Ohmy Newsが創刊されたこともあり、市井の人々による市民新聞に注目が集まっているという。
しかし、人はなぜ集うのでしょうか?
例えば、Ohmy Newsでいうなら、「あなたも市民記者です」というフレーズにひかれたのでしょうか?
まさか、「掲載された記事は、掲載個所によって定められた原稿料が支払われます」という一文に目を奪われたわけではないでしょ?
そもそも、すでに複数ある市民新聞のようなメディアは、その存在価値を誇る、あるいは高めるためなのか、既存のメディアでさんざん従事してきた“有名人”が編集委員などとして名前を連ねています。
それだけに、マスメディア界の天下り現象を見ているような気になり、新鮮みを感じさせません。
襟を立てていたり、腕組みをしてふんぞったり、髪をかきあげたり、あるいはバラエティ番組にまで出演するなど、頻繁にTVに出ているような人たちだけが、記者ではありません。
それどころか、有能なといわれる人たちほど、メディアとりわけTVなどにはあまり顔出しをしていません。なぜなら、TVに出るような時間がつくれませんし、出たいとも思っていないからです。
既存のメディアに不信感、あるいは満足感が得られずというなら、今の時代、自分でブログなりホームページを立ち上げて情報発信や意見表明をすればよいはずです。
かつての時代のように、情報発信や意見表明はマスコミの独占手段ではないのだから。
今の時代、誰もが記者になれる時代です。資格など必要ありません。
そして、記者としての自覚を持つなら、コツコツとヒシヒシと訥々と、自分で発信し続ければよいはずです。
徒党を組む必要などないと思います。
しかし、人はなぜ集うのでしょうか?
例えば、Ohmy Newsでいうなら、「あなたも市民記者です」というフレーズにひかれたのでしょうか?
まさか、「掲載された記事は、掲載個所によって定められた原稿料が支払われます」という一文に目を奪われたわけではないでしょ?
そもそも、すでに複数ある市民新聞のようなメディアは、その存在価値を誇る、あるいは高めるためなのか、既存のメディアでさんざん従事してきた“有名人”が編集委員などとして名前を連ねています。
それだけに、マスメディア界の天下り現象を見ているような気になり、新鮮みを感じさせません。
襟を立てていたり、腕組みをしてふんぞったり、髪をかきあげたり、あるいはバラエティ番組にまで出演するなど、頻繁にTVに出ているような人たちだけが、記者ではありません。
それどころか、有能なといわれる人たちほど、メディアとりわけTVなどにはあまり顔出しをしていません。なぜなら、TVに出るような時間がつくれませんし、出たいとも思っていないからです。
既存のメディアに不信感、あるいは満足感が得られずというなら、今の時代、自分でブログなりホームページを立ち上げて情報発信や意見表明をすればよいはずです。
かつての時代のように、情報発信や意見表明はマスコミの独占手段ではないのだから。
今の時代、誰もが記者になれる時代です。資格など必要ありません。
そして、記者としての自覚を持つなら、コツコツとヒシヒシと訥々と、自分で発信し続ければよいはずです。
徒党を組む必要などないと思います。