この事件は、私の感覚からすると、あまりにも不可解で、理解ができないことがありすぎる。
被疑者は、病床にある妻に対して「お前のお陰で、俺の人生が狂った。」というようなことを言っていたという報道があります。
被疑者の妻は、退院した時に、被疑者のもとではなく、被疑者の妻の姉、つまりは今回の被害者の自宅に身を寄せたそうです。旦那のもとに帰りたくないと。
そんな妻に、「俺とお姉さんとどちらを信頼しているんや?!」と問い質し、「お姉さん」だという回答に立腹していたという報道もされています。
女性を殺害するのに、寝込みを襲うということ自体、大変不思議です。
対面しても、口では全く適わなかったのでしょうか。
下手に喧嘩でもすれば、近くにいる娘婿の旦那(女児の父親)に、ドヤサレルという恐怖感でもあったのでしょうか。
被疑者だけが孤立していたような感じもあるような気がします。
被害者家族に対する、つもり積もった憎悪と恨みが、このような残虐な行為を惹起せしめたものでしょうが、それにしても女の子を殺害する理由がどうしても理解ができないでいました。
しかし、被害者である女児2人とも、一刺しであったとの報道を本日確認すると、被疑者が「騒がれたので殺害した」という供述の信用性を疑いました。
事実、女の子が騒いだ声を聞いたという話が全くありません。
そして、騒いでいるこどもを一刺しで殺せるものなのか?
どうしても、寝ている3人を次々に刺したのではないかと想像してしまいます。
とにかく、パニックになって殺害したというものではないことは、ほぼ間違いの無いことだと思います。
こうなると、坊主憎けりゃ…って奴じゃなかろうかと。
こどもであろうとなかろうと、被害者家族の一員であること自体、憎悪の対象であり、一緒に殺害しよう/すべきであるという強い意志が、偶然にこどもがいた状況下において働いたのではないかと思うと、それなりに報道されている情況から合理的に推認できる事実じゃないかと思います。
あくまで私の勝手な想像に過ぎませんが。
そうして、一連の報道からこの事件の当事者である加害者/被害者の悲しすぎるほどの情報と教養の欠如の事実を目の当たりにさせられました。
貧富の格差/経済的格差といった「格差問題」よりも、よりこの「情報の格差」の問題は深刻だと感じています。
識字率99.8%と言われる我が国日本において、ここまで情報の格差があるという事実を私たちは、どのように理解したら良いのでしょう。
報道からだけの情報で言えば、この被疑者は恐らく亡くなった妻の債務の弁済をする義務はありません。
被害者である祖母(被疑者の義理の姉)の債務は、もと旦那の債務が原因であるという報道があります。
もしかしたら、返済義務がないかもしれないという可能性もあります。
義務があったとしても、恐らく報道によると、守るべき財産もありませんので、破産も可能です。
実の妹にお金を借りさせるという迷惑を掛けることを回避するには、自己破産をするべきだったと思います。
破産ができない状況にあったとは思えない。
それとも、既に自己破産後の借金なの?(そうなると、救いようが無いけれど…。)
テレビを観ていれば、自己破産という手段もあるという認識はできるはず。
老人ではないんだから。
ばあさんが分からなくても、周りの者が助言できるはず。
それができるような環境になかったんでしょう。
つまりは、そういう基本的な情報も入ってこないような情況に、この被害家族があったということだと思います。
貧困の連鎖、無教養/情報欠如の連鎖。
これを感じるような事件や出来事が増えているように思えてなりません。
法律事務所に相談に来る人たちは、ある一定の情報を持つ人たちです。
時には、とんでもない相談者もいらっしゃいますが…。
多額の借金に困っている人たち、所謂クレジットやサラ金等に関する「被害者の会」に相談に来る人たちは、大変情報量が不足した方々が多いのですが、やはり最低限の報を持っています。
「被害者の会」の存在を知りうる状況にあったということです。
その存在する知りうることができない人たちが、想像以上に多いのではないかと思わされる事件でもあります。
弱者間の格差も顕著になっていると思います。
「ユビキタス」という概念が、バカらしくなるほどの、厳しい現状をこの事件で認識させられるように思います。
個人的には、これからも注視していきたいと思う事件です。
まだまだ、被疑者から驚くべき供述が得られるかも知れないとも思えてならないのですが。
被疑者は、病床にある妻に対して「お前のお陰で、俺の人生が狂った。」というようなことを言っていたという報道があります。
被疑者の妻は、退院した時に、被疑者のもとではなく、被疑者の妻の姉、つまりは今回の被害者の自宅に身を寄せたそうです。旦那のもとに帰りたくないと。
そんな妻に、「俺とお姉さんとどちらを信頼しているんや?!」と問い質し、「お姉さん」だという回答に立腹していたという報道もされています。
女性を殺害するのに、寝込みを襲うということ自体、大変不思議です。
対面しても、口では全く適わなかったのでしょうか。
下手に喧嘩でもすれば、近くにいる娘婿の旦那(女児の父親)に、ドヤサレルという恐怖感でもあったのでしょうか。
被疑者だけが孤立していたような感じもあるような気がします。
被害者家族に対する、つもり積もった憎悪と恨みが、このような残虐な行為を惹起せしめたものでしょうが、それにしても女の子を殺害する理由がどうしても理解ができないでいました。
しかし、被害者である女児2人とも、一刺しであったとの報道を本日確認すると、被疑者が「騒がれたので殺害した」という供述の信用性を疑いました。
事実、女の子が騒いだ声を聞いたという話が全くありません。
そして、騒いでいるこどもを一刺しで殺せるものなのか?
どうしても、寝ている3人を次々に刺したのではないかと想像してしまいます。
とにかく、パニックになって殺害したというものではないことは、ほぼ間違いの無いことだと思います。
こうなると、坊主憎けりゃ…って奴じゃなかろうかと。
こどもであろうとなかろうと、被害者家族の一員であること自体、憎悪の対象であり、一緒に殺害しよう/すべきであるという強い意志が、偶然にこどもがいた状況下において働いたのではないかと思うと、それなりに報道されている情況から合理的に推認できる事実じゃないかと思います。
あくまで私の勝手な想像に過ぎませんが。
そうして、一連の報道からこの事件の当事者である加害者/被害者の悲しすぎるほどの情報と教養の欠如の事実を目の当たりにさせられました。
貧富の格差/経済的格差といった「格差問題」よりも、よりこの「情報の格差」の問題は深刻だと感じています。
識字率99.8%と言われる我が国日本において、ここまで情報の格差があるという事実を私たちは、どのように理解したら良いのでしょう。
報道からだけの情報で言えば、この被疑者は恐らく亡くなった妻の債務の弁済をする義務はありません。
被害者である祖母(被疑者の義理の姉)の債務は、もと旦那の債務が原因であるという報道があります。
もしかしたら、返済義務がないかもしれないという可能性もあります。
義務があったとしても、恐らく報道によると、守るべき財産もありませんので、破産も可能です。
実の妹にお金を借りさせるという迷惑を掛けることを回避するには、自己破産をするべきだったと思います。
破産ができない状況にあったとは思えない。
それとも、既に自己破産後の借金なの?(そうなると、救いようが無いけれど…。)
テレビを観ていれば、自己破産という手段もあるという認識はできるはず。
老人ではないんだから。
ばあさんが分からなくても、周りの者が助言できるはず。
それができるような環境になかったんでしょう。
つまりは、そういう基本的な情報も入ってこないような情況に、この被害家族があったということだと思います。
貧困の連鎖、無教養/情報欠如の連鎖。
これを感じるような事件や出来事が増えているように思えてなりません。
法律事務所に相談に来る人たちは、ある一定の情報を持つ人たちです。
時には、とんでもない相談者もいらっしゃいますが…。
多額の借金に困っている人たち、所謂クレジットやサラ金等に関する「被害者の会」に相談に来る人たちは、大変情報量が不足した方々が多いのですが、やはり最低限の報を持っています。
「被害者の会」の存在を知りうる状況にあったということです。
その存在する知りうることができない人たちが、想像以上に多いのではないかと思わされる事件でもあります。
弱者間の格差も顕著になっていると思います。
「ユビキタス」という概念が、バカらしくなるほどの、厳しい現状をこの事件で認識させられるように思います。
個人的には、これからも注視していきたいと思う事件です。
まだまだ、被疑者から驚くべき供述が得られるかも知れないとも思えてならないのですが。