songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

今度は桐生のいじめ~学校が公表しない裏事情

2010-10-31 20:25:00 | Weblog
以前「いじめはあったのか」シリーズでいろいろ書いてきましたので、今回の悲しい事件も、何となくテレビなどを見てしまいました。
感じたのは、以前の岐阜県の件と似た匂いです。

今回は、学校側が一貫して「詳しくはつかんでおりません」を通しそうな雰囲気なので(?)おそらく世間からはずいぶんと叩かれるでしょうが、私はそれが正しい対応のように感じます。
最も言ってはいけないのは、憶測、中途半端な調査結果の発表。
日本中を混乱に巻き込むだけです。

さて、「同じ匂い」というのは何か。それは、「報道できない学校の台所事情があるのだろう」ということです。
岐阜県の場合、(おそらくですが)亡くなった子へのいじめについては学校も知らないわけではなかったのだろうが、それ以上に、荒れ切った、その件とは全く関係のない子たちが何人もいて、学年も崩壊寸前状態。教師たちは連日そちらのほうの対応に追われるばかりで、全く亡くなった子のほうへのじっくりとした対応をしている余裕がなかった、というのが真相なのではないかと、私は睨んでいます。

「そんなの責任放棄だ」「言い訳にならないぞ」「それを何とかするのが学校だろう」「全員、教師失格じゃん。」
それぞれごもっともです。しかし、対応する余裕がないものはどうしようもない。身も蓋もないこと。だから言わないのです。そして、それが真相だったのだと私は思っています。


今回で言えば。
真相は、おそらく学級崩壊。
亡くなった子のことを思うと、たまったものではありません。しかし、当の学級では、すでに修復不可能なひどいことが、亡くなった本人以外のところでも数えきれないほど起きていたのではないか、と推測されます。人の命以上に大切なものはありません。しかし現場では、その、最も大切な人の命「以上」の、感覚を麻痺させる惨状が学級で起こっていたと想像されるのです。
校長、教頭、教育委員会との連携はどうなっていたのか?残念ながらそのあたりは分かりません。
私たちが本当に探るべきは、その、「それどころではない状況」を探ることです。

いじめはあったのか、とか、学校の責任がどうか、とか、紋切り型の追及。
「二転、三転」
「教育委員会の謝罪」
一部悪質なネットユーザーによるプライバシー暴きと、正義ぶった「こいつを晒してやっつけてやろう」
など、まっぴらごめんです。

保護者の本音はどこにあるのか。子どもたちはどうなのか。
で、その、加害者側になるであろう子どもたちの実情はどうなのか。報道してよいレベルかどうか。それぞれ検討していかなければならないでしょう。
残念ながら当事者はなくなってしまったため、本当の真相は明らかにならないと思います。
だとすれば、教育者は、残酷ですが、今生きている子どもたちの将来に向かって教育していかなければならない。
そのために、マスコミは、何かしてくれるでしょうか?
コメント
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