すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

朝生 日本と中国

2007年03月31日 04時26分46秒 | 代表“グダグダ”雑感
テレ朝の「朝生」の企画は、有意義な結果もたらしたと思える内容でした。

双方にとって、建設的なかつ有意義な意見交換ができたと思います。
全く意義なく終わることが多い朝生においては、珍しいこと。

参加者は、大変冷静な主張を展開されました。

やはり、相手方と面と向かって、意見交換する場合は、冷静な主張を展開する努力を図るものですね。感情のコントロールをしようとする思いや意識が、伝わってきたような気がします。

中国にも放送されたとか。同時放送だとか。

良い実験だと思います。

初めての怪我

2007年03月31日 02時25分34秒 | 代表“グダグダ”雑感
いつものように、コタツの上に乗って、パソコンを弄くっていた息子(ちぃ)。

下に落ちても大丈夫なように、座布団を敷いているので、時折ちぃの動きを確認する感じて、新聞を読んでいた。

「ドン」「ガン」

ちぃがコタツから落ちた。
ちぃが落ちることで発生したその音は、明白に落ちた音と、何とも言いようのない鈍い音とが混じっていた。

嫌な感じがして、落ちて泣いているちぃを抱えあげて、観察。
ちぃは、手で口からホッペにかけて、「イタイイタイ」と擦っているような様子。
そのうち、口から血が出てくると、もう慌ててしまった。

初めての、「怪我」をした。

机から落ちると同時に、アゴを机で打ったのだろう。
血を見た瞬間に「切れた」と思い、焦りまくる。

口の中を必死で見ようとするんだけど、息子はなかなか口を開けてくれない。
でも、舌の上に血が溜まっているのがチラチラと見えるし、またその血が口から流れてくるから、どんどんと興奮を増していく。

とにかく、ナフキンで、血を拭いて傷口が何処にあるかを確認する。

やはり「舌」だ。
舌の真中ぐらいの位置。
どうやって、その位置を噛んでしまうのかが、あまり理解できないような位置だ。

息子は、当然のことだけど、泣き止まないので、僕はかなりテンパッてしまう。
完全に「縫わないといけない」と思い、何処の病院に行けば良いかをテンパリながら考えるが、まったく出てこなくて、妻に頼るばかり。

近所の内科・小児科をやっている医院で良いだろうと、妻は言うんだけど、外科的処置が何処までできるんだろうという不安があったので、それを聞いても何とも言えない感じで、どう返事をしたら良いのか…。

とにかく、「医者に診てもらおう」と僕は言うんだけど、妻は「大丈夫やろう」と、あまり慌てた様子を見せない。
僕がテンパッているのを見て、逆に冷静になったのか、単に僕が大袈裟に騒いでいたのか、それはよく判らないけれど、落ち着いた感じで、息子をあやしている。

血が少しずつ止まってきている事が分かったので、オッパイをやってみることにすると、チュウチュウと吸ってくれた。
オッパイを吸ってくれれば、一安心。
様子を観ることにした。

数分後、いつものように、「復活したど~!」と言うように、「ウキョ~(^0^」と叫び、元気よく遊びだした。

いやぁ、疲れが一気に出た。
ぐったり。
数分ほど、床に転がる。

自分の怪我は、全く平気なんだけどね。
息子の怪我に対して、これほどまで慌ててしまうとは。
まあ、良い経験をしたと思おう。

それにしても、傷口の分かりにくい口の傷って、たちが悪いなぁ。

自分の情けなさを実感させられた出来事だった。(T△T)

絢香のBBSが炎上 そして閉鎖

2007年03月30日 01時03分46秒 | 代表“グダグダ”雑感
絢香の掲示板「炎上」閉鎖 ミキティーとのコラボがアダ

エキシビションの画像

「二曲目の『三日月』はあきらかにやりすぎです、興醒めしました」
「単なる絢香の売出しにしかみえなかったってことでしょ」
「テレビを見ていてドン引きしました。本来脇役のはずの絢香さんが主役になってしまっていて、それでフィギュアファンが怒ってるんですよ」
「安藤選手が可哀相でした。それから、伝統ある国際大会なのに普段着だったのもどうかと思いました」

安藤美姫ちゃんの金メダルを祝して、友人の絢香が、エキシビションの会場で生歌を披露しながら、ミキティーが演技をする。二人の良い感じの関係性を示す映像のように思えたんだけど。

しかし、このテレビ映像を見ている視聴者の中には、上記のような感想を持った人が少なからずいたみたい。
絢香のHPのBBSに、上記のような批判の書き込みがなされ、その非難に反論する絢香のファンとの間で、論争がおこり、BBSが炎上してしまったようだ。

僕は、この映像を、このふたりをテレビで微笑ましく観ていた。
「もうちょっと、絢香を映してやっても良いのに。」と思いながら。

絢香の歌で、ミキティーは救われた事実と、二人が同じ生年月日に生まれたという偶然の事実、そしてふたりが知り合って築いてきた関係性に鑑みると、二人が本当に幸せそうに見えた映像でした。
確かに、世界に披露するまでの歌の力量やアーティストとしての存在感は、まだ絢香にはありません(まだデビューした間もないし)が、二人の関係性を考えると、このパフォーマンスは、全く恥じるものではありません。
仲の良いふたりの女の子が、それぞれを高め合い、フォローし合い、お互いに成長し、ある事象について同じように喜び合う。
単純に、ハッピーな出来事が流れていると僕は思ったんだけど。

僕には、絢香のBBSに批判的書き込みをした人の気持ちが、ほとんど理解ができない。当該BBSは閉鎖されているので、紹介記事からでしか判断できないんだけどね。

僕の周りのこのエキシビを観ていた人たちに、この件について色々と話してみたんだけど、誰一人として、上記のような否定的な感想を抱く人はいなかった。

絢香が主役のような思えたことの原因が一つ考えられます。
それは、絢香が歌っている場面が、メインで、その背景にミキティーが演技をしている映像が数秒流れたのです。
前に絢香、後ろにミキティーが写る映像ですから、主役が絢香であるかのような感覚に陥ることは否定できません。明らかに、ミキティーが主役であるカット割であったにも拘わらず、そのような印象を持った人がいたのは、この数秒の映像が原因なんではないだろうかと思いますが、どうなんでしょうか。

「安藤選手が可哀想」???
想像力の豊かな方なのか?
勝手な想像としか思えない。
このような書き込みの連続で炎上する情況とBBSが閉鎖されたことを安藤美姫ちゃんが知った時の彼女の気持ちを想像すれば、それこそ安藤美姫ちゃんが可哀想だと思ってしまうけどなぁ。

ひとを慮ることや、人に対して寛容な気持ちで接する、ということを期待する以前の問題で、あまりにも自己本位的かつ独善的正義感に基づく反応であり、感想・想像だと僕は思ってしまう。

己と違う感覚を理解することは大変困難なことではあるんですが、その努力をしないとね。
己と違う考え・感覚に対する対処の問題と言っても良いのかなぁ。

これは、政治思想の違いを認めることと同じようなものだと思う。

もしかしたら、僕には解らない、多くの人には解らない、あるものを感じ取った人がいるのかもしれませんが、この記事からは、それを推認するようなものは見つけられない。

一体、どういうストレスを溜め込んでいるんだ?
何を、カリカリとしてるんだ?
何に不満があるんだ?
どうして、他人にそこまで厳しく求めるんだ?

こんな感覚を抱いてしまう、驚きのニュースだった。

「読み逃げ禁止」

2007年03月25日 01時39分03秒 | 代表“グダグダ”雑感
「mixi読み逃げ」ってダメなの?

「読み逃げ禁止」という文化が、ネット上に5年以上も前からあるらしい。
その文化が、ミクシィで「読み逃げは非常識・失礼」という意識を伴って、ある程度の広がりを見せているらしい。

で「読み逃げ」とは、上記サイトによると、
『「mixi」で、友人のページを訪問して足あと(アクセス履歴)を残しながら、日記にコメントを付けたりメッセージを送ったりせずに無言で立ち去ること』だそうだ。

この「読み逃げ」を許さないということで、「読み逃げ禁止」とするユーザーが出てきているらしく、「読み逃げ」を謝罪するユーザーも多く見られるようになったという。

「読み逃げ」を禁止する理由として、上記のサイトは、

こういったユーザーは、「足あとが付いているのにコメントやメッセージがないとがっかりする」と言う。そのユーザー自身は、自分のページに付いた足あとをすべて踏み返したり、日記にコメントをもらった場合は、その人の日記を訪問してコメントを返したりといった行為を半ば義務として行い、相手が同じことをしてくれるのを期待しているようす。彼らにとっては「踏まれたら踏み返す」「コメントをもらったらコメントを返す」が当然のマナーで、無言で立ち去るのはマナー違反ととらえているようだ。
と、分析・評価しています。

ミクシィで関係性を持った人は、ミクシィでのコミュニケーションのみでその関係性を維持することが多くなる。
つまり、実際に会う事がなければ、ミクシィでのコミュニケーション、つまりはミクシィでのコメントやメッセージでのコミュニケーションをしなければ、その関係性を継続することができないため、ミクシィでのコメントやメッセージを必要以上に、そして極端に期待・要求するんでしょう。
よって、「訪問したなら、何かコメントをしろよ!」という要請をし、「読み逃げ」を禁止することを採用する。

「読み逃げ」

この表現自体、とてもうっとおしい感じが満載。
自分がしている行為を、相手にまで要求するだなんて、どういう意識なんでしょう。
自分だけの価値観でしか、物事を評価できないんだろうけど、それにしても情けない。
己の感覚を、他者に押し付けるって、ウザ過ぎる。何様なんだろう?不思議でならない。

確かに、自分の日記やエントリにコメントがないと、寂しい気持ちになることは理解できるけれど、それは自分の日記やエントリがコメントされるほどの内容じゃない、という事実を受け入れたくない、甘っちょろい意識から、「コメントせよ!」と命令して、コメントがない事実を作らないようにする所為に過ぎない。
コメントされるような日記やエントリを書けよ!

でも、コメントがなければ、その日記が意味のないものなのか?
コメントされれば、意味があるのか?
つまらない短絡的な評価をするなよ、と言いたくなる。
一体、何の為にミクシィで日記をつけてるの?ブログをやってるの?

他者に、コメントを強要するだなんて、一体、どういう了見なんだ?
「読み逃げ禁止」を否定するつもりはないけれど、その根性は、ただただ呆れるばかり。

「無理やりの仲良しこよし」
「お友達のつもりごっこ」
「希薄な関係性を知りたくない症候群」

そんな感じかな?

もし宜しければ、教えて欲しい。
「読み逃げ禁止」の理由を!

生きにくい人だろうなぁ。

スクワット

2007年03月22日 02時25分03秒 | 代表“グダグダ”雑感
息子が、手放し立ちを頻繁にするようになってきた。
そのためなのか、表情が少し変わってきた。
凛々しくなったような気がする。
 
お義母さんも「顔が変わった」と言う。

アゴのラインもシャープになっているような。

また、立っている時の表情が、「どうだ!」という得意げな表情で、何とも生意気な雰囲気。
まあ、「何かやった」と彼が思ったものなら、その行為のあとは、得意げな表情をしたがるんだけどね。
「どう?今上手かったでしょ?」ってな感じの。

最近の手放しは、手を叩いたり、手を振ったり、身体を左右に振ってみたりと、立つだけでなく、色々な複合技。
リズムをとるのが大好きな為か、身体を上下にすることも多い。
ヒンズースクワットをするように、上下運動を繰り返す。

僕が、スクワットの方法をやって見せて教えると、真似るようにスクワットをする。
なかなか強い下半身ができているようだ。

木婚式

2007年03月12日 02時49分25秒 | 藹のご紹介
結婚五周年(木婚式)をお祝いに、本日は外食。
伏見の『梅の花』に行った。

妻は、何度か行った事があるとのこと。
去年には、息子がお腹の中にいる頃、ばあちゃんズとお食事をしたらしい。
その際、近くの桃山の御香宮で、安産祈願に行ったとか。

天気が良ければ、お礼参りをしたかったんだけど、風がきつくて寒くて断念。

『梅の花』
いやあ、良い感じのお店だったなぁ。
個室で、ちょっと低めのテーブルに、ちょっと低めの椅子に、浅めの堀。
その堀は、床暖房で、窓から庭が楽しめる。
躑躅(つつじ)が、2,3輪咲いていた。

味も、京風の味付け。
「豆づくし 春」という、一人4,500円のコース。
なかなかリーズナブルなお値段設定。

ランチなら、1,900円からなので、それこそ気軽にちょっとした贅沢を味わえる、お薦めのお店だなぁ。

「備前2」というお部屋だったんだけど、その部屋の名前にちなんだ器を使用しているらしい。
「備前」だから、やはり「備前焼」ってこと。

息子は、僕たちのお世話をしてくれた担当の女の子が大変気に入ったようだ。
とにかく、彼女に愛想を振りまく。
「にこ~~~~~」って。

挙句の果てに、その女の子を触ろうとまでする。

最後の品を持ってきてくれた時に、「これで最後になります。本日は、どうもありがとうございました。」と彼女が挨拶されて、お部屋から出て行くと、それを追いかけるかのように引き戸に迫り、女の子と後姿を悲しく眺め、その姿が見えなくなると、引き戸を叩きながら、本気泣きをした。

いやあ、驚いた。
彼の初恋?
いやいや、彼の今一番のお気に入りは、長澤まさみちゃんです。

で、ばーちゃんずに、おみやげ。
豆腐焼売。美味しいよ!

県議選買収事件 控訴断念 黒幕を追え!

2007年03月10日 01時55分21秒 | 代表“グダグダ”雑感
鹿児島地検が12人全員の控訴断念 県議選買収事件

この事件を初めて知ったのは、2,3年前のこと。
その時点で、自白の信頼性についての問題やアリバイの成立が是認されるだろうとの、極めて違法操作が行われたであろうことが指摘されていました。

無罪判決が下され、控訴が断念されたみたいだけど。
この事件を、このまま済ませる訳にはいかんでしょう。

この事件の黒幕を徹底的に追及しなければ。

元県議に対する贈収賄罪事件なんだから、この元県議の敵手とその周辺をまず、調査・捜査すべきです。

絶対にこのまま、終わらせるべきでない事件です。
これは、国民全体で、追及の声をあげるべきだ!!!

礼を重んじることと、国旗・国歌への敬意と 

2007年03月10日 00時06分37秒 | 代表“グダグダ”雑感
先日、makoto様から、コメントがありました。

それは、わたくし藹が、
「日本人たるもの、礼を重んじるべきものであると私は考えておりますからね。」
と申し上げたことに対して、

makoto様が、
その通りです! なのに、卒業式などで、国歌国旗に敬意を表さない、起立しない教師のことは、まったく批判しないのはなぜですか。
というコメントをされた。

それに対して、お返事差し上げるべきであると思います。
よって、このエントリで、コメント致します。

このmakoto様のご質問に、先日のコメントにおいて、言及しなかった理由は、論点の問題です。
全く別の問題における新たな論点について議論を提起する場合は、別論として議論を始めなければ、議論は滅茶苦茶になりますからね。

では、確認させてください。
「卒業式などで、国歌国旗に敬意を表さない、起立しない教師」を、【私が】批判していない/しない理由についてのご質問なのでしょうか?

ただ、私の上記のコメントは、「礼を重んじること、礼を尽くすべきこと」の【対象】を【人】として、言及しています。

私たちは、礼を重んじて、相手を慮る意識が必要であるという意味で、上記のコメントを申し上げました。
上記コメントの前に、「相手に対する敬意も無ければ、礼を尽くす意志…」と申し上げました通り、私のこの度の礼についてのコメントは、あくまで【人】に対するものです。



makoto様へ

2007年03月09日 23時33分53秒 | 代表“グダグダ”雑感
『阪神高速に自転車?』 2007年03月04日
『君が代伴奏訴訟最高裁判決 確認』 2007年03月07日

上記のエントリに、makoto様との意見交換を展開しておりますので、makoto様と意見交換するためのエントリを作りました。

こちらでお願い致します。

これまでのmakoto様との意見交換をこちらに移動させて頂きました。
では、宜しくお願い致します。


君が代伴奏訴訟最高裁判決 確認

2007年03月07日 02時37分33秒 | 代表“グダグダ”雑感
ようやく、上記事件の最高裁判決書きを確認。

多数意見の論理は、ある程度の合理性がある事は分かります。
しかし、その論理のレヴェルは、高いものではないと感じました。

簡単に評価すると、多数意見の論理は、観念的であり、抽象的であると述べる藤田裁判官の反対意見を肯定するものです。

やはり、「思想・良心」の正確な内容と、その詳細な検討が行われなければいけないし、「思想・良心の自由」を制約する具体的な要因としての、公共の福祉や公共の利益について、より詳細かつ具体的な衡量に基づいた検討が必要であることを確認すべきですし、それを指摘する反対意見を評価したいと思います。

マスコミが指摘していた内容は、間違っていないことが判りました。
多数意見が、大事な部分に対して言及していないことが。


阪神高速に自転車?

2007年03月04日 04時11分47秒 | 代表“グダグダ”雑感
未明の阪神高速に自転車女性、トラックにひかれ重体

この件に関する多くのエントリを見ると、どうもこの問題に付いてを正確に理解されていないような気がする。

高速道路に、自転車が走行していることを予想すべきことは否定されるべきであり、事故が起こった原因は、この記事から想像すると、大きく自転車を運転していた女性に過失があると思います。

ただ、事故を起こしてしまった後の、当該トラック運転手の行為が、恐らく道交法と刑法の構成要件に該当するものであり、その事実は、やはり非難されるべきものであることは否定しようがありません。

自己の起因は、自転車を運転していた女性であるとしても、事故後の義務・責務を履行しなかったトラック運転手の行為は、やはり構成要件に該当し、その違法性は是認されるでしょうし、この記事からは、その責任も否定されないことでしょう。

問題の所在を区別しなければいけない事を理解・認識すべきことのモデルケースかもしれませんね。

君が代伴奏拒否訴訟 最高裁判決

2007年03月04日 02時03分23秒 | 代表“グダグダ”雑感
君が代伴奏拒否訴訟:伴奏命令は合憲、最高裁が初判断 「思想の自由侵さぬ」

なかなか、判決文を読む時間を作れないんだけど、新聞記事を見るにつけて、最高裁の多数意見には、個人の思想・信条・良心等に反する行為を強いられることの心の苦痛について、斟酌しようとする姿勢が見られない。

また、音楽に対する意識も低い。
音楽とは、己の想いを表現する一つの手段でもあるんですからね。
音楽を専門にする人間なら、その想いは強くなります。
音楽教師だからこそ。

他に採るべき手段(他の教師に対して演奏を命じること、テープなどの再生機を使用して伴奏を流すこと、等など)があったにも拘わらず、伴奏をしたくないと主張する教員に対して、敢えてそれを命じることの理不尽な情況は、法律論を云々する以前の問題だと私は考えます。
個人の歴史観や思想、世界観は、限りなく制約すべきでないことは憲法は保障していますし、立憲主義に基づいた理解では、それを強いることはできないことは、当然の帰結です。
「私」と「公」の区別を峻別すべきことは、立憲主義の要諦です。
ただ、「公」とは、私人間のおける公共性の意味であり、国家権力、公権力からの要請を意味するものではないと私は考えます。その要請が肯定される場合は当然にありますよ。

「公」を公権力の発する制約全てと理解すると、公権力が要請される内容は、常に国民は拒否できないことになります。
その拒否の可否は、やはり個別具体的に検討されるべきです。

精神的自由権の制約は、当然に厳格な基準でもって、違憲審査が為されなければいけません。
このたびの最高裁の判決は、新聞記事から判断すると、厳格な基準でもって、丁寧に審査しているとは思えません。

後日、判決文を確認した上で、さらにこの事件について言及したいと思っております。