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世界遺産の旅 ペルセポリス

2005-11-12 | 世界遺産の旅
イランの世界遺産の中でも最大の見所といわれている
『ペルセポリス』
をご紹介します。

ペルセポリスとは「パールサ(ペルセポリスのある場所)の都」という意味で、紀元前520年程から建設がはじまりました。
建造を開始したのは『ダレイオス1世』という人物で、「アケメネス朝ペルシア」の最盛期の王様でした。
ダレイオス1世は統治力に優れていました。
各州に州知事(サトラップ)をおき、州知事を見張るための「王の目・王の耳」と呼ばれる監視員を派遣しています。
さらに、国の中に「王の道」と呼ばれる国道を築いて交通の利便を図りました。

ペルセポリスでは東西に約300メートル、南北に約450メートルの人口基盤を作り、その上に様々な宮殿・石造が建築されました。

ペルセポリスに着くと、まず人口基盤の上まで昇るための大階段を昇ります。
すると、大きな「クセルクセスの門」が出迎えてくれます。

この門を抜けると右手に「謁見の間」が見えてきます。
謁見の間は高さ20メートルもの柱が何本も聳(そび)え立っていた壮大な空間であったようです。
しかし、現在は廃墟となってしまっています。

アケメネス朝は紀元前330年にアレクサンドロス大王によって滅ぼされました。
そのときに、謁見の間をはじめとするペルセポリスの宮殿は、ほとんどが破壊されてしまうのです。

謁見の間の隣には「百柱の間」があります。
ここはペルセポリス最大の部屋だったようです。
かつては本当に100本の柱があった百柱の間も、アケメネス朝が滅びたときに燃やされ、今では柱の跡を見て取れるだけとなっています。

さらに進むと、「ダレイオスの宮殿」という部屋があります。
ここは、石柱が綺麗に磨かれていたことから、別名「鏡の間」とも呼ばれていたそうですが、現在では立ち入り禁止になっているそうです。

さらにペルセポリスには、数々なレリーフや石像が聳え立っています。
こうした遺物に触れて紀元前の歴史に思いを馳せてもいいんじゃないでしょうか


余談ですが、ペルシア(ペルシャ)という国は今はありません。
ペルシアは現在ではイランと呼ばれています。
ペルシア猫、ペルシア絨毯などペルシアの名前がつくものはなんだか豪華な感じがしますねぇ☆
イラン猫、イラン絨毯って言うとなんか「必要ない」っていってるみたいですからペルシアのほうがいいですねぇ。
僕は「ペルシャの市場にて」というクラシックが好きなんですが聞いたことありますか?


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あぁ・・・ (ラテラ)
2005-11-12 21:03:08
かぶりましたね・・・
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ですね(^^; (ぶふぉ)
2005-11-13 11:48:05
ちょうど世界不思議発見でイランのことをやってましたね

世界不思議発見ではアケメネス朝ではなくサファヴィー朝がメインだったみたいですが。

世界不思議発見を見た方はぜひペルセポリスにも興味を持ってみてください☆
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