ぼかぁーねぇ、決して読書家ってわけじゃあないんですよ。
でもね、最近本に飢えているんですよ。
で、誰かさん(皆様の中の)にお薦めの本を紹介していただきたくて、
逆に本の紹介でもしましょうか。
皆さんは「人は死んだらどうなるのか?」って
真剣に考えたことがある??
僕だって火葬されて骨になる、土へ帰る…なんてことはわかっている。
でも、この32年間生きてきて、考えたこと、経験、ポリシー、イデオロギーetc.って
何処へ行っちゃうの??無くなっちゃうの??
それが信じられなかった。だから幽霊の存在は信じていた。
それに僕は親、兄弟だけではなく、たいていの人は認知しない《誰か》と“つながって”いる
とも感じていた。まあ乱暴に言えば「生まれ変わり」や「輪廻」などだけど。
それは歳を重ねるごとに強く感じるようになった。
肉親と僕との様々な「違い」が如実になってきたから。それは次第に飛躍し、
自分にとっての「生」や「性」、人間にとってのそれらの意味も考えていた。
その僕にヒントを与えてくれた本が
辻仁成の『ニュートンの林檎』である。
感想や批評を書くと、巻末の「解説」みたいで難しくてつまらないので別の書き方をすると、
いまや超人気、有名作家である辻仁成を読みたい!知りたい!という人、
あるいはどういう人なの?という人には芥川賞を受賞した『海峡の光』を読む前に、
『ニュートンの林檎』を読むことを薦める。
実際、彼がこれを書いた後の次の作品が『海峡の光』だった。
それに『ニュートンの林檎』のほうが最近の彼の作品に近い気もするしね。
『冷静と情熱のあいだ』は例外。
『海峡の光』のテーマは、
人間の根源に棲み付いてしまっている、制御できない《悪=暴力》だが、
『ニュートンの林檎』は、やはり人間の根源に棲み付いてしまっている《生》であり
《性》(さが)である。
あと興味深い点は、辻氏があとがきの中で
「今はもう会うことのない異性へ送った長大なラブレターのつもり」
と述べていることだろうね。これを読めば、
『冷静と情熱のあいだ』、『サヨナライツカ』などの最近の“重い”愛について書かれた
著書も読みやすいんじゃない。
ちーと今日は刺激のない内容だったかな。
でもね、最近本に飢えているんですよ。
で、誰かさん(皆様の中の)にお薦めの本を紹介していただきたくて、
逆に本の紹介でもしましょうか。
皆さんは「人は死んだらどうなるのか?」って
真剣に考えたことがある??
僕だって火葬されて骨になる、土へ帰る…なんてことはわかっている。
でも、この32年間生きてきて、考えたこと、経験、ポリシー、イデオロギーetc.って
何処へ行っちゃうの??無くなっちゃうの??
それが信じられなかった。だから幽霊の存在は信じていた。
それに僕は親、兄弟だけではなく、たいていの人は認知しない《誰か》と“つながって”いる
とも感じていた。まあ乱暴に言えば「生まれ変わり」や「輪廻」などだけど。
それは歳を重ねるごとに強く感じるようになった。
肉親と僕との様々な「違い」が如実になってきたから。それは次第に飛躍し、
自分にとっての「生」や「性」、人間にとってのそれらの意味も考えていた。
その僕にヒントを与えてくれた本が
辻仁成の『ニュートンの林檎』である。
感想や批評を書くと、巻末の「解説」みたいで難しくてつまらないので別の書き方をすると、
いまや超人気、有名作家である辻仁成を読みたい!知りたい!という人、
あるいはどういう人なの?という人には芥川賞を受賞した『海峡の光』を読む前に、
『ニュートンの林檎』を読むことを薦める。
実際、彼がこれを書いた後の次の作品が『海峡の光』だった。
それに『ニュートンの林檎』のほうが最近の彼の作品に近い気もするしね。
『冷静と情熱のあいだ』は例外。
『海峡の光』のテーマは、
人間の根源に棲み付いてしまっている、制御できない《悪=暴力》だが、
『ニュートンの林檎』は、やはり人間の根源に棲み付いてしまっている《生》であり
《性》(さが)である。
あと興味深い点は、辻氏があとがきの中で
「今はもう会うことのない異性へ送った長大なラブレターのつもり」
と述べていることだろうね。これを読めば、
『冷静と情熱のあいだ』、『サヨナライツカ』などの最近の“重い”愛について書かれた
著書も読みやすいんじゃない。
ちーと今日は刺激のない内容だったかな。