ぶふぉぶろぐ

小説などをつらつらと・・・

動く棺 後編

2005-08-12 | 不思議な事件簿
続きです。
早く出せました☆
詳しくはここを見てください。


さらに4年後の1816年に生後11ヶ月の赤ん坊を埋葬することになりました。
恐る恐る扉を開いてみると全ての棺が下を向いていたのです。
なかでもトーマス卿の棺は鉛の内張りがしてあり、男8人でやっと持ち上げられるようなものであったのにもかかわらずです。
黒人を疑いはしましたがその方法はまったくわからず仕方なく扉はまたコンクリートで塞がれました。


それからわずか7週間後・・・
別の墓に納められていた遺体をこの墓に納めることになりました。
はたして、全ての棺がばらばらの方向に動いていました。
中でも最初の埋葬者ゴッダルト夫人の棺は壁にぶつかって壊れており、遺体の手足がはみ出しているほどでした。


毎回扉は封印されているのに・・・
このときは政府に調査を依頼しましたが墓の中には抜け道はおろか水や虫も入れないような密閉された構造であることがわかっただけでした。



この話は人々に知れ渡り、中には次の埋葬を楽しみにしている人もいました。
そして3年後の1819年
埋葬者の棺が墓に運ばれていきました。
噂を聞きつけた野次馬たちが見守る中扉の封印が解かれていきました。
前回の埋葬のときにいつも以上に厳重な封印をしたためコンクリートを取り除くのに時間がかかりました。
全てのコンクリートを取り除き中に入ろうとしましたがなぜか扉が開きません。
やっとの思いで開けてみるとトーマス卿の重たい棺が扉を塞いでいたのです。
もちろん他の棺もいろんなところに転がっていました。


この埋葬のときにきていたバルバドス島の管理者「コンベルメレ総督」によって厳重に封印がされ、墓の中には侵入者の足跡が残るように砂が敷き詰められました。


それから9ヵ月後、自宅でパーティーをしていたコンベルメレ総督は酔った勢いであの墓を開いてみることにしました。
9人で墓まで行き、封印をといて扉を開くとやはり棺は様々な方向に投げ出され床の砂には足跡などは一切残されていませんでした。


総督は理解不能という見解を示し、全ての棺を別の墓に移すことを命じました。
この墓は今でも残されていますが、それからこの墓に納められたものはいないということです。


さて、皆さんはどう思いますか?
今までに出ている説としては「地震説」、「出水説」、「ブードゥーの呪い説」などがあがっていますがどれも決定的なものではありません。
この問題を解明するのはあなたなのかもしれません!


まぁ、僕は 考えるのがめんどくさい 科学的に考えるのでわからないんですけど・・・・

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なに (ラテラ)
2005-08-12 21:11:46
解明してよう~。

考えてよう~
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こっこれはぁー!?part2 (toxin)
2005-08-12 22:19:26
ドアドアの実?
返信する

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