別 胡 説 八 道!

    真 是 豈 有 此 理!

小沢一郎代表、上から目線、なおりません

2008-10-20 05:56:46 | 選挙
「政治の細かいことを知る必要はない。自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」

民主党の小沢一郎代表がインターネットのテレビ番組に出演した発言です。

久々に、大声で叫びたくなりました。別胡説八道!!

やはり、いつでも、どこでも、誰に対しても、上から目線。あいかわらずです。

さすが、田中角栄のもとで「ぞうきんがけ」をし、竹下登らとともに我が世の春をぞんぶんに楽しんだ経歴の持ち主ならではの発言であり、小沢個人の資質がにじみ出ています。

ニヤニヤ笑いの裏に潜む正体、はからずも露呈させたりです。

「政治の細かいことを知る必要はない」とは、結局のところ、国民は黙っておれ、政治は政治家に任せろという、おごりたかぶり。自ら思考することを停止させる愚民化政策の表明です。

彼がかつて所属していた自民党の教育問題に対する基本姿勢と同じです。指示にひたすら忠実であれ、と。

「自分たちの1票で政権を代えることができる。それだけを分かってもらえたらいい」

政権が変われば総理の座が待ち受けていると皮算用していだけに、そりゃ、分かってもらいたいんでしょう。

しかし、選挙で政権担当政党は変えられるでしょうが、多くの足かせ、手かせで、日本は政党が変わっても抜本的な変化は生じません。

それこそ、「政治の細かいことを知る必要はない」ですが、六法全書を開けば最初のほうに書いてありますよ。

すでに、東と西に暴君がいます。中央に、また新たな暴君が君臨されてはたまりません。

時には、素直さを捨てることが必要です。分からず屋に変身することもわるくないでしょう。今が、そのときではないでしょうか。

大相撲だけに、なぜガチンコを求めるのでしょうか?

2008-10-19 03:44:35 | Weblog
大相撲に、八百長、ありか、なしか?

あり派もなし派も、ヒートアップしていますが、なぜ、それほど熱くなるんでしょうか?

美しさのかけらもなかった汚い相撲を取り続けた若の鵬に引っかき回され、貴ノ花、貴乃花、北の湖、朝青龍、さらには、若貴兄弟の母親までもマスコミをにぎわす始末です。

まさに、ワイドショーそのものとなり、相撲ファンとしては、禁じ手を食らった感じです。

大相撲は興業です。このことだけ認識すれば、自ずと納得できると思うのですが。

全国の力自慢が、俺こそはと、大相撲という場に集まり、けいこに励んでいるのです。幕内力士にはかないませんが、序の口、序二段、三段目、そして幕下、十両の取り組みにも、見る者を夢中にさせる相撲のおもしろみがあり、いずれも人間美を表しています。

しかし、彼らとて、人間です。しかも、皆、関取を目指し、苦しいけいこをこなす、いわば仲間です。土俵を降りれば、日頃、ともに遊びあう間柄であり、土俵以外で、偶然、顔を合わせれば、取っ組み合うアホはいません。

そんな人たちが、ガチンコだけで生きているでしょうか?

斡旋、根回し、手心などは、わたしたちの社会では当たり前に行われています。それなのに、大相撲だけ、ガチンコを押しつけるのでしょうか?

勝ち負けに固執するよりも、取り組みそのものを堪能したほうが、大相撲ははるかにおもしろいと感じています。

大相撲の力士はプロとして相撲の醍醐味を土俵の上で表す存在と認識した上で、八百長と疑われるような無気力相撲をとった力士に、もっと夢中にさせる相撲をとれと文句を言ったほうがよいのではないでしょうか。

埋めきれない2人の差異

2008-10-08 21:59:01 | Weblog
昨日の、仙台市クリネックス・スタジアム宮城での、ソフトバンク対楽天の試合は見応えがありました。

負けたチームがパリーグ最下位になるという緊張感もありましたが、ソフトバンク王貞治監督の最後の試合という感慨深さが試合ににじみ出ていました。

王監督としては、延長12回の末のサヨナラ負けという結果は残念だったにちがいありません。しかし、試合は終始、張りつめていて、久々に堪能できました。

そして、試合終了後の、王監督の落ち着いた表情、冷静な態度は、淡々としているからこそ、王監督が1人でどれほどその時、その場をかみしめているかが、よく認識できました。

清原のときのバカ騒ぎや臭い演出とは、大違いです。

野球を行うという球場に、野球以外の不純物を招き入れ、自らをヒーローとして祭り上げようとする醜い魂胆に、清原のひ弱さと計算高さを感じさせました。

ところが、今季限りで退任する王監督には、そうした人工的、作為的な演出がいっさいないことで、より記憶に残る瞬間となりました。

2人は今期で引退という結果においては同じですが、野球への取り組み姿勢、そして引き際の美学において、埋め尽くすことができない人間としての大きさ、深さ、偉大さの違いを感じさせてくれました。

これからもまだ付き合わされるのでしょうか? うんざりです

2008-10-07 17:16:14 | Weblog
石原慎太郎東京都知事が、ますます老いたりを印象づけました。

石原は、2016年に開催される夏季オリンピックの、東京への招致に対する支持や関心が低いと嘆いています。

支持や関心が低いのは事実です。しかし高まらないのも、当然です。オリンピックを東京に招致しようとする石原の強権的な姿勢に対する反発を、彼がまったく理解していないどころか認識していないと悟らせているからです。

少なくとも、石原とオリンピックという組み合わせでは、そっぽを向くという無言の意思表示が出ていることは確かでしょう。

自らが号令を発すれば、人は駒のように動くという思い上がりを、過去、彼の発言が何度も感じさせてきました。しかし、人は石原の下僕ではありません。

笛吹けど人、踊らずを察知し、これなら支持や関心を盛り上げられると計算したのでしょうか、甘言で人を釣ろうという卑しさを露呈させました。

「言いたくないんだけど、オリンピックってもうかるんです。3兆円もうかる。経済効果で」

そりゃ、言いたくないでしょう、もうかる方法を知っているのであれば。しかし、オリンピック開催で誰がもうかるかは、人は見抜いています。

ただし、カネ、しかも巨額のカネに関わる石原の話は、新銀行東京の一件ですでに明確になっています。

それだけに、「五輪は3兆円もうかる。やろうじゃないか」と呼びかけられたところで、誰も踊る人はいません。石原が狂信的にオリンピックの話をすればするだけ、人はますます萎えていきます。

「例えは良くないかもしれないけどね、戦争の時に横を向いている人が多かったら、その国は負けちゃいますよ。これはね、ある意味でもっと激しい戦い」だとも、言い放っています。

先ほど、テレビを見ていたら、再放送でしたが作家の埴谷雄高氏が、先の大戦に触れて「うんと殺して、うんと殺された」と述べていました。

こうした事実さえ、石原は踏まえていません。いや、認識できないでしょう。それは、彼の次の発言で明瞭です。

「ファッションみたいな形で泊まっている」

大阪市の個室ビデオ店で15人もの人が死亡した放火事件をめぐって、こう言い放った石原は、庶民の生活ぶりどころか現実の世界がどのような状況にあるのか、関心さえないことを明白しました。まさに、老いた「てっぺん野郎」の本領発揮です。

この先、当分は、この老いに付き合わされなければないないとすれば、不幸という文字がより鮮明に浮き上がってきそうです。