アメリカ合衆国の最高権力者といえばアメリカ大統領です。
しかし、アメリカの歴史の中には最初で最後の皇帝がいました。
アメリカ合衆国皇帝陛下 ジョシュア・エイブラハム・ノートン
彼はどんな人物だったのでしょうか?
1854年、サンフランシスコの地元新聞社、サンフランシスコ・ブルティン紙の編集長のところに一人の男がやってきました。
陸軍大佐の軍服を着た彼は編集長にこう言ったのです。
「国民のたっての要望により、余はアメリカ合衆国皇帝の座に就く。」
サンフランシスコ・ブルティン紙の編集長は、冗談が好きな人物だったため、大差服の男の声明を一面に掲載しました。
1859年、初めての声明から5年後に大佐服の男「ジョシュア・エイブラハム・ノートン」は合衆国皇帝を公的に宣言したのです。
アメリカ合衆国議会はこの声明を・・・完全に無視しました(笑)
そのため、ノートンの皇帝就任は議会の沈黙を持って成立しました。
その後、2度目の声明を無視した議会に怒ったノートン皇帝は、陸軍最高指令に
「軍隊を率いて議会をきれいにしろ」
と命令しましたが、これまた無視されました。
仕方なく、サンフランシスコの政治を取り仕切ることにしたノートン皇帝は、「道には街灯をつけろ」、「クリスマスには街路樹を飾りつけろ」などのわかりやすい勅命を何度も、サンフランシスコ・ブルティン紙を通じて発表しました。
これらの勅命は少なからず市政に反映されました。
彼の一番有名な勅命は「この町の発展のためにつり橋をかけろ」というものです。
この勅命は実現しませんでしたが、それから30年以上たってノートン皇帝の考えたとおりの場所にベイブリッジが建設されました。
また、銀行には月10ドル、商店には月50セントの税を課しました。
どの納税者も快くこの税金を支払ったそうです。
さらに、サンフランシスコの飲食店は皇帝に無料で食事を出し、映画館ではノートン皇帝特別席が用意されていました。
そんななか、セントラルパシフィック鉄道は、食堂車で皇帝に食事を無料で出すのを断ったために、皇帝から営業停止処分を受けました。
これに慌てた鉄道会社は「無期限パスポート」(銀河鉄道999みたいだ!)を発行し、皇帝に献上して事なきを得ました。
1880年にノートン皇帝は死去しましたが、このときの参列者は数万人に及びました。
ニューヨークタイムズまでがこの記事を掲載し、ノートン皇帝を
「彼は誰も傷つけず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。この点において、歴代の皇帝と呼ばれるものの中で彼の右にでるものはいない」と評しています。
長くなりましたが、‘自称’皇帝であったノートンは多くの人に愛された人物です。
大きなホラ吹きですが、今なお彼は親しみと尊敬をこめて『皇帝』と呼ばれています。
僕もこんなおじさんは好きですねぇ。
だって、憎めないでしょ?
月50セントくらいなら払いますよ、面白いもん
しかし、アメリカの歴史の中には最初で最後の皇帝がいました。
アメリカ合衆国皇帝陛下 ジョシュア・エイブラハム・ノートン
彼はどんな人物だったのでしょうか?
1854年、サンフランシスコの地元新聞社、サンフランシスコ・ブルティン紙の編集長のところに一人の男がやってきました。
陸軍大佐の軍服を着た彼は編集長にこう言ったのです。
「国民のたっての要望により、余はアメリカ合衆国皇帝の座に就く。」
サンフランシスコ・ブルティン紙の編集長は、冗談が好きな人物だったため、大差服の男の声明を一面に掲載しました。
1859年、初めての声明から5年後に大佐服の男「ジョシュア・エイブラハム・ノートン」は合衆国皇帝を公的に宣言したのです。
アメリカ合衆国議会はこの声明を・・・完全に無視しました(笑)
そのため、ノートンの皇帝就任は議会の沈黙を持って成立しました。
その後、2度目の声明を無視した議会に怒ったノートン皇帝は、陸軍最高指令に
「軍隊を率いて議会をきれいにしろ」
と命令しましたが、これまた無視されました。
仕方なく、サンフランシスコの政治を取り仕切ることにしたノートン皇帝は、「道には街灯をつけろ」、「クリスマスには街路樹を飾りつけろ」などのわかりやすい勅命を何度も、サンフランシスコ・ブルティン紙を通じて発表しました。
これらの勅命は少なからず市政に反映されました。
彼の一番有名な勅命は「この町の発展のためにつり橋をかけろ」というものです。
この勅命は実現しませんでしたが、それから30年以上たってノートン皇帝の考えたとおりの場所にベイブリッジが建設されました。
また、銀行には月10ドル、商店には月50セントの税を課しました。
どの納税者も快くこの税金を支払ったそうです。
さらに、サンフランシスコの飲食店は皇帝に無料で食事を出し、映画館ではノートン皇帝特別席が用意されていました。
そんななか、セントラルパシフィック鉄道は、食堂車で皇帝に食事を無料で出すのを断ったために、皇帝から営業停止処分を受けました。
これに慌てた鉄道会社は「無期限パスポート」(銀河鉄道999みたいだ!)を発行し、皇帝に献上して事なきを得ました。
1880年にノートン皇帝は死去しましたが、このときの参列者は数万人に及びました。
ニューヨークタイムズまでがこの記事を掲載し、ノートン皇帝を
「彼は誰も傷つけず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。この点において、歴代の皇帝と呼ばれるものの中で彼の右にでるものはいない」と評しています。
長くなりましたが、‘自称’皇帝であったノートンは多くの人に愛された人物です。
大きなホラ吹きですが、今なお彼は親しみと尊敬をこめて『皇帝』と呼ばれています。
僕もこんなおじさんは好きですねぇ。
だって、憎めないでしょ?
月50セントくらいなら払いますよ、面白いもん
彼は誰も傷つけず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。この点において、歴代の皇帝と呼ばれるものの中で彼の右にでるものはいない
かっこいいではないですか!?
すきですv