すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

『女性がダメ出しするのは こんな瞬間だ』

2006年11月29日 02時50分23秒 | 代表“グダグダ”雑感
だいぶと前のことですが…。
『女性がダメ出しするのは こんな瞬間だ』
http://www.rankingjapan.com/ranking.php?page=741

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2772333/detail


女性が男性に嫌悪感を抱く瞬間のランキング。

ある程度、理解・納得ができるんだけど…。

1位  飲食店などで、店員に偉そうにする(態度がでかい)

これは、よく分かるなぁ。
基本的には、客であろうが、横柄な言動は慎むべきですよね。


2位  割り勘で10円台まできっちり請求してくる

「せこい」の一言。


3位  蛾やゴキブリが出現したときに大騒ぎする

大騒ぎをしたら駄目と言われると、僕はとても悲しくなるなぁ。
だって、ゴキブリは大嫌いだから。
そりゃあ、嫌いだからといって、退治を女性に任せるってのは情けないけど、大騒ぎさせてよ!
まあ、極力それを抑えようと努力しようと思っているけどね。
子供の前では、どうどうと「パッツーン!!!」とゴキブリをシバキ上げるつもりだけど…。
いや、そうしなければいけないのよね。
親の振りを見て育つんですから、子供は。


4位  食後に爪楊枝で思いっきり歯の掃除をする

家じゃなくて、公共の場って事なら、納得。
恋人関係と夫婦関係の違いでも、評価が変わってくるだろうけどね。


5位  オフィスの机の上がフィギュアだらけ

ありえない。趣味の違いはあるけど、まずは仕事への意識の問題を感じるなぁ。
「だらけ」ってのはねぇ。


6位  下着代わりの柄モノTシャツが、ワイシャツの下から透けている

これは、僕が中学生の頃から、気になっていることだなぁ。
よくいるんですよね。中学生や高校生には。
僕にとっては、この姿はダサダサ。


7位  車の駐車が下手

「そんなん、しょうがないやん」と言いたくなるなぁ。
まあ、個人的には男がモタモタと駐車する光景を見るのは、イライラしますけどね。
ダメ出しするようなものなんだろうか。どうしても上手くならない人っていますからね。
努力しても無理なものに対して、ダメ出しされてもなぁ。
足の遅い人は、ダメ出しされることが妥当であるのなら、スポーツができない人がダメ出しされることが、ある程度許容されることの社会的コンセンサスがあるなら、それはまた致し方がないという評価も出来るかもしれないけど、僕は断固としてその意見に反論する。
努力で解消できない部分をダメ出しすることは、単なるイジメ。


8位  職場ではスーツ姿が決まっているのに、私服がイマイチ

「スーツ姿が決まっている」だけでも良いやん。
30歳を超えると、多くの男が、情けない姿を晒している人が少なくない状況ですからね。
格好良いと思っていた人が、私服のセンスがないと、大変に白けるそうですね。
これは、よく聞きます。


9位  電車の中で携帯ゲームに夢中になっている

基本的にゲームに関心の無い僕ですけど、好きなゲームもあります。
でも、電車でゲームをしているいい年をした男を見ると、情けない気持ちにはなりますが、これは僕の単なる主観ですしねぇ。
因みに、僕は、電車ではほとんど読書。
アホほど疲れていて睡魔に襲われようが、読書。
気がついたら寝ていたことはありますが、眠たくとも本は開けているなぁ。
電車での読書は、集中できるのよねぇ。


10位  おしぼりで顔を拭く

若い頃は、極力避けていたけど、20代の後半からは、理屈を自分なりにつけて、拭いてます。
これも、公共の場におけるエチケットの範疇と言えそうですね。
僕は、自分が拭きたいから、相手に「気持ち良いで~」「拭き~さぁ」と、勧めます。
人前で顔を拭くことが、エチケット違反なのか、はしたない事なのか、と考えてしまいますが、どうなんでしょうか。
年配の方々、特に女性に聞いてみたいものですね。

都知事は都知事 節約意識が無いみたい

2006年11月28日 02時51分10秒 | 代表“グダグダ”雑感
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061125k0000e040013000c.html


この都知事は、弱弱しい人物なんですよね。
なるほど、なるほど。
だから、勇ましい言葉を選ぶんですね。

よけいに、痛々しい。
ヨワッちいなぁ。ゆるなぁ。
甘っちょろいなぁ。

どれほど優秀であろうと、己の子供を使うこと自体が、恥知らずであり、親馬鹿の極みであることを理解していないのか。
それを理解しているなら、救いようがない。
それを理解していないなら、首長としての意識が希薄であり、アマちゃんであるという評価は避けられません。

例え、有名な芸術家であろうとも、己の子供を使用するのは、控えるのが普通の感覚。
東京都のために選択できることは、他にも様々であるはず。
もし、彼を採用することがベストであったとしても、それを回避するのが、親として当り前のことだと思います。

子供としては、そんな愛情などいらないからね。
それを引き受けた子供である彼も意識も、これまた不思議だなぁ。
アマちゃんのこともは、やはりアマちゃんであるという評価を引き受ける覚悟があるのでしょうか。
深く考えていないのか。
不思議です。

学習障害の子供たち

2006年11月27日 01時24分47秒 | 代表“グダグダ”雑感
先日のニュース23では、学習障害の子供たちを取り上げていました。
軽度の学習障害の子供たちが、いじめの対象になっているという事実は、どれほど周知されているのでしょうか。

学習障害の子供は、約6%だそうです。
この数字をどう理解すべきか。

学習障害だけでない。
その他の脳障害のある子供もいます。

弱いとか強いとかの問題とは全く関係のない範疇です。

弱くてなにが悪いねん?!

2006年11月23日 02時44分56秒 | 代表“グダグダ”雑感
苛められて自殺を選択する子供たちは、弱いのか?
甘ったれているのか?

「いじめられて自殺することは、絶対に許せませんし、甘ったれていると思います。」と先日の日記で、私は書きました。
が、これはあくまで一般論的な指摘であり、各論で申し上げているものではありません。

当然、イジメが原因で自殺した子供たち全てが、弱くて甘っちょろいだなんて、全く思いませんし、そう思うのなら、現実を全く理解していない傲慢野郎であると思います。

また、「イジメに負けない、強い子にしなければいけない」と、よく言われていますが、私はそうは思いません。
クラスの全ての子供たちが、全ての教科を万遍なく理解し及第点を獲得することが不可能である以上に、全ての子供たちが強くなることは有り得ませんし、それを指導すること自体、子供たちの人格を完全に否定する所為であると思います。

そりゃあ、苛めに負けないような強い子になれれば、それに越したことはないと一般的には思いますよね。
でも、苛めに遭わなければ、弱くても全く問題無しですよ。

つまりは、弱いことが悪いのではなく、単純に苛めることが悪いだけです。

また、人は色々な人がいるわけです。
アホもいればカシコもいる。
綺麗な子もいれば、ブサイクもいるし、格好良い子もいれば、格好悪い子もいる。
喧嘩が強い子もいれば、弱い子もいるし、精神的に弱い子もいれば、強い子もいる。
優しい子もいれば、優しくない子もいるし、ヘタレな子もいれば、そうでない子もいる。
色々な子供たちがいるものだし、色々な人がいるわけです。

だから、子供たちみんなが強くあるべきものではないのです。

「いじめはなくならない」
   ↓だから
「いじめに負けない強い子に育て教育すべき」

一見、大変正しく見えるんですけどね。
大きなお世話です。
それよりも、弱い子供たちを、弱い人たちを守ることができる環境を強い人たちが、多くの人たちが作るべきなのです。
だからこそ、私たちは「ホモ・サピエンス」と言われるんです。

弱い人たち、弱いものを守れる社会こそが、成熟した社会であり、完成された『現代立憲民主主義国家』であると思います。

弱くてなにが悪いねん!
弱くて悪いっていう奴は、僕が苛めてやる!Ψ(-◇-)Ψオッホホホッ~

核抑止が失敗の場合

2006年11月21日 02時24分42秒 | 代表“グダグダ”雑感
「日本が攻撃された場合、どうすんねん?」
という問いに、左翼思想を持つ人たちは、なかなかまともに答えようとしない。
「攻撃されるはずがない」
「どこが攻撃するのか」
「攻撃されるよりも、日本が攻撃することを心配せよ」
という反応・回答が返ってくることが多い。

この反応は、ある意味「思考停止」と言われても仕方がないと思う。

自衛権を否定し、軍備を否定する思想を持っていても、それらを肯定する思想を持つ人たちもいる。
それらを肯定する人たちは、多くが「日本は攻撃される蓋然性が少しでもある」という意識をもっているんだから、そのような意見に対して、ある程度の安心をさせるような意見を主張展開しなければいけないと私は思うわけです。
それは実際に安心させるようなことはできないでしょうが、その努力をしなければいけない。
だから、「攻撃されたら、どうするんだ?」という疑問に、真摯に答える努力をしなければいけないと。

それと同時に、「核抑止が失敗した場合、どうすればいい?」という疑問に、核抑止論を肯定する側は、答えるべき。
しかし、その回答を貰った経験もなければ、それを全く想定していないのが、抑止論の典型。
ある意味、それが抑止論の限界であり、現実性の欠如を示すものなんです。

非核三原則を遵守すべきとという意見が80%を超えたとの記事ですが、と言って、核保有について議論することは、半分の人が是認するようです。
議論をすることが「美徳」という左翼的思考を感じぜずにはいられません。
議論をすることが、ある一定の方向性を生じることを理解しながら、これを肯定するのなら、私は何も申し上げることはありません。
しかし、非核三原則を遵守すべきと8割を超える人間が考えているのに、核保有に関しての議論を半分の人たちが是認することの状況を見ると、それを理解している人は多くはないような気がします。

核抑止が失敗したら、私たちは、どうなるんでしょうか?
その場合、どうしたらいいのでしょうか?

(もしかしたら、どうしようもない事態になるかもしれません。いや、その可能性のほうが高いかも。とにかく、世界が保有する核兵器の能力は、地球が何回も全滅する力があります。)

教基法改定問題 春霞節満載の紹介

2006年11月20日 00時40分14秒 | 代表“グダグダ”雑感
毎度お馴染みの、春霞さんのブログをご紹介!
Because It's There

http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-198.html

http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-200.html

上記のエントリで、教育基本法の改定問題について、様々な視点から春霞節が展開されています。
教育基本法は、教育の憲法という性格を有しているにも拘わらず、イマイチ国民が注目していないような感じが個人的にはしています。

タウンミーティングのやらせ問題や、イジメ問題で、拙速なる教基法の改定に疑問視する意見が出始めているようですが、まだまだ不十分な意識に思えます。

ということで、このエントリを読んで、教基法改定の問題をご確認ください。
為になりまっせ~。

都知事の事実認識能力の程度は、この程度

2006年11月19日 00時57分10秒 | 代表“グダグダ”雑感
日教組や教師などに責任を負わせるような主張をする理屈は、どうでしょう?

文化省や教育委員会のみに責任を負わせるような主張をする理屈は、どうでしょう?

イジメが原因で自殺する子供たちは、人生を舐めていて、弱っちい、甘ったれの子供だという主張は、どうでしょう?

あるテレビ番組で、石原東京都知事は、文科省に手紙を送って自殺予告をした事実に対して、「やるならさっさとやれ」というコメントをしたそうです。
実は、この番組大変興味があったのですが、おでんパーティーを敢行していた時間で、内容確認を全くしていません。

ネットで探してみると、ある程度事実確認をすることができました。

石原氏の、軽薄さや短絡さを理解できる出来事ですね。

個人的な感想を申し上げると、いじめられて自殺することは、絶対に許せませんし、甘ったれていると思います。
でも、そういった(自殺する奴は甘い、人生を舐めている等のような)表現をすることは、できるだけ回避することが、理性的な所為であると思います。
そういった表現が許容される環境を作った上で、厳しい現実を子供たちに教え諭すことが、大人の責任であり、理性的な所為であると思います。

石原氏のこのような主張によって、傷つき自殺をさらに強く決意する子供たちがいるのかもしれません。

己の発する言葉の意味を全く理解せずに、小・中学生のような後先を考えない発言を繰り返す氏の精神的レヴェルは、想像に難くなく低いものなのでしょうね。

敢えて、厳しい言葉や現実を摘示する言葉を表現することの目的は、現状の問題を解消することにあります。
つまり、現実を摘示しても、問題の解消が具現されない場合は、その摘示は単なる害悪でしかありません。
それを、氏は全く理解できないのか、どうなのか。

物事を安易に理解する人が陥りやすい罠だと思います。

「石原都知事に「さっさとやれ!」と言われたので、さっさと自殺します。」という遺言を残して自殺する子供が確認された場合、氏はどのような釈明をするのでしょうか。
そのリスクヘッジが為されているような主張だとは全く思えない。

驚くべきものではないけれど、氏はそれだけの男なのよね。

教基法 参院審議へ

2006年11月18日 03時38分03秒 | 代表“グダグダ”雑感
教育基本法の改正が確実な情況が、未履修問題とイジメによる自殺問題、そしてタウンミーティングにおけるヤラセ質問問題によって、それが変わってきたのでしょうか。
火曜日の委員会強行採決は見送りの様。
と思いながら、委員会の与党単独採決とともに、衆院の通過。
既に、参院の審議が開始。

しかし、こんな状態でに、教基法の改正を云々している場合なのか?!
郵政民営化に是非について解散した衆議院が、教育の憲法である教育基本法の改正をする正統性はない。

教育に関する重大な作業が必要なケースにおいて、拙速に郵政民営化是非に関する衆議院による改正は、妥当性も無ければ許容性も無い。
また、それが是認されるとしても、今教基法の改正を議論する場合ではない。

まずは、現実の問題を解決するための、方策を国家レヴェルで考えていかなくてはいけない。

あまりにも異常な情況をどのように理解すべきなのか。

教基法の改正で、解消される問題とはいかなるものかを、具体的に摘示しながら、議論しなければいけないと思う。
教基法の改正で、今挙げたイジメの問題を解消することなどできないことは、誰もが理解していること。

だからこそ、今やるべきことをすべき。
今、力を注ぐべきことに!

誰のための教育なのか?
国のためでなく、子供たちのための教育なんだから。
子供たちのための教育という意識で持って、教育することによって、最終的に国のためになる。
国のための教育を掲げると、国のためにならない。
単に「国のため」にという目的を達成することだけに終始し、結果として国を崩壊させることは、私たちは経験している。

立憲主義とは

2006年11月09日 03時15分19秒 | 代表“グダグダ”雑感
「立憲主義」とは、なんぞや?
今、私はこのマニアックな言葉について、考えています。
憲法学者においても、この「立憲主義」に対して詳細な説明をする学者は多くない。
だから、この「立憲主義」という意味を理解することが大変困難。
でも、この意味や意義を理解する作業って、とても大事なことかもしれないと感じています。
なので、「立憲主義」を勉強中。

さて、立憲主義という言葉を利用しながら、牽強付会なる主張をする御仁を最近みつけることとなりました。
それは、あるコミュにて。
コミュからその御仁ページにジャンプ!
わおわお!!!(°O° ;)
その御仁の主張は、私とは比べものにならないほどの膨大な知識・資料でもって構築された内容なんだけど、具体的に内容を考察すると、「あてはめ」の部分で、大変強引な論理構成でもって自説を正当化するレヴェル。
つまり、説得性に欠けるんです。
知識があるのに、その知識が合理的に利用されていない。
ある一定程度の合理性は是認されるような内容ではあるんだけど、その程度が安定的に確保されていない。
それは一般的(素人なら特に)には当然なんだけど、それを本人は全く気づいていない雰囲気だから、たちが悪い(もしかしたら気づいている?)。

さらに、その様相は、法律についてド素人の人たちにとっては、反論がしようのないような理解困難な言葉とセンテンスのオンパレード。まるで、批判を許さないためのような表現。
しかし、その内容を理解できる人なら、その内容のまやかしと欺瞞を理解することは困難なことではない。

まあ、そんな人物に会いました。
確かに、珍しいほど論理的な思考ができる人物ではあるのですが、後数歩が足らないんですよね。
主張に現実感がない。
現実に直面する事実を提示するんだけど、直面していても、その現実を理解できない様子としか思えない。

学者によく観られる事実ですが…。
まあ、こんな愚痴はこれで終わり。こんなこと書いてる僕もなんだかなぁ。
自分(私)の無教養さは、残念ながら否定できるものでもありませんし、これからもさらに勉強するのみ。

話は変わって。

「憲法」とは?
「国家」とは?
「民主主義」とは?

これらについては、この数年多くの人たちに質問しています。

今私の最大の疑問は、先に記しましたように、「立憲主義」とは何ぞや?ということです。

通り一遍の、立憲主義とは、フランス人権宣言の「権利の保障が確保されることなく、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない」という条文が象徴するという理解に基づいて、国家権力は憲法によって拘束されるべきであるという理論を導き出すものだと。

でも、これは立憲主義の一面を表現するに過ぎない、という理解とするものであるという考えがありますし、その考えは、至極当然のものであると思われるのですが、意外と当然ではないのかもしれないと。
しかし、その当然の理解ができないから、問題が解消されずに厳然と私たちの目の前に残留しているのではなかろうかと思ってしまいます。

かなり抽象的に表現しましたが。
敢えて抽象的に。

中川政調会長のねらいとは?

2006年11月04日 01時56分59秒 | 代表“グダグダ”雑感
麻生さんはまだ大人しいけど、あの中川は、あいも変わらず、拘っているようだなぁ。
拘る理由は、何なのかは、ある意味明白だと思う。
つまりは、確保有すべきであると考えていると推認せざるをえないってこと。
だって、この時期なんだもの。
保有すべきという思想に基づかなければ、ここまで議論をすることに固執するはずも無いし。

「議論は大事」という理想論に基づいたご意見なのかもしれませんが、その理想は一体何を目的にしているのかを私は注視すべきであると思う。

他者が当たり前のことを敢えて表現するという事実に触れるにあたって、私たちが考えるべきことは、何故当たり前のことを表現しているのかの理由・目的を想像することだと思います。

第一、今の日本が核保有を議論する実益を論じる前に、米国の「核の傘」にあることの事実はどのように理解するのか。
日本の核保有は、核の傘を提供している米国の意向に反するものであるという事実を、どう解消するのかを考えないとね。
米国の属国である我が日本は、まず米国からの自立をしないと、核保有の議論をすること自体、ある意味あほらしくなります。

といっても、私は核の傘によって日本の安全保障が高いレヴェルで実現しているという理解を私はしていないけどね。
核の傘にあること、核兵器が平和を担保していることを信奉することなどできないよ。
これまでも何度も書いているけど、核で平和が実現化される可能性を高めると考えることは、私には平和ボケな感覚としか思えない。

核兵器の有効性について世界の通説は、僕には全く説得力が無い。
といっても、否定する理屈も、これまた説得力は厳しい内容であることは否定できないのよね。

履修漏れの対策と学習指導要領の法的規範性

2006年11月03日 03時02分29秒 | 代表“グダグダ”雑感
履修漏れの問題で、政府は下記の通り、救済策を発表しました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061102k0000e040037000c.html
政府・与党は1日、高校の履修単位不足問題で、未履修の生徒に課す補習の上限を70コマ(1コマは50分授業1回)とする当初案を一部緩和し、履修不足が1科目70コマの生徒に限り、50コマ程度の補習で卒業できる救済策で合意した。

概ね、この措置は是認されるのかもしれませんが、では教育委員会や学校長の責任は、どうなるのでしょうか。

やはり、東京都などの教育委員会のように、学習指導要領や通達に従わないものに対しては、懲戒処分を課することになるのでしょうね。

明らかに、生徒の教育を受ける権利、学習権を侵害する所為であることは、否定しようがありませんしね。
君が代・日の丸の事案とは比較にならない違法性があると思います。当然、日の丸・君が代に関する問題教師と言われる教職員らに対する処分を是認する方々は、この度の政府の対応・対策に対しては非難されていることでしょう。

ヤフーのアンケートでは
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizvotes.php?poll_id=180&qp=1&typeFlag=1
「履修漏れの救済策で大半の生徒の単位取得条件を補習50時間程度でOKとすること」に対して、多くの方々が、「甘い」という評価をされています。
どのような方々が、このような評価をされているのかが判りませんけどね。

とにかく、法的拘束力があるという学習指導要領に反する所為を率先した学校長は、たとえ指導要領が現場の状況に合っていなくても、またある一定の保護者や教育委員会による強迫的な圧力によって、このような虚偽報告を選択せざるを得なかった状況にあったとしても、免責されないと言う評価が下されるのでしょうか。
つまりは、圧力をかける人物や集団の目的を実現するためには、どうしても学習指導要領が要求することは困難で、それを無視したという事実は、当然に違法性を帯び、処分の対象となることは、当然であると考える方々が大半であるという理解で良いのでしょうか。

このような理解は、君が代・日の丸事件との整合性を確保するためにも、重要なことであると思います。