別 胡 説 八 道!

    真 是 豈 有 此 理!

痛みや悲しみ、息苦しさがわかる知恵と工夫を発揮する時代

2008-12-28 10:03:29 | Weblog
「マスコミに対し、なんか報復でもしてやろうかな。それくらいの感じは個人的に持っている」

「財界総理」とか言われおだてられている奥田碩トヨタ自動車相談役であり、日本経団連名誉会長の、近年まれにみる迷言です。

一方、名指しされたマスコミは広告出向量が減少することを恐れ、この発言にほとんど知らんぷりを通しています。中には、トヨタをヨイショする取材を行ったテレビ局もありました。2008年の記憶に残る露骨な札束殴打発言です。

別世界に住む彼は、もはや人と会話できる共通の言語や価値観を持ち得ていないことをみごとに露呈させました。

もう一人も、2008年の記憶に残る哀れな人物として忘れられません。

財界トップとかいわれる御手洗冨士夫日本経済団体連合会会長でありキヤノン会長は、非正規従業員の削減が増加していることについて、「やむを得ない事情がある」と、労働者を切って捨てる残虐さを「事情」だけの理由でかたづけ、自己正当化を図ろうとしました。

まさか、日本の経済的隆盛が自分たちによってもたされたと思い込んでいるのではないでしょうね。「威力」を背景に、ふんぞり返るときは思いっきりふんぞり返りながら、社会的責任を負う組織あるいは企業としての規範やモラルを示そうとはしません。

それどころか、まったく知らんふりを決め込み、労働者をこの寒空の路頭に迷わせ、餓死や凍死の危険性さえじゅうぶんに予測できる「報復」行為にでたのです。

彼らは、労働者の主張をどれほど一蹴してきたでしょうか。会社のためと幻想を抱き、過労死した無数の人々の無念をどれだけ汲み上げてきたのでしょうか。

企業との幻想的な恋愛に終止符を打ち、冷静にその関係を見つめる時がやって来ました。しかし奥田の言う「報復」などという、力をひけらかしたむごい仕打ちではありません。収益を吸い上げる装置としての企業を死守しようとする御手洗の卑しい浅知恵でもありません。

富める者はますます栄え、貧しい者は一気に奈落の底に落とされるという現実を前に、唯我独尊もはなはだしい、社会参加しない彼らとはけっして同列にはならない。満員電車の苦痛を忍んできた労働者として、痛みや悲しみ、息苦しさがわかる知恵と工夫を発揮する時代に入ったようです。

丸見えの、底なし沼!

2008-12-25 18:06:20 | 選挙
「腐り切って、国民サイドの政治が機能しなくなっている自民党」

民主党は「国民の生活が第一という基本的な考え方」

民主党の小沢一郎代表が、こう発言したと伝えられる。

ところが、どんなに大ぼらを吹こうと、大風呂敷を広げようと、太鼓を打ち鳴らそうと、国民は喜びも期待も、踊りもしない。

丸見えの、底なし沼!

どれほど政策が素晴らしかろうと、人望のない人が叫んでは、その後の仕打ちを予測してしまう。

現代日本政治の悲しきどん詰まり。

生存の危機に追いやるむごい仕打ち

2008-12-11 21:28:04 | Weblog
普段の記者会見でさえ表情がなく、発言に重みがまったく感じられない人でしたが、あまりの責任感の欠如にあきれかえりました。

日本経団連の会長もしている、キャノンの御手洗富士夫会長の発言です。

大分県のキヤノン子会社で働く1100人もの請負社員が来年1月までに解雇されることについて、「キャノンが雇用しているとの誤解」と、他人事のように言ってのけました。

請負元が解雇したのであって、わしらは知らんし責任はないと言いたいんでしょう。

日本経団連会長としての発言は 「世界的な景気の落ち込みで各社が減産に追い込まれ、苦渋の選択として雇用調整が行われている」と、平然と述べています。

人よりも会社重視、人が強いられる窮地に目をつぶって知らん顔という無責任さが如実に表れています。

経営者であれば社員に対し責任と義務を負い、自らのとるべき態度が何であるかという自覚や覚悟さえない発言でしかありません、

これは、人を経済的窮地に追い込むどころか、生存の危機に追いやる仕打ちでしかありません。

しゃれにもならない文字通りの、首切りになる危険性がひしひしと伝わります。

生き延びようとする人々に対し、石のように硬直した強欲な姿勢で臨んだことにあきれかえったのは、私だけではありませんでした。

人格や人間性に疑問を持たせ、経営者としての資質を露呈させたことで、私の周りで3人だけですが、スキャナーやデジカメでキヤノン製を買おうかと考えていた人たちが、キヤノン製をやめて他のメーカーの製品を買いました。

「視察」? やはり他人事だからですか?

2008-12-05 17:54:45 | Weblog
民主党の菅直人代表代行にとって、ネットカフェは視察する場所のようです。利用する場ではない立場の人物であることが、明確になりました。

驚かせたのは、視察した時間が午前中だということです。スケジュールをたてた人物も、ネットカフェを寝場所にせざるを得ない境遇とは全く無縁の人物だということが明白です。

午前中というのは、多くの日雇いにとっては労働の時間帯です。スケジュールの都合で午前中になったと菅は言い逃れるかもしれませんが、視察とほざくくらいなら自分のほうが時間を合わせるべきでしょう。

だからでしょうか、「今日泊まって行きますか」と店の人から声をかけられると、「いいねえ。ここで碁でも打ってりゃあ大丈夫だな、私の場合は」と、まったくのノーテンキ発言です。

常にふんぞり返った生活者にとって、たまの貧乏暮らしは気分転換にはもってこいでしょうが、めどがつけられないネットカフェー生活者にとっては地獄そのものだという他者への思いがまったく欠如した発言です。

ソファーに横たわって、「静かなら十分寝られるよね」と心底思うのであれば、いつまでも寝ていれば。