すごく長いタイトルになりました
最近、タイムスリップしたかのようなデジャブに襲われることがあります。
その一つがこれ 蜂飼 耳さんの「なまえつけてよ」というお話です
光村出版5年生の国語に載っているお話です。
今回、特に、「わかる人にしかわからない話」で申し訳ありません。
短いお話の中に、登場人物の心情の微妙な機微が感じ取られる素晴らしい話です。
じわぁーーっとほんのり暖かくなり、何度もリピートしたくなります。
この懐かしい感覚は何なのだろう、と記憶をたどると、ぴったりくるものがありました。漫画家 故、あすなひろし先生の「青い空を、白い雲がかけてった」
というか、あすなひろしの世界観
サムの大空、でピンと来た人は、私と同世代です
私のあすな作品との出会いは、昭和52年「小学6年生」(小学館)でした。
なんとも独特な絵と世界観、ややセルフメルヘンチックな自虐的ギャグ、すっとぼけた登場人物たち
でも悪役はどこにもいなくて そして、必ず切ないほろ苦さを至上の美しさで読者に投げかけてくる
こんな作品、見たことありませんでした。4,5月号と続いたので、次の号が待ち遠しくてたまらなかった記憶があります。
小学館の学年雑誌で取り上げられたあすな先生の作品はこれだけで(自分のリアル小学生時)、もうこういうのないのかな、と思っていたところで見つけたのが
「チャンピオン」で時々掲載されていた「青い空を、白い雲がかけてった」でした。
不定期掲載で、これが出てくると大喜びで読んでいました。
週刊少年誌って、音楽で言えばバリバリのロックがライブをしているような感じだったのですが、
その中での「青い空を、白い雲がかけてった」は、緻密で繊細で涼やかなフォークのようなイメージでした。
夢中になりました。同級生でも、ファンはすごく多かったです。
当時中学校でやっていた文化祭の出し物で、「青い空を」を題材としたオリジナル劇を、2つのクラスが同時に取り組んでいました。
日常のひょうひょうとした営みの中に顔を出す大人の切なさ、人間が持っている根源的な温かさ、悲しみ、無常観、大きく包み込む愛情
後々これらがあすなひろしの超絶技巧の描画力によるものと知るところも多いのですが、
その美しい心情描写に、胸が締め付けられます。それが、五感を通して伝わってくるのです。
蜂飼耳さん「なまえつけてよ」のハイライトシーンの一つに、
せっかくワクワクして仔馬の名前を考えてきて、今発表しようとしたのに、その仔馬が急きょ他の地に買われていくことになって、言いかけた名前を飲み込む
つとめて明るく「いいんです。それじゃあ仕方がないですね」と振る舞いながら仔馬に接する春花。その姿を見て、何も声がかけられない勇太と陸
という場面がありますが、これなんかテレビカメラのアングル、かすかなBGM、吹き抜ける風など一気に頭に浮かんできて、
まさに「青い空を、白い雲がかけてった」そのものなのです。
もちろんそのあとの締めくくりも含め、本当に美しい、名作だと思いました。
で、ちょっと気になって、学校現場ではこの作品をどう扱っているのだろうと(偉そうなこと言ってすみません)
ネットでこの教材での授業のことを書いてある記事をいくつか見たのですが…
正直、「なんじゃこりゃ」です。
この作品の切なさと美しさに、ちっとも触れていないじゃないか
主題がどうたら、本当は好きだったのかなどうたら、勇太の心はここで変わったこうたら(変わってませんよ、勇太の本質は一貫しています)
自分が児童だったらこんな授業受けたくないし、へたしたらこういう作品を味わう能力を失ってしまう。
この作品に、伊吹、音楽、間合い、風を感じなさいよ。(まあ、そんなもの文字にできないか)
アニメーターにこの作品でビデオ作らせて鑑賞したほうが、おそらく味わいは深くなる(もちろんイメージの固定化は怖いけどさ)
おいしいものの、おいしい味わい方
国語が文学作品でつけさせたい力はそれなのだから、変なところでこねくり回すのはやめてください。
大切な味わいポイントをじっくり確認しあったら、あとは、「黙って、いただきます。」「ああ…おいしい…」
特に本作は、そういうタイプの作品だと思うのです。
最近、タイムスリップしたかのようなデジャブに襲われることがあります。
その一つがこれ 蜂飼 耳さんの「なまえつけてよ」というお話です
光村出版5年生の国語に載っているお話です。
今回、特に、「わかる人にしかわからない話」で申し訳ありません。
短いお話の中に、登場人物の心情の微妙な機微が感じ取られる素晴らしい話です。
じわぁーーっとほんのり暖かくなり、何度もリピートしたくなります。
この懐かしい感覚は何なのだろう、と記憶をたどると、ぴったりくるものがありました。漫画家 故、あすなひろし先生の「青い空を、白い雲がかけてった」
というか、あすなひろしの世界観
サムの大空、でピンと来た人は、私と同世代です
私のあすな作品との出会いは、昭和52年「小学6年生」(小学館)でした。
なんとも独特な絵と世界観、ややセルフメルヘンチックな自虐的ギャグ、すっとぼけた登場人物たち
でも悪役はどこにもいなくて そして、必ず切ないほろ苦さを至上の美しさで読者に投げかけてくる
こんな作品、見たことありませんでした。4,5月号と続いたので、次の号が待ち遠しくてたまらなかった記憶があります。
小学館の学年雑誌で取り上げられたあすな先生の作品はこれだけで(自分のリアル小学生時)、もうこういうのないのかな、と思っていたところで見つけたのが
「チャンピオン」で時々掲載されていた「青い空を、白い雲がかけてった」でした。
不定期掲載で、これが出てくると大喜びで読んでいました。
週刊少年誌って、音楽で言えばバリバリのロックがライブをしているような感じだったのですが、
その中での「青い空を、白い雲がかけてった」は、緻密で繊細で涼やかなフォークのようなイメージでした。
夢中になりました。同級生でも、ファンはすごく多かったです。
当時中学校でやっていた文化祭の出し物で、「青い空を」を題材としたオリジナル劇を、2つのクラスが同時に取り組んでいました。
日常のひょうひょうとした営みの中に顔を出す大人の切なさ、人間が持っている根源的な温かさ、悲しみ、無常観、大きく包み込む愛情
後々これらがあすなひろしの超絶技巧の描画力によるものと知るところも多いのですが、
その美しい心情描写に、胸が締め付けられます。それが、五感を通して伝わってくるのです。
蜂飼耳さん「なまえつけてよ」のハイライトシーンの一つに、
せっかくワクワクして仔馬の名前を考えてきて、今発表しようとしたのに、その仔馬が急きょ他の地に買われていくことになって、言いかけた名前を飲み込む
つとめて明るく「いいんです。それじゃあ仕方がないですね」と振る舞いながら仔馬に接する春花。その姿を見て、何も声がかけられない勇太と陸
という場面がありますが、これなんかテレビカメラのアングル、かすかなBGM、吹き抜ける風など一気に頭に浮かんできて、
まさに「青い空を、白い雲がかけてった」そのものなのです。
もちろんそのあとの締めくくりも含め、本当に美しい、名作だと思いました。
で、ちょっと気になって、学校現場ではこの作品をどう扱っているのだろうと(偉そうなこと言ってすみません)
ネットでこの教材での授業のことを書いてある記事をいくつか見たのですが…
正直、「なんじゃこりゃ」です。
この作品の切なさと美しさに、ちっとも触れていないじゃないか
主題がどうたら、本当は好きだったのかなどうたら、勇太の心はここで変わったこうたら(変わってませんよ、勇太の本質は一貫しています)
自分が児童だったらこんな授業受けたくないし、へたしたらこういう作品を味わう能力を失ってしまう。
この作品に、伊吹、音楽、間合い、風を感じなさいよ。(まあ、そんなもの文字にできないか)
アニメーターにこの作品でビデオ作らせて鑑賞したほうが、おそらく味わいは深くなる(もちろんイメージの固定化は怖いけどさ)
おいしいものの、おいしい味わい方
国語が文学作品でつけさせたい力はそれなのだから、変なところでこねくり回すのはやめてください。
大切な味わいポイントをじっくり確認しあったら、あとは、「黙って、いただきます。」「ああ…おいしい…」
特に本作は、そういうタイプの作品だと思うのです。