魔法の弾丸

自己に対する選択毒性

群れる

2008-08-11 21:41:08 | Weblog
「日本の大学では考えられないことですよね。でも、そういういったことが考えられないのは日本だけです。アメリカでもドイツでも、大学にはいろいろな年齢の、いろいろな環境の人がいるんです。…だからね、私の目から見ると、日本というとても小さな国の―ごめんなさい、小さいなどと言って―とても小さな枠の中で、その中の価値観だけを信じて暮らしている皆さんは、ひどく奇異に感じられることがあるんです…」

東京のフラニー/鷺沢萠




とても好きな短編の一節です。


このショートに共感できる人を、僕は切実に求めているような気がします。




言語

2008-08-10 10:37:48 | Weblog
すなわち電子や光子のように、日常、われわれがみたことのある、通常の粒子と非常に異なったものの行動を述べるには、われわれの日常な言葉をもってすることができないのは、当然なことである。なぜなら通常の言葉は日常的な考えた方と密接に結びついているので、こういう日常的なものとは全く別種の奇妙なものの行動を記述するには、全く不適当だからである。いいかえれば、日常的な考え方から全く自由な、より純粋な言語によらなければ、そういうものの記述は出来ない。こういう、全く自由で純粋な言語というのは、すなわち数学である。量子力学が数学的にならざるを得ない理由はここにある。

量子力学と私/朝永振一郎





中・高等教育でこのような説明を受けていれば、今とは違った世界観を有していたかもしれない。





何のために学ぶのか?



評価されるためでない。

認められるためでない。



世界の成り立ちを知る方法を学ぶため。

youth

2008-08-01 20:49:10 | Weblog
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。


歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地の這い精神は芥になる。


六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り
君は若い。


霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、
二十歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
八十歳であろうと人は青春にして已む。

青春/サムエル・ウルマン






すべてが分かったような、抗うことを諦観したような態度。
ここから老いが始まると思います。


中途半端に理解するぐらいなら
何も知らないほうがいい。



知ろうと決意したとき

すべての弱さと向き合い、それでもいいと思った。