に刑事については、その姿勢が顕著に見えます。
特に判決公判における裁判所の対応は、驚くこともあります。
集団訴訟等において、原告のために判決書を原告分作成した裁判所もあります(どの案件かは忘れました)。

それなら、小さなことですが、勉強をしに来ている学生のために、傍聴席に聞こえるボリュームで話して欲しいですね。
少しだけ、声を張ればいいのに。小さな努力が大事だと思うんですけどねぇ。
頑張れ裁判所!!!

ホンダが勝った バトンが勝った

2006年08月08日 00時53分46秒 | 代表“グダグダ”雑感
F-1で、ホンダが優勝しました。
バトンが頑張ってくれました。

表彰式に、君が代が流れました。
正直、君が代が流れて、これほどまで感慨深く想ったことは経験がありません。
私にとっては、F-1の表彰式で君が代を聞いたのは初めてだったので、尚更のことなんでしょうか。39年ぶりの君が代です。

昔は、君が代のメロディは好きじゃなかったのです。
だって、気合が入らないというか、気が滅入る感じがしていました。

でも、最近は素晴らしいメロディだと思いますね。歌詞に関しては、色々ありますが…。
最高のメロディだと思います。
特に、表彰式には最高だぁ!!!

日本って、北朝鮮状態でした

2006年08月06日 01時29分26秒 | 代表“グダグダ”雑感
ココまで酷くなっているんですね。
最近の我が国日本は、どうなっているんでしょうか。

ある歌舞団の団員が公演案内のポスターを電柱に貼っていたところ、野外物広告法・条例違反で現行犯逮捕されたそうです。7月23日のことです。

公演内容は、『イラク戦争を題材に、戦争の悲惨さを訴え、非武装・非暴力での解決を求める政治的な内容』

なるほど、なるほど。
政府の意向が警察に働いているんですね。

ちなみに、野外物広告法・条例の立法趣旨は、「街の景観、美観の維持や看板等の倒壊等による危害防止」です。
法の第29条には「この法律や条例の適用に当たっては、国民の政治的自由その他国民の人権を不当に侵害しないよう留意しなければならない」と規定されています。

小泉純ちゃんの信教の自由は、国益に優先される中、国民の表現の自由等の人権は、政府益にかなわないようですね。
純ちゃんの信教の自由を具現化する行為が国益に適うという理屈を知りたいのですが、誰か教えて~。

とにかく、逮捕要件も満たさない、そして勾留要件も満たさない、その他憲法違反、刑訴法違反のオンパレード。まるで北朝鮮状態。

憲法第31条・34条・38条
刑事訴訟法第1条・30条・60条・87条・193条・201条・207条・213条

これらに抵触してます。
上記法・条例違反であることは、これまた明白。
異常です。

亀田君は痛々しいよ

2006年08月05日 01時15分28秒 | 代表“グダグダ”雑感
先日行われた、WBAのライトフライ級王座決定戦の判定について、様々なことが言われていますね。
プロボクシングの世界戦で、私は初めて日本人じゃない外国人を応援しました。へ(゜∇、°)へ ケケケケ・・

亀田興毅が言うように、1R終了間際のダウンは驚きましたが、ガッツポーズ!v(≧∇≦)v

関西では、彼がチビの頃からテレビで紹介されており、敬語が喋られるような年齢になってからも、今のような感じで、下品な言葉を羅列する亀田君を観てきました。
だから、今の彼の表現が、単なるパフォーマンスとは思えないんですよね。
身近な人の話によると、礼儀正しい青年らしいので、最近の彼の言動は、パフォーマンスなんだろうなぁ、という風に思いたい気持ちはあるのですが、なかなかマイナスのイメージは払拭できなく、決定戦まできました。

12R終了時には、どちらが勝つのかが私の感覚では判りませんでしたので、今回の判定に大きな疑問を持つものではありませんでした。
基本的に、彼の実力については、プロの話を聞きながら、私自身大変懐疑的でしたので、圧倒的な勝利を想像はしていませんでしたので、あの状況(試合状況)はさほど驚きでもありませんでした。
ただ、プロモータ(主体は知りませんが)や協栄について考えると、全く歯がたたないような相手を選択することはありえないと。
なので、ある程度勝てる可能性が高い相手を選ぶだろうと思っていました。
ランダエタ選手の実力が過小評価されていたために、このような結果にもなったんだろうと思います。本来と言うか、これまでのランダエタ選手の階級がミニマムで、その階級での戦いを見て後半のスタミナ切れを予想しての相手選択であったと思われます。
でも階級を上げた彼は、予想以上にスタミナがあったようですね。

さあて、判定についてですが、ボクシングにおいて判定の問題はこれまでも少なくありません。
現状の判定システムに基づいて行われた判定です。判定に問題があったとは、個人的には思えませんが、判定のシステムについては、改善すべきことは少なくないと思いますね。

それにしても、何故彼がバッシングされているのでしょうか。
意味が解らない。確かに、試合後の彼のコメントについて、「ボケかワレ~!凸(ーーメ カカッテコンカイ」と思えるものがありました。
「ダウンはオレ流のサプライズ」だなんて、よくも恥ずかしげもなく言えるもんだと。
このコメントをみて、救いようがない恥知らずなガキだと思いましたよ。
しかし、バッシングする理由が、納得できるようなものが少ない。

亀田興毅が判定で世界タイトルを獲得。あなたの判定は?

亀田興毅の世界戦、あなたの評価は?


これらをみると、尋常ではないですよね。この評価って。
ネットで見られる典型的な現象だと思います。
所謂、ラウドマイノリティというものなのか、マジョリティの評価なのかは判然としませんが、短絡的な感情的評価に基づくアンケート結果です。
ライブドアのアンケートを見てよく判るんですが、評価の理由を表現している内容を見ると、全くボクシングを解っていない人、全く事実誤認をしている人が多いことが判ります。
参考にすらならないアンケート結果だと思いますよ。

そうそう!
試合開始時間と、TBSのテレビ中継の終了時間を見ると、完全に早期の決着を想定していたことが分かりますね。
フルラウンドは、全く予想していなかったことが…。
情けない。

しかし、亀田ファミリーは裸の王様ですね。

おい!親父!そろそろ、正気にならんかい!ワレの息子を守らんで、親と言えるんかボケが!
おっさんが、守銭奴にええようにされてることが、まだ分からんのか???
ほんま、しばくで。

本当の実力も判らないで、大きな期待を寄せることの罪を理解しなくてはいけないと思いますよ。
我々日本人は。
これでは、世界の笑いものです。

人間力はありますか?

2006年08月04日 02時05分23秒 | 代表“グダグダ”雑感
プール事故、指定管理者制度の見直しを! <PJニュース>

事故を引き起こした当事者は埼玉県内ばかりではなく、近県で多くの自治体の公共施設の管理委託を受けている。事故はプールに限らない。全国的に指定管理者制度の見直しと、請負業者の適格性の調査が必要だ。
埼玉県のふじみ野市の市営プールで起こった最悪の事故をテレビで知ったとき、私は怒りをなかなか押さえることができませんでした。と同時に「本当にこの国は大丈夫なのか」という想いが頭をもたげました。

PJニュースで紹介されているこの記事なのですが、どうも論点がおかしいというか、何となく問題の所在をずらしている感があります。(ミスリードの可能性を感じます)
市民プールの運営管理を受託した民間会社と、委託した市の法的な責任について言及することは当然必要でしょう。
しかし、この事故と「指定管理者制度」の問題点とは、別論であるということは理解しなければいけません。
公の施設の管理業務・事務を行うことの責任問題と、制度問題は区別すべきです。
指定管理者制度の問題を提示し、その問題から惹起される危険性や問題点を指摘することは、それはまた大事なことだと思いますが、その書き方は注意が必要でしょう。

さて、私が「本当にこの国は大丈夫なのか」と思ったのは、次の理由です。
報道されている事故に至る経過を見て、こんな事故が起こること自体不思議で仕方がありません。
だって、吸水口の柵が外れていることを認識していた人間がいたのでから。
その時点で、大人が子供が吸い込まれないように、その前に塞がって、その次に採るべき手段を講じれば良いことです。柵が外れている事実を客に知らせることより、まずすべきです。客に聞こえるかどうかも分からない状況ですから。みずからが!

また、その事実を認識した客がいれば、その客がボンクラの監視員に、「柵の代わりになれ」と言うべきですし、その前に自分が柵になれば良いことです。
この危険な事実を認識していたすべての大人が、この事件・事故を引き起こしたと言っても過言ではないと私は断言します。

この事実が、この国の現状を示す大変憂うべき現実です。
「人間力」とでも申しましょうか。何でしょうか、弱いものと守るという意識とその意識に基づいて行動するという能力が全くない。
危機回避能力の欠如であり、「本能」を忘れた悲しき動物が、我々日本人なのでしょうか。
とっさの判断が要求される状況において、最低限の行動が出来る“ヒト”が少なくなっているのでしょうか。どうでしょう。


さく発見から10分間の悲劇 埼玉のプール事故 <朝日新聞>

この記事を読むにつけて、「この日本は終わってるなぁ」と思います。
周りにいた大人は、何なんだ?何か出来た人は、出来る可能性を持った人は、いなかったのでしょうか?
目の前で娘が吸い込まれる事実を見せられたお母さんのことを考えると、頭がおかしくなります。悲しいなんていう言葉は、相応しくない。お母さんは自分を責めて責めて責め続けているでしょうね。まわりの人たちは、お母さんが悪くないことをシッカリと伝えなければいけません。

安倍晋三がウケル理由がわからん

2006年08月01日 01時21分58秒 | 代表“グダグダ”雑感
自民党総裁選は、ほぼ決定状態で、全く面白みがありませんね。
すでに出来レース状態で、対抗馬の先生たちは、人事を目的に頑張っているようです。
個人的には谷垣さんに頑張っていただきたいのですが…(京都だからじゃないですよ)。

ポスト小泉の世論調査で、安部氏がダントツなんですが、その理由がよく解りません。
拉致問題でクローズアップされてから、人気者になっているようですが、その他の政策は全く無し。
最近は、再チャレンジ云々と、具体性のない子供じみたというか、「そんなんで再チャレンジできるほど現実は甘くないよ、ボンボン!」と言いたくなります。
小泉純ちゃんと同様、政策が全くないことが、国民に受けているのでしょうか。
国民は、政策に疎い宰相が好きなんですかねぇ。
ここまでも、ポピュリズム的な政治になると、楽観主義の私も心配になります。

安部君の、一体何が首相足り得る要素となるのか、教えてください。