一昨日,今日と,老犬を連れて散歩する女性を見かけた。いずれの犬も後脚の膝が曲がったままで,まさに腰が抜けた状態でヨタヨタと飼い主に従っていた。一昨日の女性に訊いたところ,17歳だという。ネットの情報によれば,犬の17歳は人間の84歳に相当するという。してみると,私と同年齢である。私もああなっても不思議な歳ではないということか。今日見かけた女性は私より年上に見えたので,飼い犬よりも頑張っているということだ。
イヌは人類史上最初に家畜化された動物とされている。ヒトと共生しながら,さまざまな目的に改良され,驚くほど多様な姿になっている。かつては狩りや家畜の管理の手助けをしてきたのだろうが,今はもっぱらペットとして人間と暮らしている。私の住むマンションでも犬と暮らしている人が多い。ヒトより短命なイヌは,飼い主より先に死ぬことが圧倒的だろう。散歩で見かけた老犬もその運命にあるにちがいない。寄り添って歩く飼い主の方にはそれを見送る悲哀のようなものが感じられた。同じ階に住む奥さんの,愛犬の臨終に際して嘆き悲しんだ姿は記憶に鮮やかだ。
私は生涯で2匹の犬と一緒に過ごした。最初の犬は私が小学校の低学年の時に,父が甥から譲り受けた血統書付きの秋田犬で,家に来たときは成犬であった。それなりに私になついていたが,やはり父を絶対視していて,じゃれるように遊んだ記憶がない。殺鼠剤で死んだネズミを食べて亡くなった。目をつぶり,歯を食いしばっていた遺骸は今でも目に浮かぶ。
二番目の犬は私が17歳の時にわが家にやってきた子犬である。翌々年に大学に入って東京に行ったので,一緒にいた時間はそう長くない。しかし,とてもよくなつき,可愛くて仕方がなかった。帰郷して夜わが家に着くと,足音に吠え始めるのだが,ひと声私が彼女の名前を呼ぶと甘えた声になり,家族にあいさつするより先にそばに近づくと,腹を上にしてひっくり返り,小便を漏らした。これが喜びの表現だった。短命で,私が大学院に在学していた時に,癌で死んだ。死に目には会えなかったが,それを知らせてくれ母の手紙を読んだときは涙が流れた。この犬のことは今でも心に沁みついて思い出すことが多い。それを言葉にする時に,温かく聞いてくれる家内に感謝している。