すうたまちゃん

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教育勅語の口語訳には気をつけろ!

2006年07月06日 03時22分46秒 | 代表“グダグダ”雑感
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の『教育ニ関スル勅語』 で指摘されているため、多くの方が認識されていることだと思いますが、敢えてここで書こうと思います。

先日のエントリで教育勅語を園児に暗唱させていることをご紹介致しました。
関連するブログ巡りをして大変危惧した事柄があります。

教育勅語の口語訳を明治神宮などのページから引用していることです。また、全国の多くの神社が、どういう訳か、明治神宮の同内容の口語訳を紹介しています。

明治神宮 教育勅語に関するページ

この口語訳に対してどういった危惧を抱いたかと申し上げますと、まずウィキペディアにて指摘されているように、「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という部分を訳から削除しているような表現がされていること。そして、全体的な訳が大変意訳されている事。
意訳以上に、曲解的な訳や、意図的に訳をしていない、つまりは削除している。

つまり、削除や意訳によって、本当の教育勅語の意味が歪曲されています。
この歪曲された口語訳に基づいた、教育勅語に対する評価がなされていることの事実が危険であると感じています。
まずは、教育勅語の本来の意味を理解されてからの評価を期待したいものです。

『教育勅語』が云わんとする趣旨とは、如何なるものかを理解すべきですね。

これは、「訳」によって、本来の意味が歪曲されることの蓋然性・危険性を理解するには、大変分かりやすい事象であると思います。
原文を読んでビックリすることがあるんですよ。気をつけましょう!!!

「私」って!?誰のこといいさらしとんねん!
ということですわ。
恐れ多くて、これ以上申し上げられないわ。
どういう訳なんでしょうか?????????????

そうそう!
教育内容に関して、公立と私立(幼稚園)で区別して評価しているエントリがありますが、この件に関しては、あまりそれが基準にならんと思います。
教育勅語の解釈の違いでは、基準になることは否定できませんが、教育勅語の意味を素直に解釈すると、憲法上の問題と関わって、公立私立の区別は全くナンセンスであると思います。
つまりは、公立であろうが私立であろうが、教育勅語を園児に教育することは問題であり、違憲・違法の可能性が高いということです。

教育勅語等排除に関する決議(1948〔昭和23〕年6月19日衆議院決議)
教育勅語等の失効確認に関する決議(1948〔昭和23〕年6月19日参議院決議)
を参照してください。

第一、何故私立なら問題が無いのかの説明が全く提示されていないんですよね。いつもの事ながら根拠がない。最近の傾向です。
教えてください。(=´ー`)ノ おねがい~

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52 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お礼 (tom)
2006-07-06 12:14:56
TBありがとうございました。



大変分かりやすい指摘です。
なるほど! (みんなのちから)
2006-07-06 12:20:14
すうたまちゃんさん

TBありがとうございました。

教育勅語をはじめ、学びを深めることができました。



TBありがとうございます (KWAT)
2006-07-06 16:31:36
 明治神宮の口語訳はワタシも「?」な部分があると思います。ではこちらのサイトの口語訳はいかがでしょう。

http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.html



 あと、べつに国が教育勅語を“強制”してるとかいう記事ではないのですから、あまり過剰な反応はいかがなものかと思いますよ。管理人さんも教育勅語の精神そのものを否定されているというわけではないようですし。それに北からミサイルが飛んでくるような時代には「義勇」だって必要だと思います。
すいません (KWAT)
2006-07-06 16:50:45
 TB失敗しました。先のほうは削除してくださいまし。お手数お掛けします。
宜しくお願い致します (藹)
2006-07-06 23:36:30
tomさま

初めまして。藹です。

コメントを頂きまして、ありがとうございます。

それも、嬉しいコメントを。

「解りにくい」とよく言われますんで嬉しいです。



tomさまの「憲法を真剣に考えるブログ」は、まだ少しだけしか読ませて頂いておりませんが、これから確認させて頂きます。

これからも、宜しくお願い致します。

福祉 (藹)
2006-07-06 23:38:19
みんなのちからさま

初めまして。藹です。

コメントを頂きまして、ありがとうございます。



福祉関係のお仕事をされているんですかぁ。私も、養護施設等、いくつかの福祉施設や福祉活動に関わっております。

それぞれがたいへん厳しい状況(特に財政面)であることは共通しています。

また、法の改定などで現場は大変混乱していることもあります。

私は現場で働いているものではありませんので、全く偉そうなことは言えませんが、様々な問題提起をできればと思っていますが、このブログではできていませんね。

これからも、宜しくお願い致します。

貴ブログでは失礼しました (藹)
2006-07-06 23:40:33
KWATさま

コメントありがとうございます。藹です。



当該幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させている事実が、「勅語を強制している」という評価は、KWATさまは失当である、というお考えでいらっしゃると理解させて頂きます。

そのお考えに基づいてお聞きしたいのですが、「勅語を強制する」とは、どういう意味でしょうか。

つまりは、どういった指導をすれば『強制』していると評価されるのでしょうか。



私は、「強制」云々の問題ではなく、「暗唱させている」という事実に問題を感じています。

何故、勅語を暗唱させる必要性があるかの当該園長からの具体的説明が、無い訳です(あったのかもしれませんが、メディアからはそれを見つけることはできませんでした)。

私のエントリで書きましたように、園長が目的とする事実の具現化・実現化のために、他の手段があるのです。勅語でなくとも、12の徳目を教えてあげることはできます。勅語を使用したという事実は、園長が言う目的以外の目的があると推認することは、困難ではありません。

事実、当該園長のブログでは、たいへん保守的なお考えをお持ちであることが容易に確認できます。

http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/blogn/



KWATさま「過剰な反応である」というご意見に対しては、私はよく解りません。

「勅語の強制」についてご意見を伺えたなら、そのご意見から、それを理解することができるかもしれません。

まず、私のどういった主張がどのように過剰であるかのご指摘、そして過剰とする理由を頂けなければ、私はそれにお応えすることすらできませんしね。





> それに北からミサイルが飛んでくるような時代には「義勇」だって必要だと思います。



「義勇」をどういう意味で捉えるかの違いかもしれませんね。

ただ、「ミサイルが飛んでくる」というご表現から、私のイメージの義勇と同様の理解をKWATさまがされていると思います。

となると、私には「いらん」という考えです。



論点が散漫になりますが…。まあ、今回の北の暴挙によって、義勇を大事にしようと思われる方々が多くなることは自然なことだと思います。ただ、その自然な現象は、危険な現象であるとは思っています。

アメリカにとっては、今回の暴挙は、日本との安全保障(再編問題等)において、おいしいタイミングであったことは否定できないでしょうね。

(KWATさまも、このたびの暴挙を結果論として、部分的・間接的に、奨励されているかのようなご意見みたいですね。)

それでなくとも、発射以前においては、アメリカの陰謀説も流れていましたしね。

日米の連携は、より強化される流れになっていくことは目に見えています。



ただ、今回の北の暴挙で、“変な”騒ぎ立てをするのは、「過剰な反応である」と私は思います。

政府は、冷静な感じですが、自民党内はそうでもないようですね。

知らなかった! (song)
2006-07-07 02:45:52
こんなせこいことが行われてるなんて知りませんでした! ありがとうございました。

私も友人とセイピースプロジェクトという反戦運動やってるんですが、そこのブログにトラバさせて頂きました。

今後とも勉強させてもらいます。それでは!
こちらこそ失礼いたしました (KWAT)
2006-07-07 23:16:49
>>藹さん



 こん**は、KWATです。ワタシが貴ブログにいるのはなんか場違いな感じですね。(^◇^;)



 まず最初にお聞きしたいのが、



>>『教育勅語』が云わんとする趣旨とは、如何なるものかを理解すべきですね



 藹さんがお考えになる「教育勅語の趣旨」をぜひお聞かせ願いたいと思います。なおワタシは【十二の徳目】を教えることが趣旨であると考えています。そしてその部分の前も後も付け足しのようなものだと思っています。また、この教育勅語が戦前の全体主義教育に利用されたことをもって「悪」と捉える方もいらっしゃいますが、それはそのように利用した時の政府の教育方針が結果として間違っており、今の価値観にそぐわないものであった、というだけのことで、教育勅語それ自体には罪はないと考えます。



 ではご質問にお答えして。まず「強制」について。幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させている、という行為が果たして「強制」的であることなのか。その園児がその幼稚園に在籍している以上、これを「強制」というのはいささか言い過ぎではないのかとワタシは思います。これが強制であるのなら、幼稚園で教える全てのことは「強制」であると解釈できてしまうからです。



 もちろんその幼稚園を選んだのは園児自身ではないわけですが、それはその年齢くらいの子供に進路を決めさせる保護者は滅多にいないからである、ということはお判りですよね。つまりその園児がその幼稚園にいる理由は「保護者が決めた」からで、この幼稚園は私立であるということを考えると、保護者がこの幼稚園を選択する際にここはどういう教育方針なのか、事前に調べなかったはずはないのではないでせうか。藹さんの先のエントリー「幼稚園児に教育勅語だと?!」には西日本新聞の記事がリンクされていますよね。この記事の中に『ある保護者は「こういう教育をするとは知らずに子どもを入園させた」と戸惑いをみせるが、園側は「保護者の不満の声は聞いていない」としている。』とあります。この場合、知らずに入園させたというその保護者が迂闊だったというだけなのであって(正確に言えばこの保護者は「知らなかった」と言っているだけで、「戸惑っている」というのは新聞記事の付け足しに過ぎません)、大多数の保護者はこの幼稚園の教育方針を知ったうえで我が子を預けているはずです。その教育方針が気に入らなければ他の幼稚園を選べばいいだけのことです。だから園側の言い分にある通り不満の声など上がるはずもありません。もし万が一不満に思う保護者がいたとしても、その人物は新聞社とか国とかに文句を言う前にまず園に対して苦情を言うはずです。



 ついでに、この記事の中には『両幼稚園の園長を務める籠池靖憲氏によると、幼児期から古典に親しむため、一昨年から月1回、年長組の園児を対象に論語の勉強を始めたが、「教育の神髄を短い言葉で伝えているのが教育勅語」と考え、昨年10月ごろから教育勅語を教えているという。』『年長組の園児は毎日、1時間目の授業の初めに担任の指導で教育勅語を暗唱。保護者にも口語の訳文に「今こそ教育勅語の精神が必要」という園長の所感を添えて配布したという。』ともあります。これは「何故、勅語を暗唱させる必要性があるかの当該園長からの具体的説明」に当たると考えますが、如何でせう?



>>勅語を使用したという事実は、園長が言う目的以外の目的があると推認することは、困難ではありません



 確かにこの園長さんは保守的な考えをお持ちだと思われますが、新聞記事を見た限りではそんな風にお考えになるのは勘ぐりすぎなのではないでせうか。藹さんがそうお考えになる具体的な理由とその具体的内容をぜひお聞かせ願いたいところです。



>>公立であろうが私立であろうが、教育勅語を園児に教育することは問題であり、違憲・違法の可能性が高いということです。



 「違憲・違法の可能性が高い」というような判断をどなたか責任ある公的な立場の方がされたのでせうか。といいますか、「違憲・違法の可能性が高い」ことは違憲・違法ではない、ということを申し上げておきます。これをはっきりさせるには、訴訟でも起こして裁判所に憲法判断をしてもらうくらいしか方法はないでせう。しかし現実問題として、この幼稚園に対してそのような動きをされた方のことは寡聞にして知りません。また、私立の幼稚園は園児が来なくなれば潰れてしまいますが、この幼稚園が今もって存続しているということを考えれば、この幼稚園の教育方針は理解されていると考える方が自然なのではないでせうか。



>>何故私立なら問題が無いのか



 文科省は「いかがなものか」と言ってはいますが「即座に止めさせなければならない」とまでは言ってませんね。またそのような指導を行った形跡もありません。それでは答えになりませんかそうですか。



 ところで藹さんは、先のエントリー「幼稚園児に教育勅語だと?!」で『個人的な感覚では、12の徳目を否定する人は、なかなかいないんじゃないかなぁ、なんて思いますが、これを国から強制・強要されることを許容する気持ちには全くなりません』と書かれています。何か勘違いをされているようですね。教育勅語を暗唱させているのは、既に書いた通り『私立の幼稚園』なのであって『国』ではありません。それどころか国の中の人である文科省のお役人は「いかがなものか」と言ってるんですよ? また、さらに続けて『親から教わることだと思います』と書かれています。もちろんそれは大切だと思いますが、でも幼稚園でも教えたってべつだん差し支えないと思いますが。



 「過剰な反応」についてですが、まず上に書いたように、たかがいち私立幼稚園が行っている少々変わった教育についての記事を読んで、なぜそれが「教育勅語を国から強制・強要される」いうことに結びつくのか、その間が離れすぎているように感じられてワタシには理解できません。ぜひ具体的な説明をお願いしたいところです。また、不完全な口語訳である「明治神宮による教育勅語の口語訳」を、唯一の口語訳であるかのように採り上げて(多数の神社がこれを引くのは、神社としての格が高い明治神宮が行ったからでせう)『「私」って!?誰のこといいさらしとんねん!』と騒ぎ立てるような調子の文章にしていたりします。こういった部分がワタシに「過剰な反応をしている」と思わせたから、ということです。



 あ、そうだワタシが紹介させていただいたリンク先にある口語訳については、どうお考えになりましたでせうか。



 最後に「義勇」について。日本人を拉致しそれを認めておきながら帰さないとか、工作船で日本の領海を侵犯し工作員を送り込むとか麻薬の密輸を行うとか、我が国に対し散々敵対行為を行ってきた国が、我が国を射程距離に収める中距離弾道ミサイルを我が国近海に7発も打ち込む。こんなことをされていながら、その行為に対して抱く「義勇」すなわち『正義と勇気』『正義を守ろうという気持ちから発する勇気』(三省堂の大辞林より)を藹さんは「いらん」と仰る。藹さんは実に不思議な方ですね。どこの国に住んでおられるのですか? ワタシには理解不能です。



>>ただ、今回の北の暴挙で、“変な”騒ぎ立てをするのは、「過剰な反応である」と私は思います。



 変に騒ぎ立てているのは、むしろ北の国を擁護したい勢力ではないかと思います。日本政府はもちろん、自民党の反応も実に自然なこととワタシには感じられます。



 長文失礼いたしました。m(_ _)m
明治神宮が皇室を無視 (kuroneko)
2006-07-09 12:09:39
はじめまして。

「かめ?」さんのブログのTBで、明治神宮のHPを見ました。20代ではないので、わたしの年代だと教育勅語の日本語ぐらい口語訳しなくても普通にわかりますが。

「我が皇祖」を「わたしたちの」と訳したり、朕を「わたし」としたり、御名御璽を無視したり、どうして明治神宮は皇室をシカトするのか疑問に思いました。いつだか明治神宮の宮司は右翼さんに攻撃されていたのと関係があるのかな?



ところでコメント欄のご意見で、「…我が国近海に7発も打ち込む」とありますが、ミサイル着弾地点は、ロシア沿海州のほうにずっと近いような…。図示はしているけど、そう表現した報道もないし、一般の反応も少ない。実に不思議なことです。

「ロシア沿海に着弾」と世界中のメディアが書きたてたら、ロシアももっと北朝鮮への圧力を強めざるを得なかったのに……。惜しい。

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