goo blog サービス終了のお知らせ 

羽花山人日記

徒然なるままに

ビリーブ(映画)

2022-01-11 19:51:53 | 日記

ビリーブ(映画)

予告編の画面を撮影。

Primevideo配信の映画,『ビリ-ブ 未来への大逆転(原題:On the Basis of Sex)』を見た。2018年に公開された実話に基づく,典型的なAmerican Justiceを内容とするハリウッド映画である。

主人公のルース・ベイダー・ギンスバーグは,1956年,9人の女子学生の一人として,ハーバード大学のロースクールに入学し,癌を発病した夫の介護のためにコロンビア大学に転じ,首席で卒業する。しかし,弁護士事務所への就職は,女性,ユダヤ系,子持ちを理由にすべて拒否され,ラトガース大学に黒人教授の後任として職を得る。大学では法律と性差別の講義を受け持つ。

ルースは,ある独身男性が母親の介護に要した費用を免税の対象にと申請し,免税措置は独身女性に限るとして拒否されたことで訴訟を起こし,敗訴した事件に興味を持つ。そして,これは,親の介護を女性に押し付けようとする性差別であると考え,当事者の男性を説得して,弁護士である夫の協力を得て,控訴審に提訴する。

人権問題を扱う事務所や弁護士は,敗訴の影響を恐れて支援を断るが,彼女の控訴趣意書に動かされて協力するようになる。

法廷で弁護を行うのはルースにとって初めてであり,国側の弁護士や判事からの質問にうまく答えられず劣勢を強いられるが,最後に開き直って,法は正義を実現するものであり,正義に反する女性差別の条項は一つずつ正していくのが法律家の役割であると,切々と判事の心に訴え,勝訴を勝ち取る。

この裁判は,性差別が合衆国憲法に違反すると認定した最初のものであったという。ルースはその後も女性差別問題で数々の勝訴をおさめ,1993年に最高裁判所の判事に任命される。

映画は淡々と物語を進めつつ,それなりの感動を与えてくれる。主演のフェリシター・ジョーンズは好演である。

わたしがこの映画を観て驚いたのは,1970年代のアメリカに,女性差別がそれほど根強く残っていたのかということである。記憶の範囲でいえば,日本では女性差別は今でも続いているとはいえ,それが憲法に言う基本的人権に反するものであることは,戦後憲法下では当然と考えられていたと思う。

現在のアメリカでは,女性の残業は認められ,消防士や海兵隊員にも女性は進出している。わたしがこの裁判から生きてきた50年間に,それだけの変化があったということなのだ。小さな変化でも,50年間積み重なると大きくなる。良いことも,悪いことも。

 

成人式

横浜市の成人式で,男性が派手に着飾り,群れをなして大騒ぎしている様子が報じられている。わたしは20歳になった年,目黒区長から成人式の招待状をいただいたが,同じ寮にいた学生は話題にもしなかった。息子たちの世代にも,こんなバカ騒ぎはなかったように思う。いつごろからこうなったのだろう。ちょっと切ない気がする。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住民投票条例

2022-01-08 16:26:58 | 日記

住民投票条例

ネット上に,TBS報道局社会部記者の塩田亜多夢さんの,武蔵野市議会で審議された「住民投票条例案」に関する記事が載っていた。

この条例案には,外国籍の市民にも、日本国籍の市民と同じ条件(18歳以上・市内在住3か月以上)で住民投票への参加を認める,という条項が含まれていることから,賛否両論がネット上で炎上し,街には反対する右翼の街宣車が押し寄せるなど大きな騒ぎになった。

結果は,昨年の11月19日の市議会で,賛成11:反対14で条例案は否決された。

わたしはこの記事の中で,会派「ワクワクはたらく」の本多夏帆市議(無所属)の話に興味を惹かれた。

本田市議は,3年前30歳の時に1歳の息子を育てながら立候補して当選した。以来,最年少議員として市民の声に耳を傾けてきた。今回の条例案に関しても,市民から寄せられる問いに一つずつ丁寧に答えるようにしてきた。しかし,事態は賛否に大きく分断され,互いに相手をののしり合い,否定し合う様相を呈してきた。

「投票するのが怖い。」と投票日の前日本田市議は漏らしていたという。反対すれば差別者,賛成すれば反日のレッテルがはられる。

そして,最後に反対票を投じた。これが決定打となって条例案は否決された。本田市議には,「裏切り者」「差別主義者」の悪罵が寄せられた。

彼女は自分たちの会派の立場を次のように表明しているという。

「(投票資格者に)外国人を含めることについて否定するものではない」が、国籍の問題だけが注目され、制度全体については「市民理解が得られていない」。「市民とのコミュニケーションが不足した結果、生じるのは分断です。こんなこと市民は望んでいません」。

わたしは武蔵野市民ではないし,条例案をつまびらかに検討したわけでもないので,賛否を表明することは控えたい。しかし,外国人の意見を市政に反映させようという努力はポジティブなものとして評価する。また,この条例案について,「15万人の武蔵野市の過半数の8万人の中国人を日本国内から転居させる事も可能」だとして、「行政や議会も選挙で牛耳られる」,というような外国人差別や排除を煽るデマゴギー的な言説には反対する。

本田市議のとった行動についての評価は控えたい。ただ,彼女の行動が,条例案についての市民の間の深まった議論を望んでのものだったことは理解する。それは,健全な民主主義にとって,とても大切なものだと思う。

 

七草粥

食材の都合で,1日遅れになった。

 

雪だるま

散歩の途中で,1月8日撮影

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三九郎

2022-01-07 19:29:29 | 日記

三 九 郎

1月7日,松の内が終わり外飾りを片付ける日とされている。

わたしが生まれ育った信州の村では,松飾りの始末は子供の仕事だった。

1月7日の朝,集落ごとに小学校3年生から6年生の男の子が集まり,リアカーあるいは荷車を引きながら,集落の門々ごとに立って,門松,それを燃やす藁およびお駄賃をくださいと,独特の節回しで呼びかける。

集めた門松と藁を集落近くの水田に置き,その傍にかまくらのような藁小屋を作って,その中で餅を焼いたりお菓子を食べたりしながら,他愛ないおしゃべりや花札に興じる。

1月14日になると,近くの松林から伐ってきた松の木に稲藁を括り付けて立て,その根元に門松と藁を積み上げる。夜になると,村人が桑の枝の先端に繭玉の形のだんごをつけて集まってくる。男の子たちは,攻撃側と防御側の二手に別れ,攻撃側がたいまつで火をつけようとするのを,防御側が松の枝で叩いて消し止める。

結局攻撃側が勝ち,根元に積み上げた藁と門松が燃え始め,火は松の木に括り付けた藁に燃え移る。男の子たちは,そのまわりで声を合わせて「三九郎」の歌をうたう。

村人はこの火でだんごを焼き,無病息災を願って家に持ち帰って食べる。

翌15日は内飾りが取れる日で,やはり男の子たちはそれを集め,その日の夜に前日と同じやり方で燃やす。

一連の行事が終わると,子供たちは集落の集会所に集まり,最上級生がお駄賃で買った文房具をみんなに分配する。

これがわたしが経験した「三九郎」である。

この門松を焼く行事は一般には「どんど焼き」と呼ばれているが,松本地方では「三九郎」がその呼称である。今ではもう行われなくなっているらしい。

ところで,子供たちが歌う「三九郎の歌」であるが,これが猥雑極まりない歌詞である。普段歌ったら大目玉を食らうこの歌詞を,村人たちの前で堂々と歌う開放感を味わった。

村の小学校に赴任してきた先生が,この歌詞に驚いて,新しい「三九郎の歌」を作詞して教えたが,本番でそれを歌う子供は誰もいなかった。

 

雪が積もりました

1月7日自宅から撮影

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間

2022-01-06 16:20:00 | 日記

時     間

年末年始の間に,録りためておいたビデオを観た。わたしは,植物の開花における光周性(一日の中での明暗交代のリズム)に関わる仕事をしていたので,その中で,昨年の12月16日に放映されたNHK・Eテレのヒューマニエンス「”時間”命を刻む神秘のリズム」が,特に面白かった。

例によって,織田裕二さんの司会で,東京大学教授の上田泰己さん,大阪大学教授の北澤茂さんを解説者とし,陸上400mハードル日本記録保持者の為末大さんをゲストに迎えて,番組は進められた。

生物のいろいろな動きが日周性のリズムを持っていることは古くから知られていたが,それが生物の体内にある時計によって支配されていることが1950年代に実証され始め,植物における開花の光周性,渡り鳥の太陽や星による定位,ミツバチの餌場の位置の伝達などにおける体内時計の役割が明らかにされてきた。

今日では,全く光が当たらない洞窟の水中に生息するものを除いて,地球上のすべての生物が体内時計を持っていると考えられている。

番組の前半では,この「体内時計」がテーマとされた。

体内時計で重要なのは,ほぼ24時間の周期(概日性リズムという)をもつ時計で,これは生物が地球の自転周期に合わせて進化した結果である。地球の自転周期が短かった時代に生まれたシアノバクテリアでは,体内時計は17時間くらいの周期だという。

今では,体内時計の存在する場所,細胞,さらには時計を司る遺伝子まで明らかにされている。体の生理状態や行動におけるリズムは,すべてこの時計によって支配され,調整されている。生活のリズムが時計の指示するリズムから外れるとストレスとなる。時差ボケはその典型である。

体内時計の指示する餌をとる時間をずらすことによって,近縁種の間の競合を亡くし,生物の多様性に寄与していることもあるという。

番組ではそうした現象を細胞レベルで可視化できる透明化したマウスが,製作者の上田教授によって紹介され,見事な映像に感嘆した。

テレビ画面に映された透明化したマウス

番組の後半は人間にとっての「時間」がテーマとなった。

三人の女学生が,お目当ての男子学生が現れるのを待つシーンが紹介された。その一人が「今彼に話しかけるわ。」というと,別の一人が「今っていつ?」ときく。つまり,「今」といった瞬間に「今」は過去になってしまうというのだ。過去と未来の時間は確かに存在する。しかし,時間軸上の「今」はどこにあるのか。

北澤教授は,時間は意識が作り出しているものだと説明する。「今」は過去と未来を分かつもので,過去と未来があるのは人間だけだという。未来があるから,絶望があり希望がある。認知症の人は,「今」がいつで,自分が「どこ」にいるのかわからなくなる。

北澤教授は,巧みな実験によって,「今」は0.1~0.3秒の間にあるということを示した。人間はこの時間の間に起きたことを脳で編集して,「今」を意識するというのだ。

この話に反応して為末さんは,陸上短距離では,合図があってから0.1秒より短くスタートするのはフライングと判定されることを指摘した。0.1秒より短ければ,「今」が完成しないあてずっぽうの動きになるということなのだ。

以前,合図から0.09秒でスタートし,いつもフライングをとられるアメリカの短距離女子選手がいたという話を聞いたことがある。彼女は反応が並外れて早かったということだろう。これは悲劇である。

年齢とともに感覚上の時間の経過は早くなるという。経験的にも確かにそうである。何故だろう。

 

初    雪

1月6日午後2時,自宅ベランダより

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹賀新年

2022-01-04 11:45:23 | 日記

謹賀新年

1月1日自宅から撮影

日本海側の方々には申し訳ないが,好天の年明けを迎えた。

コロナ感染第6波の予兆もあり,波乱含みの年になるかもしれないが,何とか無事に乗り切りたい。

毎年筑波山神社に初詣をしていたが,車を廃した今年はそれが叶わず,遥か筑波山に向けて,家内息災を祈願した。

 

縁起物

生まれ育った松本の家では,元旦に柿,栗,豆を食べるのが習慣で,それをわが家でも継承し,両親の霊前にも供えている。

市販のおせちには,豆と栗は入っているが,柿は添えられていない。

柿は「財をカキ寄せる」,栗は「仕事のクリ回しをよくする」,豆は「マメに健康に」と教わってきた。

他愛ない語呂合わせだが,「三ツ盛」を食べて安心している。

 

雑煮

わが家では三が日の朝食は雑煮である。

具は鰤。信州は山国で冷凍輸送の手段がなかった時代,唯一の海の鮮魚は日本海側から届く寒鰤だった。年末に届いて,捌くのは男手だった。大晦日の年取りのご馳走にし,正月の雑煮の具に供した。

カミさんのルーツが山形県なので,里芋を具にした雑煮も食べることがある。

 

核保有国

アメリカ,ロシア,中国,フランス,イギリスの5核兵器保有国は3日声明を発し,「核戦争に勝利することはできず、決して戦ってはならないことを確認する」とした上で「軍事的対立を回避し、安定性と予見可能性を強化し、相互理解・信頼を高め、誰の利益にもならず万人を危険にさらす軍拡競争を防ぐため、2国間および多国間の外交的アプローチを引き続き追求していく」と指摘しているという。

核兵器の脅威を最も感じているのは,実は保有国ではないだろうか。声明だけでなく,核兵器廃絶を実行して欲しい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする