4月13日の日本サッカー協会の理事会で、新たに「日本サッカー殿堂」入りする10人が決まった。新田純興、玉井操、小野卓爾、竹内悌三、篠島秀雄、福島玄一、二宮洋一、賀川太郎、鴇田正憲、岩谷俊夫の各氏(すべて故人)である。
しかし、今回、もう1人、殿堂入りの候補がいた。金容植氏である。1936年ベルリン五輪で、スウェーデンを破ったときの日本代表のメンバーである。ちなみに、竹内悌三氏もベルリン五輪のメンバーである。金氏は、当時、日本の植民地だった朝鮮から、ただ1人五輪日本代表に選ばれた。五輪後も日本代表として活躍し、戦後は韓国代表の監督も務めた、日本サッカーの功労者と同時に、韓国サッカーの誇りといえる人物だ。
日本サッカーからみれば、その功績に疑いはない。しかし、韓国側からみて、金氏が「日本サッカー殿堂」に入ることは、どういう気持ちなのだろうか。植民地、朝鮮から選抜され、日の丸のユニフォームで活躍したことを称えられるのである。複雑なことは間違いない。
日本サッカー協会からの打診に対して、金氏のご家族からは、すでに韓国サッカー協会の殿堂入りをしているという理由で、「丁重なお断り」があったそうだ。しかし、本当の理由が、それだけでないことは容易に想像がつく。
2002年の日韓ワールドカップのおかげで、近くなった日本と韓国の心の距離だが、歴史のなかに残る距離までが縮まったわけではない。ぼくたちは、そのことをきちんと認識しておかなければならない。
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