夜の10時台、本当のニュース番組が必要だ。仕事から帰ってきて、ニュースをと思っても、10時台で見られるのは、「報道ステーション」だけ。
しかし、この番組、いやキャスターと名乗る古舘伊知郎氏の姿勢が、どうしてもいただけない。
一つのニュースに対して、自分ではこれ以上に鋭く、すぐれた高説はないと錯覚してか、ダラダラとありきたり以下の説をこれでもかと垂れ流す。
しかしその内容は、あちこちから寄せ集めたような、手あかの付いたものでしかないことが多い。とりわけ、自分が専門としている分野の内容となると、見当違いが多く、聞いていられない。
しかも、さまざまな出来事や問題に対して、この世の中で自分一人だけが苦渋や痛みを背負っているような言いようが延々と続く。
いずれもが詩的な表現だと思いこんでいるのか、大げさな形容詞に加えて、「本当に」だとか「今、一度」とかの発音において破裂音が炸裂し、唾液が画面から飛び出してくるようで、聞き苦しくてしょうがない。
彼のもっとも大きな弱点は、スタジオの中にしかいないということ。大勢の記者が取材する現場を踏んでいないことを恥じているのか、力めば力むほど、言葉が空回りし、空虚で現実味がまったく感じられない。
約1時間という番組時間がある中で、一つのニュースに対して陳腐な自説を垂れ流す2分、3分という時間を積み重ねれば、相当な長さの時間となる。その時間を省き、事実を淡々と伝えることでさらに多くのニュースを伝えることが可能だ。
中国での地震災害のニュースが伝えられるたびに、言葉遊びの薄っぺらさを実感させ、インターネットで中国、台湾、香港、さらには他国のニュースサイトを見ることで、ゆがんだインプットが去勢されるような感じだ。
ニュース番組に求めるのは事実であって、高説を聞きたいのではない。
しかし、この番組、いやキャスターと名乗る古舘伊知郎氏の姿勢が、どうしてもいただけない。
一つのニュースに対して、自分ではこれ以上に鋭く、すぐれた高説はないと錯覚してか、ダラダラとありきたり以下の説をこれでもかと垂れ流す。
しかしその内容は、あちこちから寄せ集めたような、手あかの付いたものでしかないことが多い。とりわけ、自分が専門としている分野の内容となると、見当違いが多く、聞いていられない。
しかも、さまざまな出来事や問題に対して、この世の中で自分一人だけが苦渋や痛みを背負っているような言いようが延々と続く。
いずれもが詩的な表現だと思いこんでいるのか、大げさな形容詞に加えて、「本当に」だとか「今、一度」とかの発音において破裂音が炸裂し、唾液が画面から飛び出してくるようで、聞き苦しくてしょうがない。
彼のもっとも大きな弱点は、スタジオの中にしかいないということ。大勢の記者が取材する現場を踏んでいないことを恥じているのか、力めば力むほど、言葉が空回りし、空虚で現実味がまったく感じられない。
約1時間という番組時間がある中で、一つのニュースに対して陳腐な自説を垂れ流す2分、3分という時間を積み重ねれば、相当な長さの時間となる。その時間を省き、事実を淡々と伝えることでさらに多くのニュースを伝えることが可能だ。
中国での地震災害のニュースが伝えられるたびに、言葉遊びの薄っぺらさを実感させ、インターネットで中国、台湾、香港、さらには他国のニュースサイトを見ることで、ゆがんだインプットが去勢されるような感じだ。
ニュース番組に求めるのは事実であって、高説を聞きたいのではない。
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