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別 胡 説 八 道!

    真 是 豈 有 此 理!

金のためなら、魂さえ

2011-03-04 16:38:53 | 中国
「五毛党」という中国語が、じょじょに日本でも知られてきました。

五毛党は、中国共産党や中国政府の行いに対し賛同や支持を表明する人々。しかも本心ではなく、雇われて。

都合のいいようなコメントをインターネット上に書き込むことで、金をもらう。早い話が、金のためなら、魂さえ売ってしまう連中を意味しています。

こんな話を中国人としていたら、五毛党の役割は「それだけじゃない」と否定しました。

政治的、社会的活動をしている人々の発言やコメントをいじくって偽情報を流布したり、なりすましなども五毛党は行っているというのです。

まさに情報戦ですが、その人物はこういうことは中国だけで行われているんじゃないとも言いました。

「日本でも前から五毛党の活動に相当することが行われていて、私たちは『五毛党在日本』として軽蔑している。そんな中国人が複数いるよ。そういう人物を日本のマスコミがあえて好んで使う。私たちはそれが理解できない。調べればすぐにわかることなのに。」

228事件に翻弄されて

2011-03-02 01:07:35 | Weblog
台湾の228事件での犠牲者数は、いまもってはっきりしません。国民党政府により殺害あるいは処刑された本省人は約3万人と推測する説、いや実際の被害者の数はさらに多いと考える人もいます。

この事件では、日本人が犠牲になったことも判明しています。その一方で、難を逃れた本省人もいます。

台南市の228事件紀念碑には、同市出身者で犠牲になった人たちの名が刻まれています。しかし、全員の名ではないと、関係者から聞いています。




その刻まれた名の中の一人は、事件のさなかに行方不明となりました。当事、大学生で国民党政府の抑圧に抗議する政治活動に参加していたことから、殺害されたと判断されたそうです。

ところが、彼は生きのびていました。すんでのところで大陸に渡り、難を逃れることができたのでした。

その後、共産党員として活動していたのですが、台湾人ということで反右派闘争や文化大革命時に批判の対象とされ、厳しい生活を長く強いられました。

この間、台湾の家族とは一度も連絡をとることはできませんでした。

その彼がようやく家族と連絡をとれたのは、台湾を離れて実に30年以上経った1980年代初め。日本からでした。

文化大革命が終わったものの、まだ混乱が残る中国で、さまざまなつてを頼り、日本にやって来ました。

彼が生まれた台湾は、日本統治時代。日本名を持ち、日本語教育を受けて育ったのですが、初めての日本でした。死んだものと思っていた家族が来日し、無事に再会できました。

達者な日本語を話し、日常生活で不自由することはありませんでした。

人生の後半を日本で穏やかに過ごし、かつての台湾での平穏な日々を懐かしみ、数年前、他界しました。

なお、228事件に関する考察は、YouTubeにある
「記録片-《台湾的歴史──在光復初期二二八事件》」1~7が参考になります。

台湾 228事件から64年

2011-02-28 13:57:29 | Weblog

今日、台湾では228事件64週年紀念。
64年を経て228紀念館が、今年、ようやく228国家紀念館として正式に開館したそうです。

日本統治時代は台北放送局庁舎、国民党が来てからは台湾広播電台とし使用されてきました。

台湾のマスコミでは、228事件に対し「中華民国是有反省能力的政府」などとも伝えています。


上の写真は、台北市にある228紀念館。
下の写真は、台南市にある228紀念碑。



しかし、知り合いの犠牲者の家族の中には、今なお本省人への大虐殺に対する怒り、悲しみから抜け出せないという人がいます。

時の政府、権力者、統治者がせっぱつまり、いざとなったら国民に対してどのような暴挙に出るかを教えてくれます。

リビアのカダフィの慌てふためきも、けっして彼個人の特異な資質ではなく、権力を持った者にまとわりついた本性によるものだと思います。

相変わらずの常套手段

2011-02-27 23:09:16 | Weblog
「われわれが掲げた理想の旗が見えなくなったことに対する国民の批判を謙虚に受け止めるべきだ」と、民主党の小沢一郎元代表がぶったそうです。

どういうことでしょうか。見事なまでの低次元、あからさまな論理のすり替えです。同時に、まるでどころか完璧なまでに、他人事として言い放ちです。

自分こそは国民の批判を謙虚に受け止めているのだと言わんばかりです。

「一昨年の政権交代を目指した原点に立ち返り、政治に取り組まなければならない」とも言っているそうですが、いざとなると常に責任者となる立場には就かず、責任を他者に押しつけての物言いで、考えを異にする者を引きずり下ろすという相変わらずの常套手段。

見透かされている事実を、いくつになったら自覚するのでしょうか。それとも「親方」と持ち上げる太鼓持ちたちの声の大きさで、他者の声が聞こえないのでしょうか。

根拠なき幻想の振りまき

2011-02-07 21:37:35 | 選挙
「名古屋の特殊な雰囲気から出ている結果」

民主党の石井一選挙対策委員長は、このように言い放っています。愛知県知事選挙と名古屋市長選挙で民主党推薦候補が大敗したことに対する負け惜しみとは、とても受け取れません。

事実を事実として受け入れられない、硬直した組織ならではの浅はかな「総括」と言えると思います。自民党政権時代とまったく同じように、何度、このような傲慢な言い放ちを聞かされてきたことでしょうか。

常に結果の原因を他者に押しつけ、自らの正当性を主張する手法に、嫌悪感と同時に失望している人がどれほど多いのか、まったく気づかない鈍感さがここににじみ出ています。

しかも、異端扱いです。貧弱どころか、想像力の欠如そのもの、資質のなさを露呈させています。

政権交代の中での貧困と裏切りという煮え湯を飲まされながら、それでも生き抜こうとする人々の切実な思いを読み取れない鈍い感性は、もはや救いようがありません。

投票結果の中に有権者の強烈なメッセージがあることを読み取れない権力者たちが表舞台から消え去るのは、時間の問題だと思います。

しかし日本に希望が見出せないのは、この次に登場する集団も、権力奪取を主目的として、民主党同様に根拠なき幻想を振りまき、自ら振りまいた幻想によって追い払われるという結末しか予想できないことではないでしょうか。

無視こそ、打開の道

2011-01-10 22:13:14 | Weblog
「政府を信用しない。行政をあてにしない。この姿勢こそが地域の未来を切り開く」

昨年、各地でさまざま活動を続ける複数の人たちから聞いた言葉です。横のつながりはまだありませんが、それらの地域に共通するのは、高齢化、少子化、過疎化が著しく進み、集落の消滅が現実的問題となっている点です。

効率化や生産性など生産性至上主義を声高に叫び、人間性を無視し新自由主義に突き進んだ地域とはまったく無縁の地で、切り捨てられたように生きる人たち。そんな地域で人々の声に耳を傾け、団結し、生き抜こうとする人々が、活動を始めています。

そのうち何人かは、かつては公務員でした。年齢も地域もバラバラでしたが、以外にも共通点がありました。

在職中に、市長や町長など自治体の長が言い出した方針などに疑問の声を上げた点です。そのうちの一人は、町長から直接、「トップの俺の言うことが聞けないのか」と叱責されたことです。しかし現実には、反対したのではなく、疑問を感じ質問したにすぎません。

別の人は、まだ施策が確定する前の段階にあったにも関わらず、一人、反対意見を述べたところ、同僚公務員から「俺たちの仕事の邪魔をしないでくれ」と突き放されたそうです。

異なった意見に対し聞く耳を持たない姿勢にがまんできず、彼らは公務員を辞して活動を始めたそうです。

最近、漫画タイガーマスクの主人公である「伊達直人」の名で、児童相談所などに真新しいランドセルが贈られる動きもごく普通の人々の行いであり、政府や行政とは明確に距離を置いた義憤にかられた行動でと思われます。

中央では小沢一郎が相も変わらず政局を仕掛け、反小沢派との展望なき利己的な戦を続けています。彼らの動きは、中央あってこその地域、自分があってこその他者という醜い図式を浮かび上がらせています。

しかし、そんな低俗な次元とははっきりと距離を置き、「待つ時間などいっさいない」と悟り、自分たちで行動し始めている地域の人々。政府や行政とは一線を画したことで微力ながらも、やがては人々の意識を動かす活力になるのではと思われます。

今年も暗黙の了解

2010-08-16 10:12:18 | Weblog
先の大戦における、戦争の悲惨さを伝える番組や記事が、今年もあふれかえりました。

しかし、毎年、感じさせるのは、なぜあれだけ多くの人々が無残な死を強制させられたり、苦しみを強いられたりしたのか、この一点が常にかけ落ちていることです。

誰のために、何百万人という人々が人生を狂わされたのか、この疑問に対する答えはすでに提示され、疑問でも謎でもありません。

ところが、まったく触れられていません。それどころか、一般庶民に反省を求める姿勢を示す番組さえありました。

番組製作に携わる人に尋ねてみました。その回答です。

「誰もが気づいている、同時に触れてはいけないことになっていることも、誰もが知っている」

一家のために、あれほどの悲しみ、苦しみを強制されたにもかかわらず、それでも触れてはいけないタブーが厳然として存在することに愕然としました。

夏が過ぎれば、また何ごともなかったように、べたぼめが垂れ流されます。

また楽しみが増えました

2010-07-28 00:51:31 | 選挙
やっとというべきか、ようやくというべきか、とにかくこれでひとまず本性を現したということでしょう。

「総理、ソーリと野党で批判の急先鋒として反対を唱えてきた」などなど。

記者会見では、結局のところ女性の武器となる、しおらしい一面を前面に出しつつ、自己弁護ならぬ自己宣伝ばかりでした。

所属する党への早々とした見切りと、将来への自身の議席確保などが透けて見える中、昨晩は一睡もできなかったという程度の弁解は、世の人々にはまったく通用しません。

それどころか、無神経さと同じように、自己愛の強さもやはり異常なほど強いと確信させました。

数ヶ月後には、政策実現を目指してといった、すべてにおいて政治的理由を常に持ち出す手法で、人の意見は聞かぬ、自分の意見はしゃべれぬ親方たち一派とくっつくことになるでしょうか。

今後が非常に楽しみです。

柔な生徒会

2010-07-14 03:22:13 | 選挙
一歩後退二歩前進。しかもみずから罠を仕掛けての。

その術中にはまったということですね。

結局は、自分だけがかわいい、しかもその程度や異常を通り過ぎて。

今、そのおこぼれに預かろうと、腰巾着どもが醜いうごめきを活発化させて、夜な夜な悪知恵をしぼっています。

親方は、また雲隠れしています。どこぞの将軍様のまねでしょうか。

自らは、けっして手を汚さない。あくまでも請われたからで、自分は権力など求めていないという、いつものエセ謙虚さで。

残された方法は、もはやただ一つ。誰がいつ実行するんでしょうか。

これからがいよいよ本番です

2010-06-02 21:37:16 | Weblog
「私はもう皆さんと会うのも最後でございます。私が答える立場ではない」

参院選にどのような展望が開けるかと聞かれての、民主党の小沢一郎幹事長の対応です。

すねる、いじけるという彼の面目躍如の極地だと思われる発言です。

鳩山首相が辞任し、小沢も辞任しました。しかし、結果は二人が押し切られて辞めただけのことであり、問題は何も解決していません。

小沢は政治資金規正法で問われるかどうかの瀬戸際にいます。だが、これは単ある法的な問題に過ぎません。

彼が厳しく拒否を突きつけられているのは、形式的合法性があるかどうかの法律上の問題ではありません。そんな地平からははるかに離れた、実質的な問題です。

恫喝する、無視する、ごねるなど、独善的な手法を常に駆使するとともに、他者の声をいっさい聞こうとせず、手なずけた者らとともに自らの意にそわない者を徹底的に排除し、抑圧することさえ意に介さない。

しかも、口べたを公言し、説明責任さえ無視する姿勢です。幹事長辞任で帳消しになるような問題ではありません。

これから、いよいよ彼が本領を発揮するであろう院政が始まると思われます。すでにミニ小沢たちもうごめき始めています。本番はこれからです。