すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

インスタントラーメンを出すラーメン屋

2006年05月27日 01時19分20秒 | 麺モノ
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/kyoto/news/20060525ddlk26070551000c.html

東京・西武新宿線の新井薬師前駅南口を左へ。即席めん専門のラーメン店「さくら」がある。もともと居酒屋だったという2坪ほどの小さなお店。カウンターにイス8席。圧巻なのは、壁一面にズラリと並ぶ150種類もの袋入りの即席めん。
すごい!!!
インスタントラーメンを商品にして、飲食店を開業・継続するなんて?!
凄い発想です。

それにしても即席ラーメンを作ることも面倒なんかいな?お客さん!
確かに、インスタントラーメンの味は、そこいらのラーメン屋に比較しても、遜色なく美味いと思います。
ホント、美味しいんですよ。でもね、その味は殆ど化学調味料で構成されたものなんですよ。
つまり、自然の食材なんて殆ど使用していないってこと。
「美味かったら良い」っていうのもアリだとは思いますが、この化学調味料の身体への影響は、恐ろしいほどのレベルで大きいんですよね。

まあ、巷のラーメン屋さんで、化学調味料を使用していない店を探すのは大変ですがね。
プロ意識がある店なら、まず化学調味料なんて使いません。
すうたまちゃん?
当然、使ってまへん!

こんな共謀罪じゃあ 凶暴犯罪は防げないよ~ん

2006年05月24日 23時22分28秒 | 代表“グダグダ”雑感
お薦めページのご紹介です。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060524/mng_____tokuho__000.shtml

共謀罪について、熱心に報道をし続けている東京新聞の特集記事です。
落合弁護士のレクチャーに基づいた内容です。
さすが落合弁護士です。
社会(現実)を知らない典型的な法曹人の、どこやらのヤメ検とは全く違いますね。


http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060524#1148435894

落合弁護士のブログで、刑法の凶器準備集合罪・結集罪を例にとって、条文の拡大解釈の危険性や蓋然性等について説明されています。


「お薦めページご紹介」のエントリでした。o(^▽^)o

厳しい現実だ 目覚めよ!男たち!!!

2006年05月22日 02時06分30秒 | 代表“グダグダ”雑感
男性のストレス原因 トップは「上司」 リーブ21調査

■「誰から一番ストレスを与えられるか?」
男性
1位 会社の上司 37%
2位 取引先   16%
3位 会社の部下  9%

女性
1位 だんな   20%
2位 会社の上司
3位 子供

■「ストレスを解消してくれる人は?」
男性
1位 妻    25%
2位 子供   21%

解消法
1位 家族とのだんらん
2位 睡眠
3位 酒

女性
1位 友人   25%
2位 だんな  23%
3位 子供   19%

解消法
1位 買い物
2位 睡眠
3位 旅行
4位 家族とのだんらん


このような結果が紹介されています。
この結果を見て、どういう感想を抱くのか、色んな方々に聞きたいなぁ、なんて思っていますが、如何でしょうか?

この調査結果を見ると、やはり男と女の根本的な違いが原因なんだろうなぁと思います。
楽観的な男と、現実的な女。

やはり、女性のストレスの最大原因が「旦那」なんですね。
どういう理由で、ストレスになるのかの更なる調査を期待したいですね。

しかし、子供がストレスになると答える女性も多いようで、第3位となっています。
私には、あまり理解ができません。子供がストレスになる理由は、どういうものかを知りたいですね。「心配することがストレスになる」、ということなら解りますが、どうなんでしょうか。

女性において、ストレスを解消してくれる人が「友人」というのは、私にとっては、かなり疑問です。
本質的な部分で、重要な役割を女性の同性の友人(つまりは、女性である友人)が果たしているとは、私には到底思えません。
ある意味、そう思いたいという期待や希望の回答のような気がします。

しかし、彼女たちが、ストレスの第一原因である旦那の悪口を言い合っていることは、ある意味想像に易いことですよね。その旦那への不満や怒りが、友人の旦那と悲しいほど共通項があるのかもしれません。
所謂「共感」しあうことにより、ストレスが解消されている、というのなら、解消してくれる人が『友人』であるということは、大変納得させられます。

もしそうなら、それほど、男は同じような行動をしているんだと思います。

簡単に男を表現すると、「アホ」なんですよね。

「アホな男たち」よ!もう少し客観的に事実を見る努力をしましょう!
少なくとも私は、それをしています。
しかし、妻は私に対して不満を持っていることでしょう。
仕方がありません。男はアホですから。
残念!!!

ご対面

2006年05月21日 03時50分08秒 | 代表“グダグダ”雑感
息子と、マネジャーの娘とのツーショットです。
我が息子は泣いています(笑)。

他人さまの前では、借りてきた猫のようにおとなしく、「おとなしいなぁ」「賢いなぁ」といったお言葉を頂くのですが、これはあくまで仮の姿なんですよね。
本日もマネジャー宅にお邪魔した時に、泣いたこともありましたが、大半の時間をおとなしく過ごしていました。

しかし、ジッとおとなしくするのも、限界があるんです。
少しずつ、環境に慣れてくると、まずは、喋り出します。
そして、ジワジワと体を動かし始めるんですよね。

バタバタ足を動かすまでに、マネジャー宅をおいとましました。
さあ、帰りの車の中では、もう暴れまくりです。
足から手から、ぶんぶんと振り回して、ご機嫌さんでバタバタしていました。

つまり、我が息子は、内弁慶ということですね。

ある時期から、根性を叩き直さないと!

生まれてくることの意味

2006年05月20日 02時45分01秒 | 代表“グダグダ”雑感
『金曜エンタテイメント』を観ました。最先端医療を紹介する番組でした。
番宣での「胎児医療」という言葉に反応し、どんなもんだろうと興味津々で観ましたが…。

始めからは観られませんでしたが、乳癌によって乳房切除の治療をした女性の乳房再生のコーナーぐらいから観ることできました。幸いなことに、私が観たかった胎児医療の紹介は、この乳房再生の次でした。

息子を寝かしつけている妻に「胎児医療は、やっぱり凄いで~!」と言いに行った時には、ちょうど寝かしつけに成功したようで、一緒にテレビを観ることに。

そこで18トリソミーという難病をもった赤ちゃんを出産しようとする夫婦が紹介されていました。
18番目の染色体が一本多いという、染色体の数的異常症と言われる難病だそうです。
この難病を持つ胎児の多くは流産し、たとえこの世に産まれてこれたとしても、多くの赤ちゃんが数日から数ヶ月で亡くなってしまうという。

この厳しい事実の説明を主治医から受けながら、この夫婦は、「赤ちゃんに会いたい、少しでも赤ちゃんと一緒に過ごしたい。」という気持ちを主治医に話されて、出産を決意されました。

帝王切開で生まれてきた赤ちゃんは、肺の機能が不完全なようで、なかなか呼吸ができないようで、産声をあげてくれません。
懸命の処置で産声をあげ、ようやく呼吸をしてくれた赤ちゃんに、夫婦は涙を流していました。
長くない命を認識しつつ、生れて来てくれた事に涙を流しながら、赤ちゃんを抱くお父さん。
その姿を見るにつけて、同じ立場になった錯覚とも言える共感を覚えました。

ご夫婦は、赤ちゃんの名前を既に決めておられました。りゅうた君。男の子です。

こんなに健気に生きようとする赤ちゃんが、そしてこんなに可愛い赤ちゃんが、大変な難病を持っている。一生懸命生きようと、一生懸命呼吸をしている様子を観るにつけて、私は辛くてつらくて…。

そうして、りゅうた君は、7時間という短い生涯を終えました。

この事実をテレビで観た私は、単なる傍観者であり、全くの他人ですが、酷過ぎる事実にただただ涙を流すしかありませんでした。

「何のために産まれてきたんだ?」
「神さんは、どういうつもりなんだ?」
という、全くの無宗教な私ですが、自分でも訳が判らない疑問が頭を巡るのです。

この短すぎる人生に直面したこの時、5臓器の同時移植手術を受けながら、先日の17日に突然の敗血症で亡くなった神達彩花ちゃんを想い出しました。彩花ちゃんも、1歳と4ヶ月という短い人生でした。
しかし、彩花ちゃんの両親は、この移植手術が大成功だったと仰います。
お父さんは、「この5ヶ月間(移植手術のために渡米し、一生に過ごした入院生活)、彩花と一緒に過ごせたことがとても幸せだった。」と仰います。

この言葉に私は、完全に打ちのめされてしまうのです。
私が同じ状況下にあれば、こういった言葉を発することができるという自信など全くありません。
両親の言葉から、あまりにも気丈な想いや感じが伝わってくると同時に、とても自信気な雰囲気が、さらに悲しい気持ちにさせられました。それと同時に、親の強さを知らされました。
「何だ、この達観した雰囲気は」
「悟り?」「現実逃避?」
「いや、これは、素直な想い」

凄まじいほどの、事実認識と事実認容、そして「愛情表現」ということなのでしょうか。


このある意味当たり前と思われる事実(悲しい事実を突きつけられている夫婦が毎年いらっしゃる)を改めて考えると、「生れてくる」という事実の意味を考えさせられます。


新生児の死亡率について言えば、日本は大変低いと聞きます(スウェーデンに次いで低いとか)。赤ちゃんのみならず、世界一の長寿国です。
しかし、幼児において亡くなってしまう赤ちゃん(0歳児)は、1999年のデータでは、10万人中340人だそうです。確率で見ると大変低いんでしょうが、2004年の日本の出生数は約110万人。
2004年で出産した約3700人お母さんは、悲しい体験をされているのです。
さらに、流産されたお母さんを加えれば、この数はどれぐらい増えるのでしょうか。

私の妻が妊娠するまで、私の流産に対する認識といえば、「残念だったね」という感覚でしかありませんでした。
しかし、妻が妊娠したことで、流産という事実は、「人の死」であることを認識させられることとなりました。
初めての子供を宿したお母さんと、お父さんの意識の違いが歴然とあるんですよね。
妻が妊娠したことによって、それをまざまざと気づかされました。


生れてくること、生きることには、必ず意味がある。
生まれてくる赤ちゃんは、お母さんを選んで産まれて来るんだ。
お母さんから産まれてきたいと思って、そのお腹に宿り、産まれて来るんだ。
だから、意味のない生命などないんだ。

本日改めて、どんなことをしても、生きることを諦めてはいけない、と強く思いました。
だから、さらに生きることに執着したいと思います。
愛する人のためにも、当然自分のためにもね。
生きてナンボ!
生きたくても生きことができない多くの人たちのために、生きることができる状況にある人は、何が何でも生き続ける努力をすべきなんです。

「死んだら終わり」だ何て言いません。
でも、生きることに執着し、固執することは、今生きている私たちの義務であると思います。

本日の土曜日は、マネジャーの第三子の娘ちゃんに会いに行きます。
産まれて、まだ1ヶ月にもならない赤ちゃんです。楽しみだなぁ。

スタッフのみんなは、また後日にいっしょに会いに行きましょう!
また、連絡するよ!!!(^◇^)

共謀罪立法化の大詰め

2006年05月16日 03時33分14秒 | 代表“グダグダ”雑感
http://www.hayakawa-chuko.com/greeting/060509.html

http://www.moj.go.jp/SPEECH/POINT/sp060512-01.html

自民党の早川忠孝議員や法務省も、同情してしまいたいほどの主張を展開されていますね。
当該条約の内容を判らない国民に対して、間違った情報を与えてまで共謀罪を成立させたいようですが…。
しかし、これらのファックス等は、政府提案の法律案を明らかに誤解しており、少なくとも私どもの修正案については全く勉強されていないようです。
条約についてですが、条約の重大な犯罪の定義部分に留保ないし解釈宣言をすれば、長期刑の年数の変更は、認められます。
条約の目的趣旨から逸脱しない内容なら、留保が認められています。
なので、犯罪の越境性を要件の一つにすることも、当外条約の目的趣旨に鑑みると、認められると思います。

「ど素人はワカランだろう」という傲慢な意識の下で表現された内容だと思います。

地裁が泣いた 検察が泣いた

2006年05月15日 02時23分26秒 | 代表“グダグダ”雑感
少し遅いご紹介になってしまいました。
この記事を読んで、自分でも驚くほど涙が流れてしまいました。
訳が分からないぐらい。

この事件を私の尊敬する先輩方に話した際に、「悲しい事件だけど、仕事ばかりして、近所付き合いをしていなかったために、近所に助けを求められなかった男性の、典型的なケース。」と教えられました。

確かに…。でも、悲しすぎます。辛過ぎます。

この男性のようなことを、私の子供に絶対にさせたくありません。

これが世界に誇る経済大国の日本の実情です。
収入の格差は資本主義社会においては当たり前のことです。
格差がない社会などありえません。
しかし、近代立憲主義に基づいた現憲法を持つ日本において、最低限の生活ができる環境作りをすることに、政府は不断の努力しなければいけません。
敢えて申し上げるなら、格差が広がっても良いと思います。しかし、現状より確実にボトムアップしなければ、マトモな国家だとは言えません。
つまりは、トップの制限は必要がないが、ボトムの制限はしなければいけない、ということです。

この日本の現状をこのまま漫然と放置することが続くならば、程度の違いはあれど、北朝鮮と同様です。かの国を非難する資格などありません。極論的な主張ではありますがね。


では、毎日新聞には了解を得ないで、全文をご紹介致します。
厳密に言えば、著作権侵害なんですが、許してください。(≧≦) ゴメンヨー

先月4月20日の『毎日新聞』の三面記事だったかな?

『京都・伏見区の母子無理心中:地裁が泣いた 介護疲れ54歳に「情状冒陳」--初公判』
 もういきられへん。ここでおわりやで
 そうか。いっしょやで。わしの子や

 京都・認知症母殺人初公判
  ―― 地裁が泣いた ――
 介護疲れ54歳に「情状冒陳」


 認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、K被告(54)の初公判が20日、京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。

 K被告が起訴事実を認めた後、検察側がK被告が献身的に介護をしながら失職などを経て追いつめられていく過程を詳述。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性とK被告が倒れているのを通行人が発見。女性は当時86歳だった母で死亡。K被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。

 検察側の冒頭陳述によると、K被告は両親と3人暮しだったが、95年に父が死亡。そのころからく母に認知症の症状が出始め、1人で介護した。母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。K被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。力ードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」。K被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。K被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、K被告が額を母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

 この言葉を聞いて、K被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

 冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を振るわせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

 自宅近くの理容店経宮、松村和彦さん(44)は、「(K被告は)母親と手をつないでよく散歩し、疲れて座り込むとおぶっていた。(事件を聞いて)行政で何とかできないものかと思った」と語る。【太田裕之、石川勝義】

■フォローが必要

 津村智恵子・大阪市立大医学部看護学科
  教授(地域看護、高齢者虐待)の話

 介護心中の典型的ケース。高齢者虐待の中でも最も悲惨な結末。4月1日から全国の市町村に「地域包括支援センター」が設置されており、追い詰められる前に相談してほしい。被告人が社会復帰しても孤立すれば自殺の恐れもある。フォローとケアが必要だ。

■被告の努力示す

 弁護を担当している池上哲朗弁護士の話)

 (検察側の被告に有利ともとれる冒頭陳述などについて)非常に珍しい。それほど悲しい事件ということ。警察官に対する調書も涙なしには読めず、心に触れたのではないか。公判でも被告がいかに一生懸命頑張ってきたかを示したい。

毎日新聞 2006年4月20日 大阪朝刊


共謀罪の立法化で犯罪を誘発する

2006年05月06日 02時27分03秒 | 代表“グダグダ”雑感
共謀罪の創設によって、より犯罪を誘発させる可能性がある、という主張の論理は、皆様は、特にこの法律案に賛成されている方々なら、当然認識されていると思いますが、それを反証することはできますでしょうか?

国会の法務委員会答弁や、ネット等の主張においても、それをできているものは、寡聞にして知りません。

中止犯の問題について申し上げますと、技巧的に「中止犯」を成立させる手段は、アイデアとして想像することは不可能ではありません。
でも、現実問題として、大変困難であることは、想像に易くないと思われます。

根拠なき主張

2006年05月03日 01時39分59秒 | 代表“グダグダ”雑感
このゴールデンウィークは、ゆっくりと過ごしたいと思っています、「あいあい亭代表」改め「藹」です。
これからも宜しくお願い致します。
これまでワタクシと表現していたものを「私」と表記し、ハンドルネームとあわせて心機一転に、しかしあいも変わらず“グダグダ”なエントリをしていきたいと思っております。

さて、先日のエントリでも申し上げましたが、最近の私は、色んなブログを訪問しております。
TBを頂いている『トンデモ社説』の管理人さんと少しばかり意見交換をしましたが、現在では私は「イカレ野郎」扱いをされています。(^▽^)

このブログのエントリへコメントされる方々のブログから、辿り着いたあるブログがあります。
それが、『mumurブルログ』です。

エントリの内容を少し確認したのですが、他のブログのエントリとよく似た内容なんです。
「ん?これは、どういうことなんだろう?」という疑問が湧いてくる訳です。
よく見ると、このブログのエントリには、100以上のコメントが付いているものが少なくありません。
TBも多い。当該ブログの管理人がどういう人物なのかが判りませんが、それほど論理的な内容でもありませんし、明らかに間違った知識に基づいた主張の展開もあります。
共謀罪についてのエントリ内容を見ると、当該法律案についてよく解っていないため、明後日の主張を展開していますし、意見の違いというレベルにも至っていません。

例えば
> 現在の与党案では、「犯罪を計画・共謀し、実行に着手する」という要件を満たさないと立件されないわけでしょ。「犯罪を計画・共謀する」団体すら普通はありえないのに、それを「実行に着手」なんてのはもっとありえない。

これは、「共謀にかかる犯罪の実行に資する行為」について理解されていないための主張です。
「実行に資する行為」の定義について全く触れることなく、憶測で構成要件の該当性について論じています。
まだ「団体」についての定義も然りです。
「犯罪を計画・共謀する」という意味すら理解せずに、全くの素人感想に基づいた主張を、あたかも真っ当な意見かのような呈をなしていること自体、大変問題であると思います。

それにしても、この盛況ぶりがとても不思議だなぁ。
合理的な主張を展開するブログが一般的に「ウケル」ブログであるとは全く言えませんが、このブログの人気ぶりの理由を知りたいと思いエントリを確認しているのですが、まだ判りません。

エントリの確認と同時に、どういった人がコメントしているかをザッと確認したのですが、あまり感心できないような内容です。考え方以前の問題だと思われるコメントが少なくありません。
やっぱり、不思議です。

この『mumurブルログ』のエントリを確認して感じたのは、このブログのエントリを真似て、または参考にしたようなブログが少なくないことです。
ブログではかなり典型的な現象だと思います。
先日のエントリで申し上げたように、自説の根拠が他のブログのエントリの内容である、という事実です。つまり、自己でその主張を咀嚼しないで、「受け売り」的な主張を展開することを恥としない。

この数日で経験したことで判ったことは、「人のコメントを曲解する人」、「(憶測で)決め付ける人」が多い、ということです。
人それぞれで意見が違うことは、当然のことですが、どうもそれを許せない方が少なくないような気がします。
やはり、反対意見を揶揄する人が少なくない。他者を尊重しないためなのでしょうか。

私があるブログの管理人に反論を希望するコメントをした際に、第三者の方から「管理人のブログ運営方針に従うべきだ」「管理人の考えは尊重すべき」というご意見を頂きました。
「反論を希望」すると、「管理人の考えを尊重していない」という評価に導かれる理由が私には全く理解できませんでしたので、それを質問したら、私は「ガキ」という評価を受けました。
「ガキ」という評価を甘んじて受け入れますが、「ガキ」と評価される理由が提示されていないのです。

私は、こういう反応がとても恐いんですよね。
「理由の提示なく他者を否定し、評価する」ことを平気でできることが。

このような人たちは、己の主張を展開すること、他者に対して意見をすることの「責任」を認識していないのではないかと私は思うのです。

先日のエントリと内容的には同様なのですが、もう少し理由を明示しながら、自説を展開することの重要性を理解すべきであると思います。