昭和51年の春だったと思います。
妻と付き合いを始めてまもなくの頃妻と
私の悪友と私と3人で飲みに出かけました。
妻がかなり酔ってしまい、自宅まで送った
のですが、家の外までお母さんが迎えに
来ていました。若くて美人だなというのが
正直な感想。妻には姉妹はいないと聞いて
いたので一体誰だろうと思いながら家路
に着きました。後日「母よ」と聞いたときは
妻は父親にでした・・・
ちなみに義理の両親は野村證券の社内結婚
でした。当時の野村證券は美人を採用していた
んだぞと自慢げに話してくれたことも忘れる
ことができません。
義理の母との出会いとしては随分まずい
場面でしたが、それから30年以上お世話
になりっぱなしでした。江戸川区にある
店の支店長をしているときに、店のお客様の
会に出席してくれ、義理の息子としては
色々な意味で恩返しができたのでは無いかと
思います。
一方、大阪での仕事が長かったので、孫が
小さいときに一緒にいることも少なく寂し
かったと思います。
店のきり盛りも大変でしたから
http://www.washington-pet.co.jp/
そろそろゆっくりしてもらいたいと
家族で話していた矢先に癌であるが
わかりました。昨年、娘の成人の祝いの日の
翌週でした。
それから1年、最近かなり衰弱はしていた
のでが昨日帰らぬ人になりました。
妻も随分と疲れているようなので、
一区切りついたらかみさん孝行を
しなくてはいけませんね。
心よりお悔やみ申し上げます。
一区切りついたら、奥様と一緒に「双柿庵」など是非。
奥様もオノデラさんも、心身ともにいろいろと大変だったかと感じております。
ゆっくりとした時間で美しい記憶を心に込められるようにと願っております。
ご丁寧にありがとうございます。
今日明日は気が張っているでしょうから
反動がちょっと心配です。
上手い言葉が出ませんが、僕の両親も癌でした。看取った御家族の心中お察しします。
あまりお気を落とされない様に・・・。
衷心よりお悔やみ申し上げます。
ご丁寧に有難うございます。
凛としたお母さんだったので
ジメジメしていたのではしかられそうなので
親族一同ワイワイガヤガヤの通夜となりました。
運転手役をかってでてくれた倅と
これから故人をしのぶことにします。
>一区切りついたらかみさん孝行を
しなくてはいけませんね
そうですよね。「つれあい」にしかしてあげられないコトがありますものね。
やっと一区切りついて帰宅したら
雪が積もってきました。
明日の雪かきがかみさん孝行の
はじまりかな