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 本は私の人生の友・・・

『九十歳。何がめでたい』

2016年12月11日 | 


著者 佐藤愛子

2016年5月まで1年に渡って『女性セブン』に連載されたエッセイに加筆修正を加えたもの。
収録されたエッセイの中には、15年に大阪・寝屋川市で起きた中学1年の少年少女殺害事件や、
16年に発覚した広島・府中市の中学3年生の「万引えん罪」自殺問題から、
高嶋ちさ子さんのゲーム機バキバキ事件や橋下徹元大阪市長のテレビ復帰に至るまで、
折々の出来事と世間の反応について歯に衣着せぬ物言いで迫ったものもあります。
『思い出のドロボー』の章は可笑しくて仕方ありませんでした。

>「文明の進歩」は我々の暮しを豊かにしたかもしれないが、
それと引き替えに かつて我々の中にあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を
磨滅させて行く。
もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっと きれいに、
もっと おいしいものを、もっともっともっと・・・。
もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。
進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。
(『来るか? 日本人総アホ時代』より)

>かくて日本女性は強くなったのではなかったか?
知的になったのではないのか?
主体性をしっかり身につけたのではないのか?
なのに この人生相談は、これはいったい何なのだろう。
自分の心の持ち方、感じ方まで他人に教えてもらわなければならないとは・・・。
私の友人はそんな私にいった。
「平和なのよ、要するに」
え? 平和がいけない? なるほどねえ。
何の不足もない平穏な暮しの中では悩んで考えこむ必要がない。
考えない生活からは強さ、自立心、何も生れない、
生れるのは依存心ということか。
平和は有難いが、平和にもこんな落し穴があるのだなあ・・・と、
私はやっと気がついたのであった。
(『平和の落し穴』より)
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