すうたまちゃん

ラーメン?油そば?元い!オリジナルメニュー『すうたま麺』を提供したスタッフの徒然な思のは

きもちわるいよ~

2006年12月21日 03時06分27秒 | 代表“グダグダ”雑感
『松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG』というブログにTBを送ってお返しを頂きました。
それが怒涛のお返し。ちょっと、引いちゃいましたし、ちょっと気持ち悪い。(・・;)

引かれることを予想されて、敢えてそうされたのなら、まあそれはそれで仕方がないでしょうけど…。
これほどまでのTBを送られた理由が、どういうものなんだろうか?
「俺のこのエントリを読んで勉強せいよ!」という感覚なのかなぁ?

教基法の改定についてエントリを書いているページを検索してTBを送ったんですけど、僕の大嫌いな彼のブログの送ったことを理解していなかったんですよね。
これが、僕の大失敗。

でも一度、時間を掛けて意見交換したほうが良いのかなぁ。僕の精神衛生上。
どういう人なんかよく分からないけど、「先生」とか「教授」とか言われているんだけど、といって大学の教員にも思えない。初等・中等教育の教職員?
民間の教育機関に在籍された経歴のある方であるようだけど、防衛大学と縁が深いとお聞きしています。

この方は、ミクシィで一度コミュニケーションをとった方で、私が大変苦手なタイプの人物です。
苦手の理由は、、この方の主張に私が現実感を抱かないことです。
つまり、とても他人事的な雰囲気を机上の空論的な雰囲気をこの方から感じるのです。何事にも。

人って、ヘラヘラしている人に限って、内に大きなものを抱えていることってありますよね。明るさの中に、どこか影があるような感じが伝わってくる。
反対に、厳しい雰囲気の中に、暖かさを感じるってのもある。

つまり、深い感情や想いを持っている人って、単色な感じでは、ないんですよね。
でも、人の心に興味のない人、またはそれを重要視しない人、理屈に終始する人って、どうしても単色的な感じがその人から、その人の言動から漂ってくるんです。
人の心(自己の心)を殺すことに長けている役人なんかは、それが端的に現れます。
これまた軽薄かもしれませんが、人間の深さに物足りなさを感じる人の主張は、とても痛々しく思われます。

実生活を考えながら過ごし、様々な経験をしている人は、片面的な主張や或る事象に対する決め付け(レッテル張り)をしないものです。
価値観の違いや、人生観の違いは当然、人それぞれあるものです。
立憲主義の比較不能の事象という問題というレヴェルから遠く離れた場面で、比較すべき対象となりえない事象と比較しながら、自説の論拠の合理性を主張する所為は、見ていてこれまた痛々しく思うのです。
ことあるごとに比喩的表現をされる方なんですが、その比喩は、寒くなるほど、その呈をなしていないし、笑いにもならない痛々しさ。

そういうタイプの人って、私は大嫌いだし、そういう人間には容赦なく牙を向いてきました。
関西人じゃないのに、関西弁口調の表現をするから、よりイライラするんだよなぁ。

私は基本的に他人に厳しいことを言わないし、厳しい態度をとりませんが、そういう人間に対しては、ある要件を満たせば、牙を向きます。
ネットではそれができないため、ある意味大変ストレスになる。
だから、そういうストレスが溜まるような人物とコミュニケーションをとることは極力回避しています。
しかし、一度知ってしまった人物の許せないコメントを見ると、どうしても気になるんです。
そうして、私の中で飽和状態になった時に、爆発する。
でも、爆発しているような呈を表現しないで、まずはコンタクトを取る。
相手のリアクションで、私の再リアクションが決まるんです。

TB返しを頂いたエントリを確認し、さらに関連のエントリを拝見しました。
ご自身は、「中庸」なる言動を敢行されていると思っておられるのでしょうが…、私にはそうは感じませんでした。

また、一部の事実を全体の事実として評価する詐欺的な批評方法は、許せるものではありません。

具体的に摘示して反論することは必要ですが、それをする気にもなれないんですよ。
何処から反論していいのか、あまりにも私とは違いすぎて…。
タダ言える事は、公教育の理解があまりにも、学力に力点が置かれ過ぎて、人を教育することの観点が大変希薄であることです。
その目的については言及されていますが、その方法論が全く提示されていません。
それは、学力向上についても、大変中途半端で、具体論が展開されず、ただ単に反対説に対する批判が展開されているだけ。

又、法律論については、憲法学から法学方法論に至る説明の呈をなしているように見えますが、その根拠は満足いくものもあれば、全く説明されないで「自明だ」としか表現していないものもあって、全体的に説得力は乏しい。
ただ、論理的ではあります。合理性がないけど。

自明であると表現するには、当然一般的にそれが自明であることが認識されていることが必要で、専門家の中だけで自明であることは、自明と表現する合理性は是認されないことは言うまでもないことです。
それを説明する義務などはありませんけどね。ただ、説得力のレヴェルでは、その力は皆無であると評価せざるをえません。

とにかく、ある場面だけを抽出して、その部分だけを論じることは誰でもができることです。
総論・各論のバランスが取れた主張がなされて初めて、他人に説得力を与えるものです。
それができないのなら、それは自説でしか通用しない主張であるということです。
其れで良いと思う場合もあるでしょうし、それに関しては否定するつもりはありません。

私は、人を説得するつもりは毛頭ありません。ただ、こういう意見もありますよ、という事を表現しているだけですし、それが今のところ私の興味でもあります。

とりあえず、またTBを送っておこうっと。
    ココ
    ↓
改正教育基本法成立☆追撃戦参加の招請&改正反対論資料(下)
TB先のエントリとは、あまり関係性はないけどね。
一応、新しい目のエントリに。

政治活動にプライオリティをおいている教職員を擁護するつもりはないけれど、この御仁の主張は、私は単に、反対説には「鉄槌を!」、という情緒的な精神状態を感じます。
改定教育基本法が成立したんだから、免責してやろうという、敢えて切腹させない方法論を展開できないものかいなぁ。
こういう主張をする御仁は、ホント小さい奴らばかりなんだよなぁ。
ちょっと、実際会ってみたいものだなぁ。


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