すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

障害者自立支援法が本格始動

2006年09月30日 03時49分17秒 | 代表“グダグダ”雑感
先日の日曜日は、ある障碍害者施設の評議員会がありました。

今年の4月から、障害者自立支援法の一部施行された現場の問題点の指摘と、この10月からの本格的施行となる予想される問題を紹介されました。

障碍者がこれまで守られるだけの存在、弱者でしかない存在であったのが、他者を守る存在になりうる可能性について、意見交換がなされました。
僕は、障碍者が納税できる立場になるべきであると思っています。

利益を上げられる事業を展開できるようになる、という努力と厳しい現実と向き合うことから、この事業は始まるのでしょうね。
でも、民間企業の意識とは、かなりかけ離れた甘い意識で、事業計画が作成されていることの指摘を簡単にするだけに終わったことは、とても残念でした。
でも、現場は現場の現実があるわけで、簡単に自己主張できない現実もあるんですよね。
日々の日常業務をこなすだけで大変なのに、新しい事業を行うとなると、大変なことです。

ちょっと、これからの支援法の行方を想像して、ここで表現できればと思っています。

教育基本法の改定を目指す

2006年09月25日 04時16分27秒 | 代表“グダグダ”雑感
■「基本法」で与野党譲らず、“教育国会”は激戦必至(読売新聞 - 09月24日 16:01)


目指すと言っても、僕が目指す訳でもないし、目指すべしと思っているものでもない。

同法の改定をしたい人たちや、それを阻止したい人たちのそれぞれの主張をこの1年ちょっと程確認してきました。

改定したい人たちは、とても解りやすいですね。
少なくとも、初等教育は、国がすべてにおいて決定する権限を持つべきであるという思想に基づいた主張です。
対して、改定反対派の主張は、「愛国心」という文言に拘っている人たちが少なくない。
それに対して拘ることを否定するものではありませんが、改定派が改定したい部分を、どうも理解していない人が多いようです。
これって、政治闘争という面で評価すると、改定阻止派は完全に、敗北することになるでしょう。今のままではね。

教育基本法がどういう法律なのかを理解しながらの話し合いが国民レヴェルではできていない情況を表しているものだと感じました。

同法の改定の最大の論点は、法第10条の「不当な支配」の是非であると思います。
皆様は、如何思われるでしょうか。

もてない君の論理 愛国だぁ

2006年09月23日 02時54分43秒 | 代表“グダグダ”雑感
■違憲判決で首相「国旗に敬意も表せないのは変」(読売新聞 - 09月22日 21:02)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060922ia21.htm

判決要旨しか見ていないので、簡単にしか触れられませんけど、至極真っ当な判断としか言いようがありませんね。
たとえ、思想的に国家・国旗を重要視しようとしても、憲法や関連法に鑑みると、至って当然の結論を示した判決なんですよね。

思想的な範囲においては、様々な反論・意見はあるでしょうけど。

この判決で、とても画期的な内容の部分として挙げられるのは、通達内容の義務が不存在であることの「確認する訴え」の適法性が是認されたことですよね。

そして、この判決が東京地裁で下されたことが画期的と言っても良いと。
あの東京地裁ですからね。
僕は、正直驚いています。憲法を理解していない政治家の想定外の事態という痛い感想文とは違って、驚きの判決ですね。

それにしても、靖国についての訴訟同様、このような訴訟の判決に対するブログやミクシィにおけるエントリは、驚くほど保守的な内容が多いですね。何故?

このようなネタを書いている人、このようなネタに跳び付いている人って、どういう人なんでしょうか。

基本的に、このような問題に対して意識があるような人と思ってもいいのかなぁ。それにしては、内容を理解されないで批評されている人が、ほとんどみたいだし(僕が確認したところ、多くがこの訴訟の請求内容も確認されず、判決の主文も理解されていない。また、裁判所の判断とは全く違うような事実を指摘しながら、批評している人も少なくない。)。

とても不思議。

例えば、「一般的法義務の回避」について考慮されながら、当該教職員の行為をどのように評価されているのか?という考察が全くされていないですよね。少なくとも、私は見つけられていない。

> 「国旗に敬意も表せないのは変」???
何で?変か?
変でも良いヤン。
というか、変なのが悪いの?

ボクは、君が代のメロディーは大好きだし、日の丸に嫌悪を抱くこともないけど、自国・祖国の国旗や国歌に敬意を払えるか否かは、その国の態様に係っているんでしょうね。
愛させるのではなく、愛してもらえるような存在になることが重要なんでしょう。

それとも、「俺を愛せ~」というモテナイ君・ストーカー的感覚を法律に付与させたいのかな?

他者を批判する

2006年09月17日 03時23分47秒 | 代表“グダグダ”雑感
■ローマ法王庁、ベネディクト16世発言で謝罪声明(読売新聞 - 09月16日 22:41)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060916i214.htm
http://www.sankei.co.jp/news/060916/kok013.htm

ローマ法王のこの言葉は、大変残念だなぁ。
ちょっと信じられない。
これまでのローマ法王と違う存在なのでしょうか。
平和を愛するローマ法王の存在が歪められた出来事でした。
こうなると、普遍的な平和主義者は、日本の天皇陛下であり、皇室なんだろうかと思うんですが。

とにかく、最近は、己の思想と違う体制や人に対する、排他的主張・発言が国際的に見られますよね。
米国ブッシュに対して、批判的な主張は、控える必要は無いと思うのですが、やはりその程度が問題となります。

なんでもそうです。自分以外の他者批判をするためには、それなりの覚悟も必要なのですが、それ以上に、それなりの冷静さが必要です。
それが無ければ、単なる中傷的かつ非難でしかありませんからね。

アメリカ、イスラエル、ヒズボラ、イラン、シリア、北朝鮮、キューバにベネズエラなどなど、とにかく敵対的な表現が垂れ流されている現状は、かなり危険であると思っています。

他者や反対説の人物を攻撃することの手段を再度確認すべきであると思います。
喧嘩を売って、一体何が生まれるのか?
生まれるのは、単に憎しみだけですよ。
それ以外に、何がありますか?

問題の所在の意識

2006年09月15日 03時13分49秒 | 代表“グダグダ”雑感
昨晩申し上げましたように、京都の御池と大阪の北浜、そして自宅にて仕事をする生活を継続する藹です。
皆様は、ご機嫌如何?

最近下記のコミュに参加。
『思いやる気持ちを大切に。』
http://mixi.jp/view_community.pl?id=745799

沢山の方々が参加する、大規模コミュニティ。

「思いやる」という意識を大事にする人たちの集まりなんだけど、掲示板を見ると、ネットコミュニケーションの難しさを実感させられます。

正しい意見表明をすることが、直ちに「相手に対して思いやる」行為を採用できている、という評価が出来ないことが判ります。
正しいことを表現することが、問題の解消に繋がることもあれば、その反対の結果を惹起してしまうこともある訳ですよね。

僕もよく陥る罠なのですが、その危険性を認識するか否かで、惹起する結果が変わってくると思います。

ある問題を解消するためにも、その問題に対する「問題の所在」を理解・認識することが、まずは求められる作業です。
その理解・認識に基づいて、その問題を解消するための具体的行為がなされて、はじめて、その問題が解消される蓋然性が高まる。

つまり、問題の解消のための行為に先行する行為・作業として、ある問題に対して「意識する」ことが重要な作業であると思うのです。
たとえ、その問題意識に基づいた確固たる行為(可視的かつ具体的な行動)がなされなくとも、その問題意識を有することによって、その意識が無い場合よりは、問題の解消のために、何らかの影響を及ぼす行為が「期待できるかもしれない」という可能性の高まりがあるだろうと思うわけです。

意識することから、すべての問題は解消される可能性があると。
その意識が無ければ、始まらない。

もっとも、自分自身で具体的行動を自分が期待することも、それを他者から期待されることも疲れるものです。
疲れるようなことを常に「行動すべし」と思っていることは、精神衛生上良くないし、デメリットが大きくなります(強迫観念に襲われかねないしね)。

となると、それを期待しなくとも、その意識を持つように期待されることぐらいなら、ある程度のレヴェルにおいては、その期待に応えることはそれほどストレスにはならないのではないでしょうか。

とにかく、難しいことは考えず、ある「意識付け」をする作業をまずしてみましょう!
その意識付けについては、自分の興味のある分野についてであることは、当然ですけどね。

重なるのよねぇ…仕事って(+_;)

2006年09月14日 04時29分17秒 | 代表“グダグダ”雑感
今週に入って、お仕事が大変忙しい。
京都と大阪を行ったり来たり。

一日中PCに向かっている状態。
最近は、時間的な余裕があったので、本を読む時間がいつもよりもあったんだけど、今月末まで、その時間はなかなか作れそうにないなぁ。T^T)

こういう時に限って、ある福祉施設の評議委員の会議があって、日曜日が潰れる。
その上、生まれて初めての、人間ドックが来週の金曜日の午前に敢行。
ビビリのボクですが、それよりも仕事をフィニッシュさせることが頭にへばり付いて…。どうにもならん?

時間が無くとも、ずっと仕事をすることは出来ません。
生き抜き・休憩をしないと、当然集中力は減退しますわね。
その休憩時に、ネットサーフィン。
そして、ミクシィ。
PCを立ち上げているときは、まずミクシィにログインしている状態なんで、ある意味暇人に見えるかも。(^w^) ぶぶぶ・・・

とにかく、データ入力と原稿作成を変わりばんこに、行っています。
データ入力は、システムのお仕事(ボクは、SEの資格も無ければ、その能力も無いけど、単なるデータ入力をすることはできるヨン♪これは我が社のシステム部のお仕事)。
原稿は、残り4本ほど。これも、月末締切のオンパレード。

仕事ってのは、基本的には、期限のギリギリに完成させるものではありませんよね。
とにかく、完璧な完成品を作らなくとも、とにかく期限日よりも早くにある程度の形を作る。
その形を提出しながら、さらに煮詰める作業をする。
それは、自分だけでも、または他人が介在することも。

とにかく、70%の完成品でも、とにかく早めに作成し、期限日までに、パーフェクトなものに出来上がるような努力を継続させること。これが、仕事において大事なんですよね。
はじめに、完璧を望むと、概して中途半端な仕事になってしまう。
とにかく、他人に紹介できるまでに作り上げて、それから肉付けするような感覚で、最終段階にまで持ってくるような仕事が出来るような意識が必要だと、常に思っています。

常に完璧を望む人が少なくないようですけど、そういう人ほど、気合は十分でも、結果として、空回りしてしまって、己が期待・希望するような結果を導くことが出来ないってのが多いんじゃないかなぁ、なんて感じています。

初めから、完璧な事象を作り上げることなど出来ないと思うべきだと思います。
まず適当。適当な形を作る。その形に肉付け作業をする。
そうして、自分が目指す形を作り上げる。

完璧主義者は、概して、十分な結果を得られないと思います。
ちゃらんぽらんで、好い加減だと思います。

『靖国批判派を永久に黙らせる100問100答』

2006年09月11日 03時18分45秒 | 代表“グダグダ”雑感
先日に新聞広告を見て、久々に週刊誌を購入。
その週刊誌は『月間WILL』。

渡部昇一
永久保存版
『靖国批判派を永久に黙らせる100問100答』

というセンセーショナルなタイトルに興味を抱きつつ、渡部昇一の主張だから、「新しい発見など無いだろうなぁ」と思いながらも、読みました。

痛すぎる。あまりにも痛すぎる。

確かに、渡部昇一の主張によって、黙ってしまいます。アホらしくて。
彼は、黙らせるために、何が必要なのかを全く理解していない。
反対意見を黙らせるためには、少なくとも自説と反対説とが同じ土俵に上り、ある程度のコンセンサスに基づくような環境を作らなければ、反対説に対して「黙らす」ことなど不可能であり、無理なことです。

その理解をしないで、「靖国批判派を永久に黙らせる」とは、笑止千万。

渡部らしいですが…。