久しぶりです。
山ごもり 実家に帰っていたため更新ができませんでした。
しなかったわけじゃないよ、できなかったんだよ。
だってめんどくさい忙しかったから・・・
さてそんなわけで今回は(どんなわけで?)「ボロブドゥール」です。
前回はカンボジアの「アンコールワット」を紹介しました。
東南アジアでヒンドゥーの代表建築物がアンコールワットならばボロブドゥールは仏教の代表的建築物です。
ボロブドゥールは8世紀の「シャイレーンドラ朝」に建てられたものだといわれています。
シャイレーンドラ朝は8世紀はじめにそれまでの勢力であった「サンジャヤ朝」を滅ぼしました。
そして近隣の国を侵略していきます。
アンコールワットのあるカンボジアに仏教を持ち込んだのはシャイレーンドラ朝だという話です。
勢いのあるシャイレーンドラ朝は他の王朝にもれず自分たちの力を誇示するために巨大建築物を建造しました。
それがボロブドゥールです。
誰が建てたのかはわかっていませんが、下部にはお釈迦様の一生がレリーフとして彫られており、上部には多数の仏像が集まって立体曼荼羅(まんだら)を形成しています。
ただし、ボロブドゥールは5回にわたって着工され、そのたびにデザインが変わっています。
理由は石の重みによる崩壊の危険があったためだといわれています。
そんなシャイレーンドラ朝も長くは続きませんでした。
9世紀中ごろにはシャイレーンドラ朝の名は歴史から姿を消しました。
国内の内紛と、新しく女王になった女性の夫がサンジャヤ朝の出身者であったことから徐々にその権威はサンジャヤ朝に移っていきます。
その後サンジャヤ朝が復活、シャイレーンドラの王子は国外に逃げ、シュリーヴィジャヤ王女と結婚したと碑文には残されていますが詳細は不明です。
そしてボロブドゥールは長い間、密林に埋もれていました。
イスラムの破壊の手を免れるために隠されたとも言われています。
再び日の目を浴びるようになったのは19世紀はじめ、インドネシアはオランダの管理下にありました。
そんななか、イギリス人がボロブドゥールを発見します。
オランダによって発掘開始されたボロブドゥールは50年近くの時をかけて発掘されました。
さらに20世紀はじめには修復作業が開始され、1970年代には大規模な修復が行われています。
1985年にイスラムの過激派によって爆破テロがありましたが今では修復されているようです。
突如として現れ、すぐに消えて行ったシャイレーンドラ朝が残したものはあまりに大きく壮大なものでした。
繁栄と衰退・・・
この寺院はそんな無常さを表している気がしてなりません。
しなかったわけじゃないよ、できなかったんだよ。
だって
さてそんなわけで今回は(どんなわけで?)「ボロブドゥール」です。
前回はカンボジアの「アンコールワット」を紹介しました。
東南アジアでヒンドゥーの代表建築物がアンコールワットならばボロブドゥールは仏教の代表的建築物です。
ボロブドゥールは8世紀の「シャイレーンドラ朝」に建てられたものだといわれています。
シャイレーンドラ朝は8世紀はじめにそれまでの勢力であった「サンジャヤ朝」を滅ぼしました。
そして近隣の国を侵略していきます。
アンコールワットのあるカンボジアに仏教を持ち込んだのはシャイレーンドラ朝だという話です。
勢いのあるシャイレーンドラ朝は他の王朝にもれず自分たちの力を誇示するために巨大建築物を建造しました。
それがボロブドゥールです。
誰が建てたのかはわかっていませんが、下部にはお釈迦様の一生がレリーフとして彫られており、上部には多数の仏像が集まって立体曼荼羅(まんだら)を形成しています。
ただし、ボロブドゥールは5回にわたって着工され、そのたびにデザインが変わっています。
理由は石の重みによる崩壊の危険があったためだといわれています。
そんなシャイレーンドラ朝も長くは続きませんでした。
9世紀中ごろにはシャイレーンドラ朝の名は歴史から姿を消しました。
国内の内紛と、新しく女王になった女性の夫がサンジャヤ朝の出身者であったことから徐々にその権威はサンジャヤ朝に移っていきます。
その後サンジャヤ朝が復活、シャイレーンドラの王子は国外に逃げ、シュリーヴィジャヤ王女と結婚したと碑文には残されていますが詳細は不明です。
そしてボロブドゥールは長い間、密林に埋もれていました。
イスラムの破壊の手を免れるために隠されたとも言われています。
再び日の目を浴びるようになったのは19世紀はじめ、インドネシアはオランダの管理下にありました。
そんななか、イギリス人がボロブドゥールを発見します。
オランダによって発掘開始されたボロブドゥールは50年近くの時をかけて発掘されました。
さらに20世紀はじめには修復作業が開始され、1970年代には大規模な修復が行われています。
1985年にイスラムの過激派によって爆破テロがありましたが今では修復されているようです。
突如として現れ、すぐに消えて行ったシャイレーンドラ朝が残したものはあまりに大きく壮大なものでした。
繁栄と衰退・・・
この寺院はそんな無常さを表している気がしてなりません。
ん~遺跡も歴史を調べるとまた楽しめるものだねぇ☆
遺跡めぐりもいきたいなぁ